水中世界の楽しみ ― 2015年08月10日 02:01
水中世界の楽しみ
夏真っ盛り!。
海の季節、ダイバーにとっては、シーズンである。
昨日、今日と、海の事故が報じられていて、ちょっと悲しい。
ダイビング関係に絞っても、シュノーケリング中の方と、なんと、ダイバーが亡くなったという記事がある。
(シュノーケリング中の男性死亡 熱海の海水浴場)
http://www.sankei.com/affairs/news/150808/afr1508080013-n1.html
(シュノーケリングの親子おぼれ父死亡 千葉・勝浦)
http://www.asahi.com/articles/ASH89427XH89UDCB006.html
(海、川、山の事故で6人死亡、20人がけが)
http://www.sankei.com/affairs/news/150809/afr1508090017-n1.html
ダイビングの事故は、講習中だった可能性がある。
(ダイビング中の女性死亡 レギュレーター外れる? 高知)
http://www.asahi.com/articles/ASH895WVYH89PTIL015.html
「柴田さんは9日午前10時20分ごろからインストラクターの女性や夫、知人男性らとともに海に潜った。柴田さんは空気を吸うために口にくわえる「レギュレーター」が外れてもがいていたといい、インストラクターが気づいて救助しようとしたという。現場の水深は約3メートルだった。」
他人事じゃねえな・・・。
とっさの時に、レギュレーターリカバリーができなかったのか、パニックになってしまったのか。
水深3mとあるので、限定水域でのトレーニングかもしれない。
足の着くところで、練習してから行ったんだろうか?。
EFRは適切に行われたんだろうか?。
いやあ、気になる記事だな。
熱海のシュノーケリングの事故は、浮沈子が帰ってくる途中で通った所だ。
千葉の勝浦といえば、以前行ったことがある。
シュノーケリングといえども、侮ることはできない。
こういった水の事故に接する度に、安全管理(危機管理)の重要性を改めて認識する。
ダイビング(シュノーケリングも含めて)は、水中世界の入り口で、非日常的な体験が比較的手軽に出来る。
特に、シュノーケリングは、高価な器材やトレーニングも不要(?)で、簡単そうに見えるので、親しむ方も多いのではないか。
浮沈子は、ダイブマスターの24スキルの時に、初めて本格的に教わった。
それ以前は、小浜島でオプショナルツアーに参加したときとか、テニアン島で、カメツアーに参加したとき(ライフジャケット着用)など、いわゆる、水面を泳ぐシュノーケリングだけだ。
(シュノーケリング)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%83%8E%E3%83%BC%E3%82%B1%E3%83%AA%E3%83%B3%E3%82%B0
「シュノーケルを身につけて、水面または比較的浅い水中を游泳する」
でも、あれって、不用意に呼吸すると、大量の水を一気に飲んでしまってむせかえることになる。
考えようによっては、レギュレーターから吸うよりヤバイ。
パージボタン、ないし・・・。
そのレギュレーターにしても、口にくわえているだけなので、フィンで蹴られたりして外れてしまうと、探してくわえなおすことになる。
見つからなければオクトパス(予備のレギュレーター)を掴んで、そっちを吸うとか、とっさに対応できればいいんだが、慌てているときには気づかないのだ。
レギュレーターリカバリーなんて、初歩中の初歩だが、それだけ重要なスキルであるともいえる(そういえば、オクトパスから吸うという練習はやらないなあ)。
水中では、とりあえず、呼吸さえできれば何とかなる。
そりゃあ、マスククリアとか、上手にできた方が快適だし、中世浮力が取れるに越したことはないが、呼吸ができなくなるというのはレベルが違う。
水中で息が出来なければ、あの世行きになる。
シュノーケリングの事故の直接の原因が、溺水かどうかは分からない。
勝浦の事故は、溺れていたというから、そうだろう。
しかし、なぜ溺水したかは分からない。
水深4mとか、ダイビングではオープンウォーター講習もできない程度の浅い水深だが、人間の命を奪うのには十分な深さだ。
