クルマの価値 ― 2015年03月16日 09:43
クルマの価値
金属と樹脂とガラスとゴムとで出来た機械。
まあ、革張りの椅子とかもあるので、他にもいろいろ使ってるんでしょうが。
この、クルマの価値というか、人間にとっての意味について、少し考えてみようかと思った。
SUVの記事を書きながら、どーして浮沈子はSUVに食指が動かないのか考えてみた。
一つには、もちろん、スポーティではないから、というのがある。
SUV(スポーツ・ユーティリティー・ビークル)なのに?。
誤解はなかろうと思うが、スキーとか、サーフィンとか、「人間がするスポーツ」をサポートする、という意味で、クルマ自体がスポーツカーっぽいという意味ではない。
最近は、マカンなど、スポーツカー顔負けのSUVも出ているので、その定義は流動的だな(SSUV:スポーティ・スポーツ・ユーティリティー・ビークルとかあ?)。
いずれにしても、一般のSUVが、もっさりとした「トラック」上がりの背高で、高速での運動性が二の次のクルマであることは間違いない。
エンジンにしても、元がトラックだけに、馬力はそこそこあったとしても、回してナンボのクルマでないことは確かだ。
ただし、SUVに乗っていて感じるのは、気持ちのいいクルマであるということだな。
目線が高いので、渋滞などでも先の様子が良く見えるし、最近のSUVは乗り心地もいい。
室内空間もたっぷりあるので、ゆったりと移動できる。
もちろん、荷物も沢山積める(そのためのクルマですから)。
気の利いたのは、4WDになっているので、悪路走破性も高い。
そういった要素に価値を見出すことが出来れば、それに特化したクルマの評価は上がるだろう。
何のためのクルマなのかという、ポイントを絞った選択をしなければ、クルマ選びは出来ない。
2シーターのオープンカー(和製英語)に無上の価値を見出している浮沈子ですら、長距離の移動の際は500Eの方がいい。
楽だし。
ドライビングの目的とか、運転している時の経験とかが異なれば、そのクルマの評価は当然変わってくる。
ダイビング器材満載で、後席が使えない浮沈子の500Eなどは、十分SUVしているといってもいい(単なる倉庫代わりともいう)。
まあいい。
物としてのクルマというより、サービスとしてのクルマ、道具として使いやすいクルマという価値に重きを置けば、用途に応じたクルマをとっかえひっかえ乗るというのが正しい。
自己所有でもいいし、共同所有やレンタルでもいい。
楽しいカーライフを、エンジョイできればそれでいいのだ。
普段使いが難しいクルマを所有するというのは、道楽である。
余程の金持ちか、パートナーの深い理解があるか、生活を切り詰めてクルマ道楽に嵌っているか(浮沈子の場合)。
屋根を開け放って、春の日差しをいっぱいに浴びながら風を切って走る(花粉症の方、スイマセン!)。
この時間と空間に価値を見出す限り、オープン2座以外の選択はない。
そして、トーゼンのことながら、物としての価値もある(だからこそ、所有するわけだな)。
地球温暖化などものともせずに、どこまでも走り続ける。
自由な移動の本能に任せて床まで踏む(交通ルールを守りましょう!)。
浮沈子は、クルマの外観には余り拘らない。
もちろん、カッコいい方がいいし、余り派手な色は好まないが、外見よりも運転席に座ってどーよ?、というのが重要だ。
アクセルを踏んだ時の挙動、ハンドルを切った時の反応、ブレーキを掛けた時の振る舞いがポイントである。
シートの座り心地も大切な要素だ。
「何にお乗りですか?」
「レカロです」
ドラーバーは、シートに座ってるんだから・・・。
手に馴染むハンドルや、シフトレバーも欠かせないアイテムである。
ボクスターのウインカーレバーなんぞは、この点では落第だな(今にも折れそうで、チャチだ)。
こういったアイテムとの相性、ひいてはクルマ自体との相性のようなものもある。
命を預け、人生のいくばくかの時間を共にするわけで、こちらがクルマに馴染むということもある。
メンテナンスを怠らず、クルマに合った運転(床まで踏むとかあ?)を心がければ、自然と相性も良くなるというものだ。
乗ってやること自体が、メンテナンスということもある。
クルマとの関わりは、単なる物との関わりとは異なる。
そのクルマを乗るのに相応しいドライバーなのかどうか、運転する方の価値も問われることになる(床まで踏めばいいというもんじゃない!)。
SUVでも、セダンでも、2シーターでも、人間とクルマの関係性の中でしか見えてこないものはある。
それぞれのクルマを、それぞれの乗り方、使い方で乗る。
その中で見えてくる、そのクルマとの関係を大切にする。
まあ、今のところは、こんなもんかなあ。
