空冷・RRの系譜 ― 2013年04月18日 00:37
空冷・RRの系譜
「ガソリン自動車が発明された初期には、動力伝達のための技術が未熟で、駆動輪である後輪至近にエンジンを搭載する必要から、リアエンジン方式にあたるレイアウトを採った自動車がほとんどであった。」とあるのは、このページ。
(リアエンジン:黎明期のリアエンジン車)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AA%E3%82%A2%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%82%B8%E3%83%B3#.E9.BB.8E.E6.98.8E.E6.9C.9F.E3.81.AE.E3.83.AA.E3.82.A2.E3.82.A8.E3.83.B3.E3.82.B8.E3.83.B3.E8.BB.8A
意外な記述に、正直驚く。
「最初のガソリン車とされる1888年のダイムラー車、ベンツ車はいずれもリアエンジンであり、その後1900年頃までリアエンジンは自動車の主流であった。」
主流ですぞ!。
911は、今でこそ、ヘンタイクルマ好き御用達のスポーツカー(!)と異端視されているが、初期の自動車の駆動方式を受け継ぐ正当な自動車の系譜に連なる。
今日でも、乗り合い自動車(バスですな)は、概ねRRである(1940年代に米国で開発)。
一時、FRの普及によって忘れ去られるが、第一次世界大戦後、自動車の大衆化、小型化により、FRの重いプロペラシャフトを取っ払ったシステムとして、再び注目を集める。
1934年にタトラの「T77」、1936年にメルセデス・ベンツの「170H」(W28)、1938年にはKdFヴァーゲン、のちのいわゆる「フォルクスワーゲン・タイプ1」が搭乗し、1945年から本格量産される。
「プロペラシャフトがなく、エンジンから駆動輪に至るまでのドライブトレーンが車体の一端に集中したリアエンジン車の構造は極めて合理的であり、重量を軽減しながら客室内に広い居住スペースを確保することができた。そのメリットは特に小型車で顕著であった。」とあるが、911に乗るとそのことを実感する。
83タルガは、小さな車なのだが、中は思いのほか広い。
フロントに、スペアタイヤとガソリンタンクが陣取っているので、トランクの容量は高が知れているが、キャビンはしっかりと2+2の広さがある。
第二次世界大戦後、「1946年発表のルノー・4CVを皮切りに、ヨーロッパの多くのメーカーがリアエンジン方式の小型車を開発するようになる。」
「ラジエータースペースの問題や軽量化のため、リアエンジン車には空冷エンジン車が多かったのも特徴的傾向である(ルノーのように水冷を用いた例も存在したが、概して簡易な空冷式への志向が強かった)。」という記述は、注目すべきである。
リアエンジン車と、空冷エンジンは、必然的な繋がりがあるのだ。
1948年のポルシェ・356(ベースはフォルクスワーゲン)が登場し、「車体形状の自由度が高くしかも軽量なリアエンジン方式のメリット」を活かした、スポーツカー分野のリアエンジンを普及させることになる。
「フィアット系リアエンジン大衆車をベースとした多くのイタリア製小型スポーツカー」も登場したとある。
小型車だけではない。タトラは、乗用車部門で、一貫してリアエンジン車を製造した。
「1934年のタトラ・T77以来、東側ブロック崩壊による民主化・チェコスロバキア解体後の1998年に「T700」の製造中止で乗用車業界から撤退するまで、一貫してリアエンジン乗用車を製造した。」とある。
タトラについては、また別項で書くつもりだ。
米国では「タッカーが1948年に発表した5.5L級の特異な大型車タッカー・トーピードが挙げられる」が、少数生産されただけに留まる。
GMも、「空冷水平対向6気筒のリアエンジン車「シボレー・コルヴェア」を1959年に発表した」のだが、「サスペンション設計とそのセッティングに根本的問題を抱えており、横転事故を起こしやすいという危険性を内包していた」という。
ラルフ・ネーダーにより「危険な欠陥車」として糾弾され、その対応を誤ったチョンボにより(?)、「コルヴェアは1968年に製造中止され、以後GMはリアエンジン乗用車を製造しなくなった。」
