落葉2017年10月23日 12:53

落葉


誰もが1度は口ずさんだことがある、あの寂しく切ない詩の一節・・・。

「落葉/上田敏
秋の日の
ヰ゛オロンの
ためいきの
身にしめて
ひたぶるに
うら悲し。

鐘のおとに
胸ふたぎ
色かへて
涙ぐむ
過ぎし日の
おもひでや。

げにわれは
うらぶれて
こゝかしこ
さだめなく
とび散らふ
落葉かな。」

この詩については、以前にも書いている。

(秋色の空)
http://kfujito2.asablo.jp/blog/2014/11/17/7494391

3年前の11月に書いた。

暖房は、この頃入れている。

今年が寒すぎるんだよなあ・・・。

まあ、どうでもいいんですが。

書いている人間は同じなんだが、季節の捉え方が前向きだな。

冬のオープンカーを語る元気は、浮沈子には既にない。

たった3年の月日が、生きる力を削いでいる。

台風が通り過ぎ、久々に日が差して、強い吹き返しの風になびいている木の葉は、やはり紅葉している。

昨夜、夜中に起きたまま寝付けず、何となくけだるい中で読む上田敏の詩は、それだけで、もう・・・。

フランス語の原詩と、対訳が付いている引用したページは、なかなかいい感じだな。

(秋の日のヴィオロンの....)
http://www.ffortune.net/symbol/poem/out/binn/akinohino.htm

「美しい詩です。そして上田敏の訳詩もまた美しいです。」

フランス語がからきしの浮沈子には、原詩の美しさは分からない(語尾で韻を踏んでいるのが、何となくわかる程度)。

なんで二十歳のガキが、こんな詩を書けるのか(ヴェルレーヌは、20歳の時に書いたそうです)。

特に、最後の描写は、余りにも切なくて、涙を誘う。

浮沈子は思うんだが、そういう風情の老人を見ながら書いたんだろうな。

落葉(原詩では枯葉:朽ち葉色)という題の付け方に、上田敏のセンスを感じる。

枯葉色になるのではなく、枯れ落ちて風に弄ばれる、落ち葉そのものになる・・・。

暗い・・・。

余りにも、暗い・・・。

まあいい。

外では、枯葉が揺れている。

(落葉性)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%90%BD%E8%91%89%E6%80%A7

「葉は低温、特に凍結に弱く、また気孔があるため乾燥にも弱い。」

「温帯・亜寒帯では秋に落葉する植物が多く、熱帯では乾季の初めに落葉するものが多いが、いずれも低温または乾燥という厳しい環境条件に耐えるために、それに弱い葉を落として休眠に入る適応である。」

実際の枯葉は、幹が生き延びるための適応だ。

老人も、いつか若い者たちのために道を譲り、在りし日の思い出に生きるようになる。

夏の日に思いを馳せる秋の日々のようだな。

それはそれで、楽しいもんなんだがな。

若いうちは、逆に、その楽しみは分からない。

ヴェルレーヌにも、それは分からなかったに違いないのだ。

秋の日に、黄金色に煌きながら揺れている枯葉を見ながら、老いていく楽しみを味わう。

3年後の秋には、何を思いながら、この詩を口ずさむんだろうか・・・。

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