ダイビングを楽しむには、それ相応の訓練を積んで、様々な器材の操作を確実にできるようにしなければならない。
マスタリー(PADI語?)しなければ、認定はもらえない。
だから、認定する側の責任は重大だし、その見極めは人間が行うよりほかにないのだ。
しっかりと必要なスキルが出来るようになって、初めて水中世界を楽しむことができる。
それは、シュノーケリングであっても同じだろう。
非日常的な世界には、それなりの危険があり、それに対処できなければ事故は避けられない。
遊泳禁止の場所で泳いだり、潜水禁止の場所で潜れば、それでなくてもリスキーな世界が、より危険な状況になる。
楽しみのために潜るということは、それなりの制限を受け入れるところから始まる。
危険を承知で行う行為ではあるが、それをある程度コントロールしなければ、危険なだけの行為になる。
一般的な基準と、状況に応じた判断が重要だ。
いつもなら、何の問題もない場所でも、時によっては危険になることもある。
まあ、逆は少ないけどな。
ダイビングは危険と隣り合わせ、何時、何が起こるか分からない。
予測可能な危険は避け、受け入れ可能なリスクに留まるよう、配慮しなければならない。
そのリスクに対しては、しっかりとトレーニングを積んだり、器材も整備して対処するし、状況を判断して、撤収する勇気も持たなければならない。
増してや、ノンダイバーをトレーニングしてダイバーに仕立てるオープンウォーターコース(PADIの場合)は、なおさらである。
水中や水面でも、何が起こるかわからない。
何かが起こってから対処するのでは遅過ぎる。
生徒の抱えている全般的なストレスや、苦手意識を把握することはもちろん、特定の状況下で陥りやすいトラブルを事前に予測し、それに直ちに対処できるような「構え」をしておくことが重要だろう。
実際、パニックになったダイバーを見たことがあるが、常識では考えられないような行動を取る。
レギュレーターを口から外して、水面に駆け上がろうとする・・・(ヤバッ!)。
幸い、事故にはならなかったが、見てる方は気が気じゃあない(浮沈子は、少し離れていたので、見てただけ・・・)。
Cカード持ちでも、一寸先は闇だな。
自分の命は自分で守るしかないが、子供やトレーニング中のダイバーは、大人やインストラクターが守ってやらなければならない。
激ヤバな状況になったら、守れるだろうか?。
ハッキリ言って、浮沈子にはその自信はない。
せめて、激ヤバにならないような配慮をするとか、ちょいヤバくらいのうちに対処するのが精一杯だ。
可能であれば、まっさらなオープンウォーターコースの生徒は教えたくないな(そんなことで、いいと思ってんのかあ?)。
足の立つところで、マスククリアの練習するくらいならいいかもしれない(それだって、やばいことになる可能性はある)。
シュノーケリングなんて、もっての外だ(浮沈子は、未だに苦手です)。
幸い、IEには、シュノーケリングは出ない(水面でのレギュレーターとの交換は、出るだろうな)。
水中で息止めて泳ぐなんて、イルカじゃあるまいし、できっこない!。
シュノーケリングは、意外に難しいのだ。
しかも、海面で行えば、波とかもある。
波打ち際や、沖合でも、波頭が立つ辺りは危険水域だ。
水を飲めば、パニックになることもある。
ライフジャケットなど、浮力体がない場合には、溺れの危険が高まる。
水中世界の楽しみについて書こうと思ったが、事故の記事を枕にしたら、それだけになってしまった。
亡くなられた方には言葉もないが、生きている我々、しかも、ダイビングにかかわる者が出来ることがあるとすれば、その過ちを繰り返さないことだけだ。
一番いいのは、ダイビングから直ちに足を洗うこと。
まあ、それが当分無理なら、2番目には、せめて自分が関わるダイビングでは事故を起こさないように全力を尽くすことだな。
3番目に、もし可能なら、安全意識の高いダイバーを育てて、彼らもまた、その周囲での事故を未然に防ぐ側に立つことの手助けをすることだ。
安全なダイビングなど、どこにもないのだ。
水中世界は、人間にとって危険に満ちた世界である。
事故の報に接する度に、その思いを新たにする。
少しだけ危険なダイビングと、かなり危険なダイビングと、むちゃくちゃ危険なダイビング・・・。
状況やダイバーのスキルによっても、器材や運用によっても変わってくるが、その永遠の課題に万能の解決策はない。