当時のサスペンションの限界によって、「乗用車クラスのリアエンジン車はオーバーステア傾向が強く、フロントエンジン車に比して直進安定性に劣るきらいがある」ことがクローズアップされた。
また、「客室とエンジンルームとの隔壁面積が大きく、遮音・遮熱面でも不利であったが、実用上の最大の問題はラゲッジスペースが不足することであった。フロントセクションは前輪の操向(舵取り)のため、ホイールハウスやステアリングリンケージに少なくないスペースを取られ、トランクとして利用するには、容積や形状の面でどうしてもフロントエンジン車のリアトランクには及ばなかった。」わけだ。
そして、リアエンジン=空冷の方程式もネックになる。
もともと、空冷リアエンジンは、水冷のラジエーターをフロントに積むデメリットを回避するという点では優れていたが、パワーアップを図ろうとすると、熱的限界の壁が立ちはだかる。
20世紀末に、空冷ポルシェがその歴史を閉じることになったのは、高性能化を追求するスポーツカーの必然であった。
「シボレー・コルベアと相前後して、1959年に発売されたイギリス・BMCのMiniが、小型前輪駆動車の普及の可能性を大きく広げた。」とある。
その後もFF車の開発は進み、21世紀は完全に水冷フロントエンジンの時代になった。
現代のクルマでRRなのは、ポルシェ・911、タタ・ナノ、スマート・フォーツーくらいのものである。
もちろん、エンジンは全て水冷である。
(空冷エンジン:自動車)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A9%BA%E5%86%B7%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%82%B8%E3%83%B3#.E8.87.AA.E5.8B.95.E8.BB.8A
「不凍液の登場までは、寒冷となる地域では空冷エンジンが大きな優位性を持っており、いかなる天候時にも乗る必要があった医者に多く用いられた。」とある。
ドクターズ・カーとしては、暖機をしないで直ちに発進できる点でも、優れていたということらしい。
「欧州では、チェコのタトラの影響が大きく、その後フォルクスワーゲン・タイプ1やポルシェ356がリアエンジンで空冷エンジンを採用した。さらにフォルクスワーゲンの成功からフォロワーが多く現れ、一時はGMやトヨタさえもが手がけるなど、第二次世界大戦後の大衆車ではリアエンジンと並び、空冷エンジンは流行のエンジニアリングとなった。」
ここんところは、特に強調しておきたいですな。リアエンジンと空冷が「流行」していたんだと!。
空冷エンジンの欠点としては、
①エンジンのみで快適なヒーターを実現することが不可能なこと
②エンジンの温度が大きく変化するため、排気ガス規制への対応が難しいこと
③騒音に関して水冷と比較すると非常に不利であること
が挙げられている。
「空冷の代名詞でもあったポルシェのタイプ993が、通過騒音規制をクリアすることが出来ないことを理由に1998年に、またメキシコ生産のフォルクスワーゲン・タイプ1も排ガス規制に適合できず2003年に、それぞれその幕を閉じ、空冷乗用車の歴史は終焉を迎えた。」クーッ!、泣けるなあ・・・。
「高度に進化した現代の自動車においては、水漏れの心配がないこと以外に空冷エンジンを採用するメリットはない」などと、断言しているが、エンジニアリングとしてはその通りである(しかも、水漏れの心配はないが、オイル漏れはある・・・)。
航空機やオートバイについても、空冷エンジンは最早主流ではない。
汎用エンジンとしては広く普及しているが、移動体のエンジンとしては既に過去の遺物である。
「旧車など、趣味の世界では空冷エンジン独特の冷却ファンの音を好む愛好家は多く、その希少性からも依然として根強い人気がある。」とある。
趣味の世界、か。
まあ、そうかもしれない。
本田宗一郎が空冷エンジン車に拘り続けた話は、あまりにも有名である。
(ホンダ・1300)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9B%E3%83%B3%E3%83%80%E3%83%BB1300
「水冷よりも空冷を推す本田宗一郎の技術的信念」とある。
