パラダイムシフト ― 2015年03月11日 20:19
パラダイムシフト
(パラダイムシフト)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%91%E3%83%A9%E3%83%80%E3%82%A4%E3%83%A0%E3%82%B7%E3%83%95%E3%83%88
「その時代や分野において当然のことと考えられていた認識や思想、社会全体の価値観などが革命的にもしくは劇的に変化することを言う。」
その意味では、自動運転などは、もはやパラダイムシフトではない。
いつか、必ず訪れる変化で、既に一部ではあるが、実車にも導入されている。
(アウディ、自動運転車を2017年に市販化…新型 A8)
http://response.jp/article/2015/03/11/246313.html
「国内メーカーでも試作車や研究開発車両は公開されているものの、明確に「自動運転(パイロット・ドライビング)」と銘打って市販化されるのは、アウディが世界初となる。」
「新型A8の登場により、パラダイムシフトを迎えるだろう」
まあ、アウディにとっての劇的な変化であることは間違いない。
ディーゼルにターボ付けて回すだけが能じゃないぞ、自動運転だって出来るんだぞ・・・。
アウディの自動運転車については、サーキット走行だけかと思っていたら、いつの間にか公道走行もものにしてたわけだな。
(ロボットカー)
http://kfujito2.asablo.jp/blog/2014/10/20/7465543
自分で書いといてなんだが、いいとこ突いてるな。
「彼らの文化の中には、どこか機械に対する無批判な信頼を感じるのだ。」
「アウディは、あっさりと人間を切り捨ててしまう。」
「彼らにとっては、人間などという不合理極まりないものは、クルマの要素としては受け入れ難いに違いない。」
「どこのメーカーが、最初に完全自動運転車を市場に投入するか、浮沈子は注目している。」
「アウディは、嬉々として、可能であれば、真っ先に投入するかもしれない。
そういう会社だと、浮沈子は見ている。」
2017年といえば、もう、2年後である。
パラダイムシフトが起こるのかどうか。
考えてみれば、騎馬文明を背景にした自動車という乗り物が、騎手なしで駆け回るというのは、野生馬が草原を駆け抜けるというイメージに近い。
天衣無縫に自由に走り回る馬を手に入れて、人間の言うことを聞かせるというのが、ドライビングの真の意味である。
無人でクルマが走るというのは、考えてみれば当たり前のことなのかもしれない。
1馬力どころか、100頭、1000頭の馬を操るわけだ。
(ナイト2000)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8A%E3%82%A4%E3%83%882000
「加速性能:
パワーブースター搭載で、完全に静止した状態から0.2秒で時速100km/hに達する。ゼロヨン加速は時速480km/hで4.286秒。」
人間が持つわけないじゃないの・・・。
まあいい。
「オートクルーズ(自動運転):
ナイト2000をK.I.T.T.が操縦する機能。運転技術は当然ながらK.I.T.T.の方がマイケルより上。」
想定内の設定だな。
ことほどさように、騎馬民族の意識の中では、クルマがしゃべったり勝手に走ったりすることに対する違和感というのが、元々ないんじゃないのか。
「K.I.T.T.自身は人工知能である。K.I.T.T.の視点では、ナイト2000は自分が自由に出来る手足と考えるべきだろう。」
このフィクションは、なかなか良く出来てるな。
ソフトウェアがデバイスを支配し、人間とのインターフェースを取って、ロボットのように振舞う。
性格(車格かあ?)さえ持つ設定だ。
そのうち、性格がいいクルマとか、少しひねくれてるクルマとかが出てくるのかもしれない。
たぶん、その意味でも、アウディの自動運転車は、パラダイムシフトではない。
元々、彼らがイメージしていたクルマというものを、具現化するだけの話だ。
御者付きの馬車、運転手つきのクルマ。
そんなものは、とっくの昔に実現している。
そして、馬と人間のコミュニケーションということになれば、数千年の歴史がある。
今さらロボット化しても、パラダイムシフトにはならない。
結局、クルマという道具の原点に帰るだけだ。
移動のための手段で、通常は専任のドライバーがいて、オーナーよりも運転が上手い。
そんでもって、普段は大人しくしているクルマが、たまにオーナーが運転してくれたりすると、大喜びしてサーキットとかを走り回る。
それって、やっぱ騎馬民族の文化なんだろう。
浮沈子は、どっちかというと農耕馬的なイメージだなあ。
耕運機とかがそれに当る。
高精度のGPS使って自動運転で畑耕すとしても、これも、パラダイムシフトとは無縁だ。
自動車におけるパラダイムシフトがあるとすれば、自動車が命じるままに、人間がヘイコラして運転するクルマということになる。
なんかなあ、最近のカーナビとか、そういうノリだもんなあ。
パラダイムシフトは、既に訪れていたということかあ・・・。
