月見草 ― 2012年09月10日 00:05
月見草
(富嶽百景)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AF%8C%E5%B6%BD%E7%99%BE%E6%99%AF
「1938年(昭和13年)9月13日に太宰は、井伏鱒二の勧めで山梨県南都留郡河口村(富士河口湖町河口)の御坂峠にある土産物屋兼旅館である天下茶屋を訪れる。」
「太宰が未完の長編である「火の鳥」を作成すべく、井伏鱒二の逗留する天下茶屋に3ヶ月間いる間に起こったことを小説にしている。」
太宰の小説は、「走れメロス」くらいしか知らなかった。
だって、なんとなく暗いイメージがあって、好きになれなかった。自殺未遂を繰り返し、最後には成功(?)する。小説は私小説っぽいし、読んでいて、楽しいもんじゃない。
捻くれたものの見方と、お坊ちゃん育ちの鼻持ちならない性格が、自分を見るようでイヤだったこともある。
「「おや、月見草。」
さう言つて、細い指でもつて、路傍の一箇所をゆびさした。さつと、バスは過ぎてゆき、私の目には、いま、ちらとひとめ見た黄金色の月見草の花ひとつ、花弁もあざやかに消えず残つた。
三七七八米の富士の山と、立派に相対峙し、みぢんもゆるがず、なんと言ふのか、金剛力草とでも言ひたいくらゐ、けなげにすつくと立つてゐたあの月見草は、よかつた。富士には、月見草がよく似合ふ。」
「私は、どてら着て山を歩きまはつて、月見草の種を両の手のひらに一ぱいとつて来て、それを茶店の背戸に播いてやつて、
「いいかい、これは僕の月見草だからね、来年また来て見るのだからね、ここへお洗濯の水なんか捨てちやいけないよ。」娘さんは、うなづいた。
ことさらに、月見草を選んだわけは、富士には月見草がよく似合ふと、思ひ込んだ事情があつたからである。」
わざと順序を逆にして引用した。
なるほど、月見草とは、太宰の化身なのだということが良く分かる。富士はさしずめ井伏鱒二というところか。あるいは、当時の文壇全体かもしれない。
この小説の中に出てくる「甲府の娘さん」こと、石原美智子と結婚した太宰は、しかし、9年後に愛人と心中する。
月見草の種を蒔いた太宰が、翌年来て見ることができたかは知らない。自らを月見草に映して立った現世には、見ることができなかったかもしれない。
(ツキミソウ)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%84%E3%82%AD%E3%83%9F%E3%82%BD%E3%82%A6
野村克也の代名詞であったとは、知らなかった。
富嶽百景の月見草は、マツヨイグサのことであると書いてある。
「一日花であり、多くの種が夕刻に開花し夜間咲きつづけ、翌朝には萎む。これが「月見草」や「待宵草」の名の由来である。」
今日は、大観山に登って富士を見ることができた。芦ノ湖の向こうに黒々とそびえていた。世界遺産に登録されるような話も聞くが、そんな人間の都合などとは関係なく、噴火を繰り返しながら成長してきた山である。
例によって、ごろごろチキンカレーを食べて、私も山を降りた。
「富士山、さやうなら、お世話になりました。パチリ。」
小説の最後の方に、こんな一言があって、心が和む。
が、最後の一節に愕然とする。
「その翌る日に、山を下りた。まづ、甲府の安宿に一泊して、そのあくる朝、安宿の廊下の汚い欄干によりかかり、富士を見ると、甲府の富士は、山々のうしろから、三分の一ほど顔を出してゐる。酸漿に似てゐた。」
(ホオズキ(鬼灯、酸漿))
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9B%E3%82%AA%E3%82%BA%E3%82%AD
「日本の仏教習俗であるお盆では、ガクに包まれたホオズキの果実を死者の霊を導く提灯に見立て、枝付きで精霊棚(盆棚)に飾る。」
その時の太宰が、酸漿に似た富士に何を見ていたのかは知らないが(小さく見えたことの象徴という解釈もあるようだが)、死者の霊を導く提灯を見ていたのだとすれば、後々の運命を暗示しているようで不気味である。
(富士山)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AF%8C%E5%A3%AB%E5%B1%B1
一度だけ、名古屋でトランジットしてサイパンに行ったことがある。夜の富士山を飛行機の窓から見下ろした。まるで空飛ぶ円盤のように、月明かりに照らされた山容は、不気味でもあり、神々しくもあった。
ちなみに、富士山の標高は、3776.24mである。
(富士山情報コーナー)
http://www.cbr.mlit.go.jp/fujisabo/fuji_info/fuji_info-top.html
(富嶽百景)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AF%8C%E5%B6%BD%E7%99%BE%E6%99%AF
