南風と海の幸 ― 2016年05月02日 20:11
南風と海の幸
書いたつもりになっていたが、書いていない。
そういうことが、たまにある。
逆はしょっちゅうなんだがな。
書こうとすることをネットで調べると、自分の記事がヒットする。
書いたことを忘れてしまう。
同じネタで、書き始めて、それに気づくと、自分の記事を引用して誤魔化す(ははは・・・)。
今回は逆だったが、青木繁の海の幸のことを書きたくなった。
(青木繁)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9D%92%E6%9C%A8%E7%B9%81
(なぜ青木繁は『海の幸』を描いたの?)
http://navi.tateyamacity.com/?p=7851
28歳で没した画家については、いろいろ書かれていて面白いが、しかし、なんといってもこの絵の迫力の前にはどうでもいい感じがする。
殆ど、未完成といってもいい絵だが、創造とはこういうことかと思わせる。
でっかい魚(サメ?)を担ぐ人、長い銛に掛けて運ぶ人、その長い銛だけを持って歩く人、赤銅色した身体を照らす夕日、背景は空と海と波、そして力強く踏みしめる地面だけ。
銛の柄が長過ぎるとか、突っ込んではならない。
横長の画面からはみ出す勢いの太い線は、画面を構成する重要な要素だ。
人々の間隔や、獲物の重量感、歩いている進行方向との関係など、練り上げられた構図だ。
波打ち際の線を見ると、水平でないことに気付く。
水平線だって、水平ではない・・・。
やや、波打って描かれている。
この絵は、浮沈子の遠い記憶を呼び覚ます。
子供のころ、この絵が描かれた千葉の館山に海水浴に通っていた。
無論、青木が描いた頃からは数十年が経っており、様子は違っているが、海と空と砂浜の記憶は重なるものがある。
夏の、アットーテキな暑さ、夕方の風の爽やかさ、ギラギラした夕日の色、漁村の匂い。
半世紀近くの時が経って、その記憶は普段は遠くしまわれているが、この絵を見ると思い出す。
解説を読むと、神話の世界ということになっているらしいが、そんな神話が生まれてもおかしくないリアルな絵だと感じる。
銛の柄は長過ぎるけどな・・・。
もう一枚、浮沈子の記憶に残る絵がある。
(和田三造「南風」)
http://www.tv-tokyo.co.jp/kyojin/backnumber/091010/
「『南風』は、和田が19歳の時に伊豆沖合で実際に経験した、舟の遭難を元に描かれています。」
そうとは知らなかったが、コントラストの強い画面からは、強い日差しと風が伝わってくる。
(和田三造)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%92%8C%E7%94%B0%E4%B8%89%E9%80%A0
「1902年(明治35年)、八丈島への渡航途上、暴風雨に会い漂流ののち伊豆大島へ漂着しており、これが後の『南風』制作の契機となった。」
発表は、漂流の2年後であり、人物の設定もやや異なる。
海を題材にした作品は数多い。
しかし、この2枚の絵画は、浮沈子の記憶に残り、何かにつけて思い出されることが多い。
南の島で、ダイビング三昧して、ヤシの木陰でウクレレ弾いてくれるネーチャンがいて、お昼寝用のハンモックがあって・・・。
浮沈子が不届きな妄想に駆られる原因は、この辺りにあるのかもしれない。
天気予報を見ると、東京地方は明日から強い南風が吹くという。
明治時代の同時期に、2人の画家によって描かれた2枚の絵。
ああ、考えてみれば、青木繁は、この絵を描くために生まれ、生きたのかもしれないなあ。
短い一生ではあったけれど、幸せな時間を過ごしたわけだ。
和田は、対照的に穏やかな人生を歩んでいる。
我が国の美術界に、大きな足跡を残した。
まあ、どうでもいいんですが。
南風の背景には、頂上を雲に覆われた島(たぶん)が描かれている。
ああ、島行きてえ!。
「雲ポッツリ、またポッツリ、ポッツリ!
波ピッチャリ、ピッチャリ!