あらゆる危険を予測し、可能な限り対策して、なお発生する事故に備える。
自己鍛錬と他者への啓発、強制(!)、排除(!!)。
ああ、気が重いな・・・。
浮沈子自身が、排除されそうな状況の中で、少しでも自分自身にできそうなことをやれないかと苦悶する。
安全は、唱えるだけでは付いてこない。
具体的な行動の、気の遠くなるような積み重ねの果てに、うっすらと見えてくる幻のようなものだ。
水深3mでの講習中の溺死かあ・・・。
ちょっと、ショックが大きかったな。
夏真っ盛り!。
海の季節、ダイバーにとっては、シーズンである。
昨日、今日と、海の事故が報じられていて、ちょっと悲しい。
ダイビング関係に絞っても、シュノーケリング中の方と、なんと、ダイバーが亡くなったという記事がある。
(シュノーケリング中の男性死亡 熱海の海水浴場)
http://www.sankei.com/affairs/news/150808/afr1508080013-n1.html
(シュノーケリングの親子おぼれ父死亡 千葉・勝浦)
http://www.asahi.com/articles/ASH89427XH89UDCB006.html
(海、川、山の事故で6人死亡、20人がけが)
http://www.sankei.com/affairs/news/150809/afr1508090017-n1.html
ダイビングの事故は、講習中だった可能性がある。
(ダイビング中の女性死亡 レギュレーター外れる? 高知)
http://www.asahi.com/articles/ASH895WVYH89PTIL015.html
「柴田さんは9日午前10時20分ごろからインストラクターの女性や夫、知人男性らとともに海に潜った。柴田さんは空気を吸うために口にくわえる「レギュレーター」が外れてもがいていたといい、インストラクターが気づいて救助しようとしたという。現場の水深は約3メートルだった。」
他人事じゃねえな・・・。
とっさの時に、レギュレーターリカバリーができなかったのか、パニックになってしまったのか。
水深3mとあるので、限定水域でのトレーニングかもしれない。
足の着くところで、練習してから行ったんだろうか?。
EFRは適切に行われたんだろうか?。
いやあ、気になる記事だな。
熱海のシュノーケリングの事故は、浮沈子が帰ってくる途中で通った所だ。
千葉の勝浦といえば、以前行ったことがある。
シュノーケリングといえども、侮ることはできない。
こういった水の事故に接する度に、安全管理(危機管理)の重要性を改めて認識する。
ダイビング(シュノーケリングも含めて)は、水中世界の入り口で、非日常的な体験が比較的手軽に出来る。
特に、シュノーケリングは、高価な器材やトレーニングも不要(?)で、簡単そうに見えるので、親しむ方も多いのではないか。
浮沈子は、ダイブマスターの24スキルの時に、初めて本格的に教わった。
それ以前は、小浜島でオプショナルツアーに参加したときとか、テニアン島で、カメツアーに参加したとき(ライフジャケット着用)など、いわゆる、水面を泳ぐシュノーケリングだけだ。
(シュノーケリング)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%83%8E%E3%83%BC%E3%82%B1%E3%83%AA%E3%83%B3%E3%82%B0
「シュノーケルを身につけて、水面または比較的浅い水中を游泳する」
でも、あれって、不用意に呼吸すると、大量の水を一気に飲んでしまってむせかえることになる。
考えようによっては、レギュレーターから吸うよりヤバイ。
パージボタン、ないし・・・。
そのレギュレーターにしても、口にくわえているだけなので、フィンで蹴られたりして外れてしまうと、探してくわえなおすことになる。
見つからなければオクトパス(予備のレギュレーター)を掴んで、そっちを吸うとか、とっさに対応できればいいんだが、慌てているときには気づかないのだ。
レギュレーターリカバリーなんて、初歩中の初歩だが、それだけ重要なスキルであるともいえる(そういえば、オクトパスから吸うという練習はやらないなあ)。
水中では、とりあえず、呼吸さえできれば何とかなる。