「1938年(昭和13年)9月13日に太宰は、井伏鱒二の勧めで山梨県南都留郡河口村(富士河口湖町河口)の御坂峠にある土産物屋兼旅館である天下茶屋を訪れる。」
「太宰が未完の長編である「火の鳥」を作成すべく、井伏鱒二の逗留する天下茶屋に3ヶ月間いる間に起こったことを小説にしている。」
太宰の小説は、「走れメロス」くらいしか知らなかった。
だって、なんとなく暗いイメージがあって、好きになれなかった。自殺未遂を繰り返し、最後には成功(?)する。小説は私小説っぽいし、読んでいて、楽しいもんじゃない。
捻くれたものの見方と、お坊ちゃん育ちの鼻持ちならない性格が、自分を見るようでイヤだったこともある。
「「おや、月見草。」
さう言つて、細い指でもつて、路傍の一箇所をゆびさした。さつと、バスは過ぎてゆき、私の目には、いま、ちらとひとめ見た黄金色の月見草の花ひとつ、花弁もあざやかに消えず残つた。
三七七八米の富士の山と、立派に相対峙し、みぢんもゆるがず、なんと言ふのか、金剛力草とでも言ひたいくらゐ、けなげにすつくと立つてゐたあの月見草は、よかつた。富士には、月見草がよく似合ふ。」
「私は、どてら着て山を歩きまはつて、月見草の種を両の手のひらに一ぱいとつて来て、それを茶店の背戸に播いてやつて、
「いいかい、これは僕の月見草だからね、来年また来て見るのだからね、ここへお洗濯の水なんか捨てちやいけないよ。」娘さんは、うなづいた。
ことさらに、月見草を選んだわけは、富士には月見草がよく似合ふと、思ひ込んだ事情があつたからである。」
わざと順序を逆にして引用した。
なるほど、月見草とは、太宰の化身なのだということが良く分かる。富士はさしずめ井伏鱒二というところか。あるいは、当時の文壇全体かもしれない。
この小説の中に出てくる「甲府の娘さん」こと、石原美智子と結婚した太宰は、しかし、9年後に愛人と心中する。
月見草の種を蒔いた太宰が、翌年来て見ることができたかは知らない。自らを月見草に映して立った現世には、見ることができなかったかもしれない。
(ツキミソウ)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%84%E3%82%AD%E3%83%9F%E3%82%BD%E3%82%A6
野村克也の代名詞であったとは、知らなかった。
富嶽百景の月見草は、マツヨイグサのことであると書いてある。
「一日花であり、多くの種が夕刻に開花し夜間咲きつづけ、翌朝には萎む。これが「月見草」や「待宵草」の名の由来である。」
今日は、大観山に登って富士を見ることができた。芦ノ湖の向こうに黒々とそびえていた。世界遺産に登録されるような話も聞くが、そんな人間の都合などとは関係なく、噴火を繰り返しながら成長してきた山である。
例によって、ごろごろチキンカレーを食べて、私も山を降りた。
「富士山、さやうなら、お世話になりました。パチリ。」
小説の最後の方に、こんな一言があって、心が和む。
が、最後の一節に愕然とする。
「その翌る日に、山を下りた。まづ、甲府の安宿に一泊して、そのあくる朝、安宿の廊下の汚い欄干によりかかり、富士を見ると、甲府の富士は、山々のうしろから、三分の一ほど顔を出してゐる。酸漿に似てゐた。」
(ホオズキ(鬼灯、酸漿))
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9B%E3%82%AA%E3%82%BA%E3%82%AD
「日本の仏教習俗であるお盆では、ガクに包まれたホオズキの果実を死者の霊を導く提灯に見立て、枝付きで精霊棚(盆棚)に飾る。」
その時の太宰が、酸漿に似た富士に何を見ていたのかは知らないが(小さく見えたことの象徴という解釈もあるようだが)、死者の霊を導く提灯を見ていたのだとすれば、後々の運命を暗示しているようで不気味である。
(富士山)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AF%8C%E5%A3%AB%E5%B1%B1
一度だけ、名古屋でトランジットしてサイパンに行ったことがある。夜の富士山を飛行機の窓から見下ろした。まるで空飛ぶ円盤のように、月明かりに照らされた山容は、不気味でもあり、神々しくもあった。
ちなみに、富士山の標高は、3776.24mである。
(富士山情報コーナー)
http://www.cbr.mlit.go.jp/fujisabo/fuji_info/fuji_info-top.html
コメントをどうぞ
※メールアドレスとURLの入力は必須ではありません。 入力されたメールアドレスは記事に反映されず、ブログの管理者のみが参照できます。
※なお、送られたコメントはブログの管理者が確認するまで公開されません。
※投稿には管理者が設定した質問に答える必要があります。