金属と樹脂とガラスとゴムとで出来た機械。
まあ、革張りの椅子とかもあるので、他にもいろいろ使ってるんでしょうが。
この、クルマの価値というか、人間にとっての意味について、少し考えてみようかと思った。
SUVの記事を書きながら、どーして浮沈子はSUVに食指が動かないのか考えてみた。
一つには、もちろん、スポーティではないから、というのがある。
SUV(スポーツ・ユーティリティー・ビークル)なのに?。
誤解はなかろうと思うが、スキーとか、サーフィンとか、「人間がするスポーツ」をサポートする、という意味で、クルマ自体がスポーツカーっぽいという意味ではない。
最近は、マカンなど、スポーツカー顔負けのSUVも出ているので、その定義は流動的だな(SSUV:スポーティ・スポーツ・ユーティリティー・ビークルとかあ?)。
いずれにしても、一般のSUVが、もっさりとした「トラック」上がりの背高で、高速での運動性が二の次のクルマであることは間違いない。
エンジンにしても、元がトラックだけに、馬力はそこそこあったとしても、回してナンボのクルマでないことは確かだ。
ただし、SUVに乗っていて感じるのは、気持ちのいいクルマであるということだな。
目線が高いので、渋滞などでも先の様子が良く見えるし、最近のSUVは乗り心地もいい。
室内空間もたっぷりあるので、ゆったりと移動できる。
もちろん、荷物も沢山積める(そのためのクルマですから)。
気の利いたのは、4WDになっているので、悪路走破性も高い。
そういった要素に価値を見出すことが出来れば、それに特化したクルマの評価は上がるだろう。
何のためのクルマなのかという、ポイントを絞った選択をしなければ、クルマ選びは出来ない。
2シーターのオープンカー(和製英語)に無上の価値を見出している浮沈子ですら、長距離の移動の際は500Eの方がいい。
楽だし。
ドライビングの目的とか、運転している時の経験とかが異なれば、そのクルマの評価は当然変わってくる。
ダイビング器材満載で、後席が使えない浮沈子の500Eなどは、十分SUVしているといってもいい(単なる倉庫代わりともいう)。
まあいい。
物としてのクルマというより、サービスとしてのクルマ、道具として使いやすいクルマという価値に重きを置けば、用途に応じたクルマをとっかえひっかえ乗るというのが正しい。
自己所有でもいいし、共同所有やレンタルでもいい。
楽しいカーライフを、エンジョイできればそれでいいのだ。
普段使いが難しいクルマを所有するというのは、道楽である。
余程の金持ちか、パートナーの深い理解があるか、生活を切り詰めてクルマ道楽に嵌っているか(浮沈子の場合)。
屋根を開け放って、春の日差しをいっぱいに浴びながら風を切って走る(花粉症の方、スイマセン!)。
この時間と空間に価値を見出す限り、オープン2座以外の選択はない。
そして、トーゼンのことながら、物としての価値もある(だからこそ、所有するわけだな)。
地球温暖化などものともせずに、どこまでも走り続ける。
自由な移動の本能に任せて床まで踏む(交通ルールを守りましょう!)。
浮沈子は、クルマの外観には余り拘らない。
もちろん、カッコいい方がいいし、余り派手な色は好まないが、外見よりも運転席に座ってどーよ?、というのが重要だ。
アクセルを踏んだ時の挙動、ハンドルを切った時の反応、ブレーキを掛けた時の振る舞いがポイントである。
シートの座り心地も大切な要素だ。
「何にお乗りですか?」
「レカロです」
ドラーバーは、シートに座ってるんだから・・・。
手に馴染むハンドルや、シフトレバーも欠かせないアイテムである。
ボクスターのウインカーレバーなんぞは、この点では落第だな(今にも折れそうで、チャチだ)。
こういったアイテムとの相性、ひいてはクルマ自体との相性のようなものもある。
命を預け、人生のいくばくかの時間を共にするわけで、こちらがクルマに馴染むということもある。
メンテナンスを怠らず、クルマに合った運転(床まで踏むとかあ?)を心がければ、自然と相性も良くなるというものだ。
乗ってやること自体が、メンテナンスということもある。
クルマとの関わりは、単なる物との関わりとは異なる。
そのクルマを乗るのに相応しいドライバーなのかどうか、運転する方の価値も問われることになる(床まで踏めばいいというもんじゃない!)。
SUVでも、セダンでも、2シーターでも、人間とクルマの関係性の中でしか見えてこないものはある。
それぞれのクルマを、それぞれの乗り方、使い方で乗る。
その中で見えてくる、そのクルマとの関係を大切にする。
まあ、今のところは、こんなもんかなあ。
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