ディバーシティ2017年01月09日 02:07

ディバーシティ


あまり耳慣れない単語で、カタカナ表記ではダイバーシティと英国風に書かれる。

(ダイバーシティ、ディバーシティ。)
http://simonsaxon.com/column/you-say-diversity-but-i-say-diversity/

「あなたはニーザー、わたしはナイザー。すなわち、あなたはディヴァーシティ、わたしはダイヴァーシティ。ポテイト、ポタト、トメイト、トマト、ああもうたくさんだ!」

ポタトというのは、初めて聞いたけどな。

(Potato, potato.)
http://happy-eng.net/onepoint/potato-potato/

「ポテイトはアメリカ発音で、ポタートはイギリス発音です。」

それはいいとして、この記事のスペリング(Potate)は違うような気がすんだがな。

まあ、どうでもいいんですが。

で、浮沈子はディバーシティというのは、無線関係のアンテナのことだとばかり思っていた。

(ダイバーシティ)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%80%E3%82%A4%E3%83%90%E3%83%BC%E3%82%B7%E3%83%86%E3%82%A3

「複数のアンテナで受信した同一の無線信号について、電波状況の優れたアンテナの信号を優先的に用いたり、受信した信号を合成してノイズを除去したりすることによって、通信の質や信頼性の向上を図る技術のことである。」

「工学分野では「ダイバーシチ」と表記する場合もある。」

ださ・・・。

まあ、どうでもいいんですが。

(第5回 最大比合成(Maximal Ratio Combining: MRC)ダイバーシチ受信 ~実験的検討に挑戦!どこのメーカも具体的に示していない無線LAN製品におけるダイバーシチ受信の性能状況 その5~)
http://www.netone.co.jp/report/column/20160209.html

(アンテナの本数による速度の違い)
http://www.iodata.jp/product/network/info/base/speed.htm

このまま、この話題をどこまでも掘り下げていった方が浮沈子的なんだが、今回はそうではない。

そもそも、ディバーシティの意味って、何なんだあ?。

(diversityとは)
http://ejje.weblio.jp/content/diversity

「1不可算名詞 多様性.」

浮沈子が、この単語を調べたのは、この記事を読んだからである。

(米大統領夫人が最後のメッセージ 「この国はあなた方のもの」)
http://www.afpbb.com/articles/-/3113379

「私たちの輝かしい多様性が私たちを形作っているのです」

浮沈子には、米国人がそれ程多様とは思えないがな。

しかし、初の黒人ファーストレディであるミシェルさんが発言することで、この言葉は格段に輝きを増す。

クリントンさんが言っても、あんまピンとこないだろうけどな。

まあいい。

「自由を当たり前のものと思ってはいけません。自分の自由を守るには自分の役割を果たさなければなりません」

「恐れないで──若者の皆さん、聞いてる?──恐れないで、目的意識を持って、決然とした姿勢で、自立し…模範を示してください。希望を持って、決して恐れずに」

まさに、彼女の信念そのものだったんだろう。

「トランプ氏が大統領に就任する今月20日、ミシェル夫人はバラク・オバマ(Barack Obama)大統領と共に、8年間過ごしてきたホワイトハウスを去る。」

一つの時代が終わり、新しい歴史が始まる。

よその国の話だが、米国の歴史を重ね合わせる時、ミシェルさんの言葉はズシリと重みを増すように感じる。

先住民の殺害、奴隷制の導入、度重なる大統領の暗殺、核兵器の使用・・・。

血塗られた歴史の上に立つ、世界最強の軍事国家だ。

もっとも、歴史上の主だった国々では、そうでない国の方が少ないけどな。

しかし、米国は別格だ。

間違いなく、人類史に残る国家だろう。

それを現代において正当化しているのは、多様性の容認と自由で公平な競争だ(結果は、公平じゃないかも)。

そのダイナミズムの上に立って、国家のカタチを維持している。

誰がホワイトハウスの住人になるとしても、この構造は簡単には覆るまい。

そうでなければ、米国は米国であることが出来なくなる。

我が国とのつながりが大きいというだけではなく、人類史の大いなる実験国家として、浮沈子はこの国を見ている。

米国人は、今、多様性という言葉の意味を本気で噛み締めなければならんだろうな。

我が国は、元々、多様性を尊重するような国じゃない。

明文化されない暗黙のルールの下で、統一された行動を要求される国だ。

良し悪しの問題ではなく、それが国情というものだ。

個人より組織、つーか、家族的繋がりの中での統一が、国のカタチを作ってきた。

別に、わが国固有の状況じゃない。

古くからある国家は、どこも似たようなもんだろう。

そういう視点で見ると、米国は新興国家であることを捨てて、伝統国家への道を歩み始めることになるのかもしれない。

ひょっとすると、今は、その転換点なのではないか。

多様性よりも統一性、個人よりも組織、家族的繋がりの中での国家形成・・・。

うーん、ちょっと想像できないけどな。

「この部屋にいる若者の皆さん、それから(この場面の映像を)ご覧になっている皆さん、この国はあなた方のものなのです。あらゆる経歴、あらゆる社会的地位のすべての人々のものなのだということを理解していてください」

米国はつくづく特殊な国だ。

世界の、どの国の元首(まあ、ファーストレディは元首じゃないけどな)であっても、こんなセリフは吐けない。

人類が棲息することが可能なただ一つの星の上で、今日も様々な出来事が起こっている。

さっき、ファルコン9の打ち上げ延期が報じられた。

(Launch moving due to high winds and rains at Vandenberg.)
https://twitter.com/SpaceX/status/818137294779478016

「Other range conflicts this week results in next available launch date being Jan 14.」

1週間、また、やきもきしながら過ごすわけだ。

もちろん、スペースXのイーロンマスクも、移民である(南ア→カナダ→米国)。

(イーロン・マスク)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%83%BC%E3%83%AD%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%9E%E3%82%B9%E3%82%AF

「アメリカは、すごいことを可能にする国だ」

多様性を受け入れ、自由で公平な競争を重んじる米国の象徴だ。

今回の表題は、米国風発音に従ってディバーシティとした(第2音節にアクセントを付け易い)。

えっ?、ディヴァーシティの方が、適切な表記じゃないかって?。

多様性を認めない狭量な浮沈子は、ディバーシティに一票だがな・・・。

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