砂ヂリヂリとやけて
風ムシムシとあつく
なぎたる空!はやりたる潮!」
青木が感じた夏の海辺の描写は、若々しく、エネルギーに溢れている。
そんな時代があったことを思い出しつつ、ショボくれた今を生きる。
やっぱ、南の島だな・・・。
ウクレレのネーチャンは居なくてもいいや・・・。
強い日差しと豊かな海があればいい。
CCRで潜れれば、サイコーだ・・・。
書いたつもりになっていたが、書いていない。
そういうことが、たまにある。
逆はしょっちゅうなんだがな。
書こうとすることをネットで調べると、自分の記事がヒットする。
書いたことを忘れてしまう。
同じネタで、書き始めて、それに気づくと、自分の記事を引用して誤魔化す(ははは・・・)。
今回は逆だったが、青木繁の海の幸のことを書きたくなった。
(青木繁)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9D%92%E6%9C%A8%E7%B9%81
(なぜ青木繁は『海の幸』を描いたの?)
http://navi.tateyamacity.com/?p=7851
28歳で没した画家については、いろいろ書かれていて面白いが、しかし、なんといってもこの絵の迫力の前にはどうでもいい感じがする。
殆ど、未完成といってもいい絵だが、創造とはこういうことかと思わせる。
でっかい魚(サメ?)を担ぐ人、長い銛に掛けて運ぶ人、その長い銛だけを持って歩く人、赤銅色した身体を照らす夕日、背景は空と海と波、そして力強く踏みしめる地面だけ。
銛の柄が長過ぎるとか、突っ込んではならない。
横長の画面からはみ出す勢いの太い線は、画面を構成する重要な要素だ。
人々の間隔や、獲物の重量感、歩いている進行方向との関係など、練り上げられた構図だ。
波打ち際の線を見ると、水平でないことに気付く。
水平線だって、水平ではない・・・。
やや、波打って描かれている。
この絵は、浮沈子の遠い記憶を呼び覚ます。
子供のころ、この絵が描かれた千葉の館山に海水浴に通っていた。
無論、青木が描いた頃からは数十年が経っており、様子は違っているが、海と空と砂浜の記憶は重なるものがある。
夏の、アットーテキな暑さ、夕方の風の爽やかさ、ギラギラした夕日の色、漁村の匂い。
半世紀近くの時が経って、その記憶は普段は遠くしまわれているが、この絵を見ると思い出す。
解説を読むと、神話の世界ということになっているらしいが、そんな神話が生まれてもおかしくないリアルな絵だと感じる。
銛の柄は長過ぎるけどな・・・。
もう一枚、浮沈子の記憶に残る絵がある。
(和田三造「南風」)
http://www.tv-tokyo.co.jp/kyojin/backnumber/091010/
「『南風』は、和田が19歳の時に伊豆沖合で実際に経験した、舟の遭難を元に描かれています。」
そうとは知らなかったが、コントラストの強い画面からは、強い日差しと風が伝わってくる。
(和田三造)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%92%8C%E7%94%B0%E4%B8%89%E9%80%A0
「1902年(明治35年)、八丈島への渡航途上、暴風雨に会い漂流ののち伊豆大島へ漂着しており、これが後の『南風』制作の契機となった。」
発表は、漂流の2年後であり、人物の設定もやや異なる。
海を題材にした作品は数多い。
しかし、この2枚の絵画は、浮沈子の記憶に残り、何かにつけて思い出されることが多い。
南の島で、ダイビング三昧して、ヤシの木陰でウクレレ弾いてくれるネーチャンがいて、お昼寝用のハンモックがあって・・・。
浮沈子が不届きな妄想に駆られる原因は、この辺りにあるのかもしれない。
天気予報を見ると、東京地方は明日から強い南風が吹くという。
明治時代の同時期に、2人の画家によって描かれた2枚の絵。
ああ、考えてみれば、青木繁は、この絵を描くために生まれ、生きたのかもしれないなあ。
短い一生ではあったけれど、幸せな時間を過ごしたわけだ。
和田は、対照的に穏やかな人生を歩んでいる。
我が国の美術界に、大きな足跡を残した。
まあ、どうでもいいんですが。
南風の背景には、頂上を雲に覆われた島(たぶん)が描かれている。
ああ、島行きてえ!。
「雲ポッツリ、またポッツリ、ポッツリ!
波ピッチャリ、ピッチャリ!
砂ヂリヂリとやけて
風ムシムシとあつく
なぎたる空!はやりたる潮!」
青木が感じた夏の海辺の描写は、若々しく、エネルギーに溢れている。
そんな時代があったことを思い出しつつ、ショボくれた今を生きる。
やっぱ、南の島だな・・・。
ウクレレのネーチャンは居なくてもいいや・・・。
強い日差しと豊かな海があればいい。
CCRで潜れれば、サイコーだ・・・。
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