そりゃあ、マスククリアとか、上手にできた方が快適だし、中世浮力が取れるに越したことはないが、呼吸ができなくなるというのはレベルが違う。
水中で息が出来なければ、あの世行きになる。
シュノーケリングの事故の直接の原因が、溺水かどうかは分からない。
勝浦の事故は、溺れていたというから、そうだろう。
しかし、なぜ溺水したかは分からない。
水深4mとか、ダイビングではオープンウォーター講習もできない程度の浅い水深だが、人間の命を奪うのには十分な深さだ。
ダイビングを楽しむには、それ相応の訓練を積んで、様々な器材の操作を確実にできるようにしなければならない。
マスタリー(PADI語?)しなければ、認定はもらえない。
だから、認定する側の責任は重大だし、その見極めは人間が行うよりほかにないのだ。
しっかりと必要なスキルが出来るようになって、初めて水中世界を楽しむことができる。
それは、シュノーケリングであっても同じだろう。
非日常的な世界には、それなりの危険があり、それに対処できなければ事故は避けられない。
遊泳禁止の場所で泳いだり、潜水禁止の場所で潜れば、それでなくてもリスキーな世界が、より危険な状況になる。
楽しみのために潜るということは、それなりの制限を受け入れるところから始まる。
危険を承知で行う行為ではあるが、それをある程度コントロールしなければ、危険なだけの行為になる。
一般的な基準と、状況に応じた判断が重要だ。
いつもなら、何の問題もない場所でも、時によっては危険になることもある。
まあ、逆は少ないけどな。
ダイビングは危険と隣り合わせ、何時、何が起こるか分からない。
予測可能な危険は避け、受け入れ可能なリスクに留まるよう、配慮しなければならない。
そのリスクに対しては、しっかりとトレーニングを積んだり、器材も整備して対処するし、状況を判断して、撤収する勇気も持たなければならない。
増してや、ノンダイバーをトレーニングしてダイバーに仕立てるオープンウォーターコース(PADIの場合)は、なおさらである。
水中や水面でも、何が起こるかわからない。
何かが起こってから対処するのでは遅過ぎる。
生徒の抱えている全般的なストレスや、苦手意識を把握することはもちろん、特定の状況下で陥りやすいトラブルを事前に予測し、それに直ちに対処できるような「構え」をしておくことが重要だろう。
実際、パニックになったダイバーを見たことがあるが、常識では考えられないような行動を取る。
レギュレーターを口から外して、水面に駆け上がろうとする・・・(ヤバッ!)。
幸い、事故にはならなかったが、見てる方は気が気じゃあない(浮沈子は、少し離れていたので、見てただけ・・・)。
Cカード持ちでも、一寸先は闇だな。
自分の命は自分で守るしかないが、子供やトレーニング中のダイバーは、大人やインストラクターが守ってやらなければならない。
激ヤバな状況になったら、守れるだろうか?。
ハッキリ言って、浮沈子にはその自信はない。
せめて、激ヤバにならないような配慮をするとか、ちょいヤバくらいのうちに対処するのが精一杯だ。
可能であれば、まっさらなオープンウォーターコースの生徒は教えたくないな(そんなことで、いいと思ってんのかあ?)。
足の立つところで、マスククリアの練習するくらいならいいかもしれない(それだって、やばいことになる可能性はある)。
シュノーケリングなんて、もっての外だ(浮沈子は、未だに苦手です)。
幸い、IEには、シュノーケリングは出ない(水面でのレギュレーターとの交換は、出るだろうな)。
水中で息止めて泳ぐなんて、イルカじゃあるまいし、できっこない!。
シュノーケリングは、意外に難しいのだ。
しかも、海面で行えば、波とかもある。
波打ち際や、沖合でも、波頭が立つ辺りは危険水域だ。
水を飲めば、パニックになることもある。
ライフジャケットなど、浮力体がない場合には、溺れの危険が高まる。
水中世界の楽しみについて書こうと思ったが、事故の記事を枕にしたら、それだけになってしまった。
亡くなられた方には言葉もないが、生きている我々、しかも、ダイビングにかかわる者が出来ることがあるとすれば、その過ちを繰り返さないことだけだ。
一番いいのは、ダイビングから直ちに足を洗うこと。
まあ、それが当分無理なら、2番目には、せめて自分が関わるダイビングでは事故を起こさないように全力を尽くすことだな。