「宗一郎が会社を引退するまで間、当車種を通勤用の車として使用し続けた。」ともある。
涙が出そうだ・・・。
経営者としてよりも、あくまで技術屋として、会社と関わりたかった思いが痛いほど分かる。
このクルマの経営的失敗により、本田宗一郎は設計の第一線から退く事にもなった。
エンジンとしては優秀であった。
「エンジンは、オールアルミ製 1,298cc 直4 SOHC 8バルブ クロスフローで、シングルキャブレター仕様で100PS/7,200rpm、4連キャブレター仕様は115PS/7,500rpmを発揮、この出力は当時の1.3L級エンジンとしては極めて優秀であり、1.8 - 2.0L 並みであった。」とある。
技術のホンダの面目躍如である(技術の日産だっけ?)。
長々とリアエンジン車と空冷エンジンについて、ウィキの記述を追ってきて感じるのは、ポルシェ911が空冷リアエンジンという構成を1998年まで続けていたことが、如何に非凡であるかということだ。
ホンダ・1300が生産を終了した1972年などは、ナローの末期であり、ビンテージとなる「ナナサンカレラ」は、まだ出ていない!。
ポルシェにとっては、空冷エンジン真っ盛りの頃なのである。
また、タトラを除いて、大型高級車には空冷リアエンジンの採用はない。騒音問題の解決がネックになったと思われる。
83タルガは、それなりの勇ましい音をたてて走る。
ヒーターが利くかどうかは、冬場に走ってみないと分からない。
直進安定性が悪いことは、納車の帰りに一発で分かった。
所詮、21世紀にこのクルマに乗るということは、「趣味の世界」以外のなにものでもない。
自動車の黎明期には「主流だった」エンジンとその搭載や駆動方式、第二次世界大戦後、再び「流行した」空冷RR・・・。
83タルガに乗るということは、100年以上に渡る自動車の歴史に思いを馳せ、技術の進歩に驚き、その中で現れては消えていったクルマたちや、その設計・生産に関わった多くの人々に哀悼の誠を捧げることに他ならない。
決して、覆面に気を配りながら、高速をぶっ飛ばすことだけではないのだ(架空の話・・・)。
「ガソリン自動車が発明された初期には、動力伝達のための技術が未熟で、駆動輪である後輪至近にエンジンを搭載する必要から、リアエンジン方式にあたるレイアウトを採った自動車がほとんどであった。」とあるのは、このページ。
(リアエンジン:黎明期のリアエンジン車)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AA%E3%82%A2%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%82%B8%E3%83%B3#.E9.BB.8E.E6.98.8E.E6.9C.9F.E3.81.AE.E3.83.AA.E3.82.A2.E3.82.A8.E3.83.B3.E3.82.B8.E3.83.B3.E8.BB.8A
意外な記述に、正直驚く。
「最初のガソリン車とされる1888年のダイムラー車、ベンツ車はいずれもリアエンジンであり、その後1900年頃までリアエンジンは自動車の主流であった。」
主流ですぞ!。
911は、今でこそ、ヘンタイクルマ好き御用達のスポーツカー(!)と異端視されているが、初期の自動車の駆動方式を受け継ぐ正当な自動車の系譜に連なる。
今日でも、乗り合い自動車(バスですな)は、概ねRRである(1940年代に米国で開発)。
一時、FRの普及によって忘れ去られるが、第一次世界大戦後、自動車の大衆化、小型化により、FRの重いプロペラシャフトを取っ払ったシステムとして、再び注目を集める。
1934年にタトラの「T77」、1936年にメルセデス・ベンツの「170H」(W28)、1938年にはKdFヴァーゲン、のちのいわゆる「フォルクスワーゲン・タイプ1」が搭乗し、1945年から本格量産される。
「プロペラシャフトがなく、エンジンから駆動輪に至るまでのドライブトレーンが車体の一端に集中したリアエンジン車の構造は極めて合理的であり、重量を軽減しながら客室内に広い居住スペースを確保することができた。そのメリットは特に小型車で顕著であった。」とあるが、911に乗るとそのことを実感する。
83タルガは、小さな車なのだが、中は思いのほか広い。
