自己責任とは ― 2013年05月24日 21:27
自己責任とは
ガイドダイバーの責任論が、喧しい。
(0524 ガイドダイバーについてー2)
http://jsuga.exblog.jp/
(ダイビングガイドの新局面。 急激に増す、ガイドという職業の法的リスクとは?冒頭で引用されているページ)
http://oceana.ne.jp/feature/201305_divingguide
「講習はマンツーマンであることを徹底的に主張」とか、「ファンダイビングでも初級者であればマンツーマン」という、浮沈子にとっては、ごく当たり前な主張を、「現状のダイビングスタイルを根底から覆すほど厳しいもの」と捉えている。
須賀氏に至っては、「海の世界のことを消費者庁で扱ってもらいたくない」とまで言っている。
陸もんは、海の世界に口出しすんな!、ということであろう。
船の世界には、海難審判所という組織がある。
(海難審判所)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B5%B7%E9%9B%A3%E5%AF%A9%E5%88%A4%E6%89%80
ちょっと前まで、海難審判庁といい、海難事故の原因究明の業務も行っていた。
というより、こっちの方が重要だと浮沈子は思う。
誰かに責任を擦り付けたり、懲戒処分を行うばかりでは、基本的に危険極まりない海上交通の安全を確保するという目的は果たせない。
ダイビングの世界にも、ガイドダイバーの資格試験、営業許可を導入し、違反があれば免許停止、剥奪もあっていいと思う。
「海で生きるダイバーの矜持」とかいっても、お上に統制されなければ何でもアリのこの業界は、毎年何十人となく屍の山を築きながら、堕落の一途を辿っている。
往年のベテランダイバーの「矜持」が分からないではないけれど、もはや、時代は戻らない。
薄利多売で、数をこなして稼ごうとすれば、手を抜くしかない。
粗製乱造されたインストラクターや、ダイバーも、国家のくび木に繋がれなければならなくなってきた。
そのうち、ダイビングの記録をダイコンによって当局が監視し、レクレーショナルダイバーが40mを超えると減点されるようになるだろう。
ネットを通して管理され、闇で潜る連中も横行して、規制当局といたちごっこになるわけだ。
それもこれも、ダイビング業界が自ら招いた事態である。
ドシロウトを相手に、金儲けをしようとすれば、ドシロウトに手を噛まれることを覚悟しなければならない。
相手は、ダイビングのドシロウトかもしれないが、訴訟のプロだったりするわけだ。
浮沈子は、マンツーマンのダイビングでも(全く)不十分だと考えているので、この議論に加わることは(到底)出来ない。
プロのガイドダイバーでもミスはするし、その時に、シロウトのクライアント(のガスとか)を頼られても困る(誰がくれてやるもんか!)。
最低でも、2人以上のプロのガイドダイバーが同行しなければ、安心とはいかない。加えて、自分の真のバディたりうる上級ダイバーが、手を伸ばせば届くところで泳いでいる(可能ならば、左右で!)。
このくらいしないと、サイドマウントCCRの水中試験に余念のない浮沈子の安全確保は万全とはいえない(4人かあ!!!!)。
はっきり言って、CCRのダイビングは、プールを別にしても100本はくだらないだろうが、それでも安心は出来ない。
1000本くらい潜って、やっと初心者マークが外れるかどうか。
1万本潜れば、ようやく独り立ちできるようになるだろう(生きてねえよ!)。
自己責任とは、何かあったときに、人のせいにしないことではない(単なる無謀だって、この範疇に入る)。
何かあっても、寄って集って安全を確保してくれて、人のせいにしなくてもよい状況を、自己の責任の元に確立する姿勢のことである。
誰がどう見たって、(たとえ、田中誠さんでも!)こんだけの手厚いサポートで潜っていて、それでも事故が起こった場合、どう考えたって、本人の、病気、へたくそ、思い上がり以外の何物でもない、「自己責任」しかないじゃん!、という状況に持っていくことが、本当の自己責任である。
サポートの方の安全については、文字通り「自己責任」でお願いしたいんですが・・・。
まあいい。
須賀氏の記事には、ヨットのことも出てくる。
スキ(ッ)パーの判断として、(新入生を荒天のクルージングに晒したことは別にしても)落水者の捜索で二次災害を引き起こすのはどうかと思うが、父親だって、本音は生きて還って欲しいと思っていたに違いないのだ。
娘のダイビングを撮影していた須賀氏なら、その気持ちが分からないはずはない。
本質的に危険の伴うレジャー(お遊び)で、好んで危険を求めるならば、その結果を受け入れる覚悟が必要であり、それがなければ止めるべきだ。
ダイビングもヨットも、命がけのスポーツである。
水の上でも、水の中でも、陸の上でも(生涯かけて、最高裁まで争うわけだから)。
人間関係も大切だし、資金力も必要だ。時間も手間も掛る。
そんな、ブルジョワな遊びを、ビンボー人から少しずつむしりとる金儲けの手段にすること自体が、間違っている。
自己責任を取れる人間は、世界では限られた階級の人々である。
社会的にも、経済的にも、精神的にも、一握りに過ぎない。
庶民がありとあらゆる責任を押し付けられ、自らの矜持に基づく選択ではなく、「泣き寝入り」を強要される思想的背景として利用されるのなら、「自己責任」も、いい面の皮である。
住宅ローンを汲々として支払いながら、交通事故の任意保険に加入していないと、事故を起こした際にローンを完済していない住宅を手放して路頭に迷うような経済状況の一般庶民には、「自己責任」なんて高尚な思想を押し付けてはいけないのだ。
お上が定めた掌の上で、ちっぽけなリスクを取り、ちっぽけな満足を得るレジャーを楽しむ。
その先に進むことが出来るのは、真の勇者か、大バカもんのどちらかである。
ガイドダイバーの責任論が、喧しい。