(パラダイムシフト)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%91%E3%83%A9%E3%83%80%E3%82%A4%E3%83%A0%E3%82%B7%E3%83%95%E3%83%88
「その時代や分野において当然のことと考えられていた認識や思想、社会全体の価値観などが革命的にもしくは劇的に変化することを言う。」
その意味では、自動運転などは、もはやパラダイムシフトではない。
いつか、必ず訪れる変化で、既に一部ではあるが、実車にも導入されている。
(アウディ、自動運転車を2017年に市販化…新型 A8)
http://response.jp/article/2015/03/11/246313.html
「国内メーカーでも試作車や研究開発車両は公開されているものの、明確に「自動運転(パイロット・ドライビング)」と銘打って市販化されるのは、アウディが世界初となる。」
「新型A8の登場により、パラダイムシフトを迎えるだろう」
まあ、アウディにとっての劇的な変化であることは間違いない。
ディーゼルにターボ付けて回すだけが能じゃないぞ、自動運転だって出来るんだぞ・・・。
アウディの自動運転車については、サーキット走行だけかと思っていたら、いつの間にか公道走行もものにしてたわけだな。
(ロボットカー)
http://kfujito2.asablo.jp/blog/2014/10/20/7465543
自分で書いといてなんだが、いいとこ突いてるな。
「彼らの文化の中には、どこか機械に対する無批判な信頼を感じるのだ。」
「アウディは、あっさりと人間を切り捨ててしまう。」
「彼らにとっては、人間などという不合理極まりないものは、クルマの要素としては受け入れ難いに違いない。」
「どこのメーカーが、最初に完全自動運転車を市場に投入するか、浮沈子は注目している。」
「アウディは、嬉々として、可能であれば、真っ先に投入するかもしれない。
そういう会社だと、浮沈子は見ている。」
2017年といえば、もう、2年後である。
パラダイムシフトが起こるのかどうか。
考えてみれば、騎馬文明を背景にした自動車という乗り物が、騎手なしで駆け回るというのは、野生馬が草原を駆け抜けるというイメージに近い。
天衣無縫に自由に走り回る馬を手に入れて、人間の言うことを聞かせるというのが、ドライビングの真の意味である。
無人でクルマが走るというのは、考えてみれば当たり前のことなのかもしれない。
1馬力どころか、100頭、1000頭の馬を操るわけだ。
(ナイト2000)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8A%E3%82%A4%E3%83%882000
「加速性能:
パワーブースター搭載で、完全に静止した状態から0.2秒で時速100km/hに達する。ゼロヨン加速は時速480km/hで4.286秒。」
人間が持つわけないじゃないの・・・。
まあいい。
「オートクルーズ(自動運転):
ナイト2000をK.I.T.T.が操縦する機能。運転技術は当然ながらK.I.T.T.の方がマイケルより上。」
想定内の設定だな。
ことほどさように、騎馬民族の意識の中では、クルマがしゃべったり勝手に走ったりすることに対する違和感というのが、元々ないんじゃないのか。
「K.I.T.T.自身は人工知能である。K.I.T.T.の視点では、ナイト2000は自分が自由に出来る手足と考えるべきだろう。」
このフィクションは、なかなか良く出来てるな。
ソフトウェアがデバイスを支配し、人間とのインターフェースを取って、ロボットのように振舞う。
性格(車格かあ?)さえ持つ設定だ。
そのうち、性格がいいクルマとか、少しひねくれてるクルマとかが出てくるのかもしれない。
たぶん、その意味でも、アウディの自動運転車は、パラダイムシフトではない。
元々、彼らがイメージしていたクルマというものを、具現化するだけの話だ。
御者付きの馬車、運転手つきのクルマ。
そんなものは、とっくの昔に実現している。
そして、馬と人間のコミュニケーションということになれば、数千年の歴史がある。
今さらロボット化しても、パラダイムシフトにはならない。
結局、クルマという道具の原点に帰るだけだ。
移動のための手段で、通常は専任のドライバーがいて、オーナーよりも運転が上手い。
そんでもって、普段は大人しくしているクルマが、たまにオーナーが運転してくれたりすると、大喜びしてサーキットとかを走り回る。
それって、やっぱ騎馬民族の文化なんだろう。
浮沈子は、どっちかというと農耕馬的なイメージだなあ。
耕運機とかがそれに当る。
高精度のGPS使って自動運転で畑耕すとしても、これも、パラダイムシフトとは無縁だ。
自動車におけるパラダイムシフトがあるとすれば、自動車が命じるままに、人間がヘイコラして運転するクルマということになる。
なんかなあ、最近のカーナビとか、そういうノリだもんなあ。
パラダイムシフトは、既に訪れていたということかあ・・・。
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