通り雨と500E2017年11月04日 21:20

通り雨と500E


昼間も、あまりスッキリしない雲行きだったが、夜になって雨が降った。

もうやんだので、通り雨というやつか。

(通り雨)
http://www.aozora.gr.jp/cards/000311/files/7923_34415.html

「朝からの風が雨になって大粒なのがポトーリポトーリと落ちて来た。」

「木の葉から葉へと落ちる雫の音があわただしい通り雨の後を不器用にまとめて行く。」

宮本百合子は、読んだことはなかったけど、この短編は色彩と音と匂いと慌ただしい動きに満ちていて、その描写がそのまま、通り雨の慌ただしさを表現しているようで好ましい。

描写のバックボーンには、紅葉(もみじ)があり、ちょうど今時分の、美しく紅葉している様が通奏低音のように流れている。

槇の濃い緑色との対称性もいい。

真新しい畳の匂い、それとなく感じられる落ち葉の匂い、わらの匂い、湿った土の匂い、そして降り出しの雨の匂いも感じられる。

ちょっといい作品を読んだな。

プロレタリア文学の旗手としての名前しか知らなかったが、こういう小品を読むと、細やかな感性と豊かな表現力を感じる。

畳職人の描写に、何を読み取るかは人それぞれでいい。

まあ、どうでもいいんですが。

降り出した雨の中を、500Eの燃料を入れに行った。

ついでに、街道沿いをぐるっと一回りする。

久しぶりの夜のドライブ。

雨が降っているので、窓は締め切って、エアコンを掛けている。

こうして走っていると、ロリンザーサウンドは聞こえにくい。

カタンカタンという、1本ワイパーの音だけが聞こえる。

閉じられた車内の世界だけが現実の世界で、降りしきる雨の外界が、隔絶したバーチャルな世界のような気分になる。

ラジオを付けると、まるで外国の話のような猟奇事件のニュースが流れている。

こんとこ、その話ばかりだ。

荒んだ話に嫌悪を感じて、ラジオを消してしまう。

ワイパーの間欠音と、外の雨音と、タイヤの立てるしぶきの音だけになる。

カタンカタン・・・、カタンカタン・・・。

夜の町並みは色を失い、光とモノクロの世界になって、滲んだ窓ガラスの外を通り過ぎていく。

カタンカタン・・・、カタンカタン・・・。

911は詩だが、ボクスターは散文、500Eはさしずめビジネス文書だと書いた記憶がある(そうだっけえ?)。

雨の500Eは、少しだけ詩に近づいている気がするな・・・。

短いドライブを終えて、駐車場にクルマを戻す。

隣の911は、カバーを被って濡れている。

雨の日に、このクルマを走らせる気にはなれない。

晴れたら、乗ってやっからな・・・。

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