3番目に、もし可能なら、安全意識の高いダイバーを育てて、彼らもまた、その周囲での事故を未然に防ぐ側に立つことの手助けをすることだ。
安全なダイビングなど、どこにもないのだ。
水中世界は、人間にとって危険に満ちた世界である。
事故の報に接する度に、その思いを新たにする。
少しだけ危険なダイビングと、かなり危険なダイビングと、むちゃくちゃ危険なダイビング・・・。
状況やダイバーのスキルによっても、器材や運用によっても変わってくるが、その永遠の課題に万能の解決策はない。
あらゆる危険を予測し、可能な限り対策して、なお発生する事故に備える。
自己鍛錬と他者への啓発、強制(!)、排除(!!)。
ああ、気が重いな・・・。
浮沈子自身が、排除されそうな状況の中で、少しでも自分自身にできそうなことをやれないかと苦悶する。
安全は、唱えるだけでは付いてこない。
具体的な行動の、気の遠くなるような積み重ねの果てに、うっすらと見えてくる幻のようなものだ。
水深3mでの講習中の溺死かあ・・・。
ちょっと、ショックが大きかったな。
過信 ― 2015年08月10日 10:30
過信
事故の背景には、過信があるのではないか。
(過信)
https://kotobank.jp/word/%E9%81%8E%E4%BF%A1-462461
「価値や力量などを実際よりも高くみて、信頼しすぎること。」
「価値・力量などを実際以上に高く評価してたよること。」
頼るのは、他人だけとは限らない。
自分自身が自信過剰になれば、それもまた事故の誘因になる。
水の事故の記事を書いていて、自分自身として反省することが多かったので、改めて書いておくことにした。
事故を起こさない秘訣は、危険なところで危険なことをしないということに尽きるだろう。
君子危うきに近寄らず・・・。
止せばいいのに、水遊びなどするからだと、言ってしまえばそれまでの話だ。
しかし、まあ、それじゃあ話にも何にもならないので、少しだけ危険な真似をすることにしよう。
自分の力量を見極めて、過去の経験と照らし合わせて、この状況ならいけるという判断をして、やっぱいけなかったという形の事故は起こる。
何がまずかったのか。
まずは、自信過剰なので(?)、自分の力量を見誤っているということはある。
浮沈子の年になると、昔はいけたから、ということもある(過去の経験?)。
人間は、大体、自分に都合のいいように判断するから、年取って若いもんにいいとこ見せようなどとすると、ろくでもないことになる。
いい歳こいて、カッコつけてる場合かよ!。
まあいい。
胸に手を当てて、猛反省だな。
状況判断の誤りというのもある。
水遊びの場合、水面の状況から水中の環境を判断するのは難しい場合がある。
潜り慣れていたり、泳ぎ慣れているところでも、状況はその時によって変わる。
経験不足ということにも繋がるかもしれないが、その見極めに失敗する。
想定の範囲外ということになって、事故につながる。
そういった判断の背景には、短い休みしか取れない我が国の休日の状況や、せっかく来たのに楽しまないで帰るのはもったいないという、セコイ根性があるからともいえるが、その辺を突っ込みだすときりがないので止める。
危険に向き合う文化の貧しさということもあるかもしれない。
小さいころから、危ないことはしちゃダメ!、と言われ続け、乳母日傘で育てられた浮沈子は(ホントかあ?)、それでも水泳とかはさせてもらえたからいいが、今、泳げなかったり、キャンプ活動などの経験がない子供は大勢いるだろうし、若い人の中にもそういったリスクを負った経験がない人もいるだろう。
日頃、オウンリスクで行動する文化的背景がないと、レジャーでの判断に誤りを生じることに繋がるかも。
小さな失敗を繰り返して、経験を積んで、大きな過ちを回避するというのは、時間も環境も必要だ。
そういった経験の積み重ねで培われるのは、危険に対する控えめな「態度」である。
予測される危険に対して、謙虚になり、控えめに判断することによって、大部分のリスクは回避される。
大丈夫かもしれないけど、まあ、今回は止めとこうとか。
それには、前述のゆとりある休日とか、豊かな生活というのが前提になるかもしれないが、それとは別に、遊び慣れしていないということもあるかもしれない。
働くことには慣れてるが、遊び方を知らないので、無茶を平気でする。