フロントに、スペアタイヤとガソリンタンクが陣取っているので、トランクの容量は高が知れているが、キャビンはしっかりと2+2の広さがある。
第二次世界大戦後、「1946年発表のルノー・4CVを皮切りに、ヨーロッパの多くのメーカーがリアエンジン方式の小型車を開発するようになる。」
「ラジエータースペースの問題や軽量化のため、リアエンジン車には空冷エンジン車が多かったのも特徴的傾向である(ルノーのように水冷を用いた例も存在したが、概して簡易な空冷式への志向が強かった)。」という記述は、注目すべきである。
リアエンジン車と、空冷エンジンは、必然的な繋がりがあるのだ。
1948年のポルシェ・356(ベースはフォルクスワーゲン)が登場し、「車体形状の自由度が高くしかも軽量なリアエンジン方式のメリット」を活かした、スポーツカー分野のリアエンジンを普及させることになる。
「フィアット系リアエンジン大衆車をベースとした多くのイタリア製小型スポーツカー」も登場したとある。
小型車だけではない。タトラは、乗用車部門で、一貫してリアエンジン車を製造した。
「1934年のタトラ・T77以来、東側ブロック崩壊による民主化・チェコスロバキア解体後の1998年に「T700」の製造中止で乗用車業界から撤退するまで、一貫してリアエンジン乗用車を製造した。」とある。
タトラについては、また別項で書くつもりだ。
米国では「タッカーが1948年に発表した5.5L級の特異な大型車タッカー・トーピードが挙げられる」が、少数生産されただけに留まる。
GMも、「空冷水平対向6気筒のリアエンジン車「シボレー・コルヴェア」を1959年に発表した」のだが、「サスペンション設計とそのセッティングに根本的問題を抱えており、横転事故を起こしやすいという危険性を内包していた」という。
ラルフ・ネーダーにより「危険な欠陥車」として糾弾され、その対応を誤ったチョンボにより(?)、「コルヴェアは1968年に製造中止され、以後GMはリアエンジン乗用車を製造しなくなった。」
当時のサスペンションの限界によって、「乗用車クラスのリアエンジン車はオーバーステア傾向が強く、フロントエンジン車に比して直進安定性に劣るきらいがある」ことがクローズアップされた。
また、「客室とエンジンルームとの隔壁面積が大きく、遮音・遮熱面でも不利であったが、実用上の最大の問題はラゲッジスペースが不足することであった。フロントセクションは前輪の操向(舵取り)のため、ホイールハウスやステアリングリンケージに少なくないスペースを取られ、トランクとして利用するには、容積や形状の面でどうしてもフロントエンジン車のリアトランクには及ばなかった。」わけだ。
そして、リアエンジン=空冷の方程式もネックになる。
もともと、空冷リアエンジンは、水冷のラジエーターをフロントに積むデメリットを回避するという点では優れていたが、パワーアップを図ろうとすると、熱的限界の壁が立ちはだかる。
20世紀末に、空冷ポルシェがその歴史を閉じることになったのは、高性能化を追求するスポーツカーの必然であった。
「シボレー・コルベアと相前後して、1959年に発売されたイギリス・BMCのMiniが、小型前輪駆動車の普及の可能性を大きく広げた。」とある。
その後もFF車の開発は進み、21世紀は完全に水冷フロントエンジンの時代になった。
現代のクルマでRRなのは、ポルシェ・911、タタ・ナノ、スマート・フォーツーくらいのものである。
もちろん、エンジンは全て水冷である。
(空冷エンジン:自動車)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A9%BA%E5%86%B7%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%82%B8%E3%83%B3#.E8.87.AA.E5.8B.95.E8.BB.8A
「不凍液の登場までは、寒冷となる地域では空冷エンジンが大きな優位性を持っており、いかなる天候時にも乗る必要があった医者に多く用いられた。」とある。
ドクターズ・カーとしては、暖機をしないで直ちに発進できる点でも、優れていたということらしい。
