事故のない社会2013年06月21日 20:41

事故のない社会
事故のない社会


ボッシュ(ロバート・ボッシュ・GmbH:有限会社 (ドイツ))の関係の記事を書いていて、ふと、レスポンスのページをみたら、奇遇にもこんな記事がでていた。

(ボッシュ、50km/h以下の部分自動運転を市場投入…2014年以降)
http://response.jp/article/2013/06/21/200585.html

「ボッシュが自動運転に取り組むのは「事故のない社会」、「クリーン&経済性」、「利便化」、「自動化」といったビジョンを実現するためのもので、基本的に自動運転は安全性向上の延長線上にあるという位置づけで開発を進めている。」とある。

(自動運転 ボッシュがドイツの公道でテスト走行を実施:元記事?)
http://www.bosch.co.jp/jp/press/group-1305-04.asp

「約5,000人のボッシュの優秀なエンジニアたちが、自動運転機能のベースとなる、より高機能なセーフティ/アシスタンスシステムの開発に尽力しています。」とある。

これは、自動車メーカーさえその気になれば、「必ず実現する」ということを意味する(ボッシュは、自動車関連製品の世界最大手)。

ボッシュに関する記事(というか、ディーゼル乗用車の宣伝?)を見つけたので掲載する。

(ボッシュ大研究)
http://www.autocar.jp/wp-content/uploads/investigation/ACJ112_Bosch.pdf

社長のインタビューの中で、こんな記述が出てくる。

「話題がクルマの安全技術になると「交通事故で亡くなる人をもっともっと減らしたい。そのためにはコーポレートスローガンである“Invented for Life”の下、ボッシュの技術を役立てていきたい」と強い口調で何度も語っていた。これは間違いなくヘミング社長の心の声だろう。」

(コーポレート・スローガン「Invented for life」:ドイツ語(Technik fürs Leben))
http://www.bosch.co.jp/jp/world/slogan/

「Bosch という企業は、先進の技術力・高い品質・信頼性・耐久性を備えた製品と技術によって、人々の生活の質(Quality of Life)を向上させることを企業活動の目的とし、その結果として、循環型の持続的環境社会(Sustainable society)の創出に寄与していく、という意味です。」と解説されている。

ボッシュ大研究のインタビューは、次のように結ばれている。

「科学技術への確たる自信、ときに恐ろしいほどの強力な実行力と推進力、しかしその背後にある青臭くも思える純粋さと真面目さ……。ボッシュの企業風土はいかにもドイツっぽい。」

まあいい。

このブログは、ボッシュからは1マルク(ユーロか・・・)も貰っていない。

浮沈子的には、自動運転なんて「余計なお世話だ!」というのが本音だが、安全性向上を錦の御旗(ドイツじゃ、何ていうんだ?)に掲げられると弱い。

浮沈子は、自身も交通事故の経験があり、右肩関節に後遺症もある(長時間右腕を前に伸ばしたり、上に上げていることが出来ない)。

幸い、命に別状はなく、生き延びてはいるが、無謀運転(?)を繰り返す日常では、いつまで無事でいられることやら(安全な範囲での積極的運転のつもりなんだが)。

自動化されて、行き先をコンピュータに告げると後は着いた先でドアを開けるだけ(そのドアも、自動ドアになるに決まってるじゃん!)。そんなカーライフで、満足できるのだろうか?。

ボッシュは、おそらくやるだろう。

コーポレート・スローガンの記事には、「ドイツ語(Technik fürs Leben)の“Technik”にはさらに、Technology=テクノロジー・リーダーシップ(技術的先進性と経済性⇒市場での優位性)、Quality=高い品質、Reliability=信頼・信用の獲得を志向して、革新的で有益なソリューション(製品・技術)を提供する、との意味合いがあります。」とある。

自動運転技術は、「革新的で有益なソリューション」であり、技術的先進性に富み、市場での優位性を獲得することができる。

信頼・信用の獲得については、故ロバート・ボッシュの社訓が、何よりもその志を物語る・・・。

「信頼を失うくらいなら、むしろお金を失った方がよい」

いやはや、お金を失うくらいなら、むしろ信頼を失った方がよいと、日頃、密かに考えている浮沈子とは正反対であるな(もちろん、たぶん、冗談です・・・)。

しかし、燃費の向上や、衝突安全性の向上と異なり、自動運転技術はモータリゼーションに革命をもたらす技術である。

同じ技術であっても、ポルシェ・GT3が2ペダルになったこととは、意味が違うのである(あんま、関係ない?)。

規制当局が、安全の向上のためといって、自動運転機能がない車の販売を禁止すれば、1日で状況は一変する。

我が国では、道路運送車両法によって、公道を走行する車両(自転車、リアカー(!)を含む)の運行が制約されているのだ。

(道路運送車両法:軽車両の保安基準)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%81%93%E8%B7%AF%E9%81%8B%E9%80%81%E8%BB%8A%E4%B8%A1%E6%B3%95#.E8.BB.BD.E8.BB.8A.E4.B8.A1.E3.81.AE.E4.BF.9D.E5.AE.89.E5.9F.BA.E6.BA.96

「長さ4メートル、幅2メートル、高さ3メートル以下(人力)
長さ12メートル、幅2.5メートル、高さ3.5メートル以下(畜力)」って、これじゃないだろう!。

まあ、どうでもいいんですが。

法改正などしなくても、「国土交通省令で定める保安上又は公害防止その他の環境保全上の技術基準」、通称「保安基準」は省令告示されるので、ある朝目覚めると83タルガはおろか、03ボクスターも、宮田の電動アシスト自転車も、博物館送りになっているかもしれないのだ(悪夢の続きのように・・・)。

本当に自動運転は、安全性向上の延長線上にあるのだろうか。

この議論、どこか銃規制の話と似ていなくもない。

「クルマは人を殺さない。人が人を殺す・・・。」

やっぱ、違うかあ?。

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