(0524 ガイドダイバーについてー2)
http://jsuga.exblog.jp/
(ダイビングガイドの新局面。 急激に増す、ガイドという職業の法的リスクとは?冒頭で引用されているページ)
http://oceana.ne.jp/feature/201305_divingguide
「講習はマンツーマンであることを徹底的に主張」とか、「ファンダイビングでも初級者であればマンツーマン」という、浮沈子にとっては、ごく当たり前な主張を、「現状のダイビングスタイルを根底から覆すほど厳しいもの」と捉えている。
須賀氏に至っては、「海の世界のことを消費者庁で扱ってもらいたくない」とまで言っている。
陸もんは、海の世界に口出しすんな!、ということであろう。
船の世界には、海難審判所という組織がある。
(海難審判所)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B5%B7%E9%9B%A3%E5%AF%A9%E5%88%A4%E6%89%80
ちょっと前まで、海難審判庁といい、海難事故の原因究明の業務も行っていた。
というより、こっちの方が重要だと浮沈子は思う。
誰かに責任を擦り付けたり、懲戒処分を行うばかりでは、基本的に危険極まりない海上交通の安全を確保するという目的は果たせない。
ダイビングの世界にも、ガイドダイバーの資格試験、営業許可を導入し、違反があれば免許停止、剥奪もあっていいと思う。
「海で生きるダイバーの矜持」とかいっても、お上に統制されなければ何でもアリのこの業界は、毎年何十人となく屍の山を築きながら、堕落の一途を辿っている。
往年のベテランダイバーの「矜持」が分からないではないけれど、もはや、時代は戻らない。
薄利多売で、数をこなして稼ごうとすれば、手を抜くしかない。
粗製乱造されたインストラクターや、ダイバーも、国家のくび木に繋がれなければならなくなってきた。
そのうち、ダイビングの記録をダイコンによって当局が監視し、レクレーショナルダイバーが40mを超えると減点されるようになるだろう。
ネットを通して管理され、闇で潜る連中も横行して、規制当局といたちごっこになるわけだ。
それもこれも、ダイビング業界が自ら招いた事態である。
ドシロウトを相手に、金儲けをしようとすれば、ドシロウトに手を噛まれることを覚悟しなければならない。
相手は、ダイビングのドシロウトかもしれないが、訴訟のプロだったりするわけだ。
浮沈子は、マンツーマンのダイビングでも(全く)不十分だと考えているので、この議論に加わることは(到底)出来ない。
プロのガイドダイバーでもミスはするし、その時に、シロウトのクライアント(のガスとか)を頼られても困る(誰がくれてやるもんか!)。
最低でも、2人以上のプロのガイドダイバーが同行しなければ、安心とはいかない。加えて、自分の真のバディたりうる上級ダイバーが、手を伸ばせば届くところで泳いでいる(可能ならば、左右で!)。
このくらいしないと、サイドマウントCCRの水中試験に余念のない浮沈子の安全確保は万全とはいえない(4人かあ!!!!)。
はっきり言って、CCRのダイビングは、プールを別にしても100本はくだらないだろうが、それでも安心は出来ない。
1000本くらい潜って、やっと初心者マークが外れるかどうか。
1万本潜れば、ようやく独り立ちできるようになるだろう(生きてねえよ!)。
自己責任とは、何かあったときに、人のせいにしないことではない(単なる無謀だって、この範疇に入る)。
何かあっても、寄って集って安全を確保してくれて、人のせいにしなくてもよい状況を、自己の責任の元に確立する姿勢のことである。
誰がどう見たって、(たとえ、田中誠さんでも!)こんだけの手厚いサポートで潜っていて、それでも事故が起こった場合、どう考えたって、本人の、病気、へたくそ、思い上がり以外の何物でもない、「自己責任」しかないじゃん!、という状況に持っていくことが、本当の自己責任である。
サポートの方の安全については、文字通り「自己責任」でお願いしたいんですが・・・。
まあいい。
須賀氏の記事には、ヨットのことも出てくる。
スキ(ッ)パーの判断として、(新入生を荒天のクルージングに晒したことは別にしても)落水者の捜索で二次災害を引き起こすのはどうかと思うが、父親だって、本音は生きて還って欲しいと思っていたに違いないのだ。
娘のダイビングを撮影していた須賀氏なら、その気持ちが分からないはずはない。
本質的に危険の伴うレジャー(お遊び)で、好んで危険を求めるならば、その結果を受け入れる覚悟が必要であり、それがなければ止めるべきだ。
ダイビングもヨットも、命がけのスポーツである。
水の上でも、水の中でも、陸の上でも(生涯かけて、最高裁まで争うわけだから)。
人間関係も大切だし、資金力も必要だ。時間も手間も掛る。
そんな、ブルジョワな遊びを、ビンボー人から少しずつむしりとる金儲けの手段にすること自体が、間違っている。
自己責任を取れる人間は、世界では限られた階級の人々である。
社会的にも、経済的にも、精神的にも、一握りに過ぎない。
庶民がありとあらゆる責任を押し付けられ、自らの矜持に基づく選択ではなく、「泣き寝入り」を強要される思想的背景として利用されるのなら、「自己責任」も、いい面の皮である。
住宅ローンを汲々として支払いながら、交通事故の任意保険に加入していないと、事故を起こした際にローンを完済していない住宅を手放して路頭に迷うような経済状況の一般庶民には、「自己責任」なんて高尚な思想を押し付けてはいけないのだ。
お上が定めた掌の上で、ちっぽけなリスクを取り、ちっぽけな満足を得るレジャーを楽しむ。
その先に進むことが出来るのは、真の勇者か、大バカもんのどちらかである。
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