「欧州では、チェコのタトラの影響が大きく、その後フォルクスワーゲン・タイプ1やポルシェ356がリアエンジンで空冷エンジンを採用した。さらにフォルクスワーゲンの成功からフォロワーが多く現れ、一時はGMやトヨタさえもが手がけるなど、第二次世界大戦後の大衆車ではリアエンジンと並び、空冷エンジンは流行のエンジニアリングとなった。」
ここんところは、特に強調しておきたいですな。リアエンジンと空冷が「流行」していたんだと!。
空冷エンジンの欠点としては、
①エンジンのみで快適なヒーターを実現することが不可能なこと
②エンジンの温度が大きく変化するため、排気ガス規制への対応が難しいこと
③騒音に関して水冷と比較すると非常に不利であること
が挙げられている。
「空冷の代名詞でもあったポルシェのタイプ993が、通過騒音規制をクリアすることが出来ないことを理由に1998年に、またメキシコ生産のフォルクスワーゲン・タイプ1も排ガス規制に適合できず2003年に、それぞれその幕を閉じ、空冷乗用車の歴史は終焉を迎えた。」クーッ!、泣けるなあ・・・。
「高度に進化した現代の自動車においては、水漏れの心配がないこと以外に空冷エンジンを採用するメリットはない」などと、断言しているが、エンジニアリングとしてはその通りである(しかも、水漏れの心配はないが、オイル漏れはある・・・)。
航空機やオートバイについても、空冷エンジンは最早主流ではない。
汎用エンジンとしては広く普及しているが、移動体のエンジンとしては既に過去の遺物である。
「旧車など、趣味の世界では空冷エンジン独特の冷却ファンの音を好む愛好家は多く、その希少性からも依然として根強い人気がある。」とある。
趣味の世界、か。
まあ、そうかもしれない。
本田宗一郎が空冷エンジン車に拘り続けた話は、あまりにも有名である。
(ホンダ・1300)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9B%E3%83%B3%E3%83%80%E3%83%BB1300
「水冷よりも空冷を推す本田宗一郎の技術的信念」とある。
「宗一郎が会社を引退するまで間、当車種を通勤用の車として使用し続けた。」ともある。
涙が出そうだ・・・。
経営者としてよりも、あくまで技術屋として、会社と関わりたかった思いが痛いほど分かる。
このクルマの経営的失敗により、本田宗一郎は設計の第一線から退く事にもなった。
エンジンとしては優秀であった。
「エンジンは、オールアルミ製 1,298cc 直4 SOHC 8バルブ クロスフローで、シングルキャブレター仕様で100PS/7,200rpm、4連キャブレター仕様は115PS/7,500rpmを発揮、この出力は当時の1.3L級エンジンとしては極めて優秀であり、1.8 - 2.0L 並みであった。」とある。
技術のホンダの面目躍如である(技術の日産だっけ?)。
長々とリアエンジン車と空冷エンジンについて、ウィキの記述を追ってきて感じるのは、ポルシェ911が空冷リアエンジンという構成を1998年まで続けていたことが、如何に非凡であるかということだ。
ホンダ・1300が生産を終了した1972年などは、ナローの末期であり、ビンテージとなる「ナナサンカレラ」は、まだ出ていない!。
ポルシェにとっては、空冷エンジン真っ盛りの頃なのである。
また、タトラを除いて、大型高級車には空冷リアエンジンの採用はない。騒音問題の解決がネックになったと思われる。
83タルガは、それなりの勇ましい音をたてて走る。
ヒーターが利くかどうかは、冬場に走ってみないと分からない。
直進安定性が悪いことは、納車の帰りに一発で分かった。
所詮、21世紀にこのクルマに乗るということは、「趣味の世界」以外のなにものでもない。
自動車の黎明期には「主流だった」エンジンとその搭載や駆動方式、第二次世界大戦後、再び「流行した」空冷RR・・・。
83タルガに乗るということは、100年以上に渡る自動車の歴史に思いを馳せ、技術の進歩に驚き、その中で現れては消えていったクルマたちや、その設計・生産に関わった多くの人々に哀悼の誠を捧げることに他ならない。
決して、覆面に気を配りながら、高速をぶっ飛ばすことだけではないのだ(架空の話・・・)。
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