危険を伴う遊びでは、そいつは厳禁だな。
さて、浮沈子的に重視したいのが、遊ぶ際の備えということになる。
いざという時に、どれだけ重層的に備えがあるか。
物とか、サービスとか、態勢とか。
もちろん、海水浴場には監視員がいるし、気の利いたところでは、シーズン中はライフセイバーだっているかもしれない。
ダイビングスポットなら、当然、それなりの態勢は取っているだろう。
しかし、一歩そこを離れれば、そういった態勢は皆無だ。
また、水泳に自信があったとしても、疲労して足がつったりして泳げなくなったらどうするかも考えておかなければならない。
浮き輪を持って入るとか、ビーチ板を持って入るとかして、浮力を確保するということも考慮する必要がある。
助けを呼ぶための笛とかあれば、いいかもしれない。
あとは、一人で行動しないとか。
それも、備えになる。
身体的なトラブルが起きた時に、自分一人ではどうしようもない時があるかもしれない。
そんな時に、まともな(ここ、重要です!)相棒が傍にいれば、これほど心強いことはない。
相棒が無茶して、こっちが頼られるようじゃ困るけどな。
その遊びについて自信がなければ、遊び方のプロに教わるというのもアリだ。
ダイビングなんかは、その辺りが体系化されているが、シュノーケリングを手取り足取り教えてくれるという話はあまり聞かない(もちろん、ダイビングの指導団体でも教えてますが)。
水泳だって、学校で習っただけで、それっきりという人がほとんどなのではないか。
日頃から運動して、呼吸器や循環器を鍛えている方ならともかく、デスクワークにへばりついて、心筋梗塞予備群とか、ちょっと泳いでも息切れとか。
いや、ひとごとじゃないんですが。
身体的にも、遊び慣れていない中で、たまにストレスかけるとイチコロだな。
日本人は、遊びにも真面目で、律儀に遊ばなければならないと思っている。
いい加減を知らない。
遊びなんだから、テキトーでいいのに・・・。
もちろん、リスクマネージメントはちゃんとやらなければならないが。
どうも、そっちは疎かで、一生懸命遊ぼうとする。
だから、遊びのプロが活躍する余地があるんだろうけど。
限られた時間で効率よく遊ぶためには、手助けが必要だ。
そうして、管理された状況の中で、比較的安全な遊び「だけ」を行う。
もちろん、それが悪いわけではないが、そこから1歩踏み出すと何もできないというのは困る。
困るのであれば、絶対に踏み出してはならないし、完全に管理された状況ばかりではないので、青旗(遊泳OK)でも、海況や自分のコンディションに不安があれば泳いではいけない。
ある程度遊び慣れて、大丈夫と思っても、控えめに行動し、ひとつ安全側の選択をする。
備えを確認し、注意を怠らない。
助けを呼ぶことを考えて、必要な鳴り物や目印を携行する。
それでも、事故は起こる。
避けようのない事故は、やはりある。
後知恵はいくらもあるが、この状況ならやむを得ないという事故もあるだろう。
過信が起こる理由は様々だが、「俺様には事故なんて絶対起こらない」というのが、最も有りがちな過信だ。
運の神様は公平だ。
どんなに用心して、安全に配慮していても、避けようのない事故を起こしてくれる。
「俺様」にも、必ず事故は起こる。
しかし、それでも、大事に至らずに生還できるような判断、態度、備えをして、楽しい夏の思い出を作りたいものだ。
世の中には、海で遊ぶより楽しいことはいくらでもある。
特盛カレー食ったり、バーベキューしたり、バイトのお嬢さんと駄弁ったり・・・。
んなことだから、いつまでたっても海プレがうまくできないんじゃね?。
まあ、どうでもいいんですが。
暑い夏、海の季節、事故の季節でもある。
安全第一で、この季節を乗り切りたいもんだな。
事故の背景には、過信があるのではないか。
(過信)
https://kotobank.jp/word/%E9%81%8E%E4%BF%A1-462461
「価値や力量などを実際よりも高くみて、信頼しすぎること。」
「価値・力量などを実際以上に高く評価してたよること。」
頼るのは、他人だけとは限らない。
自分自身が自信過剰になれば、それもまた事故の誘因になる。
水の事故の記事を書いていて、自分自身として反省することが多かったので、改めて書いておくことにした。
事故を起こさない秘訣は、危険なところで危険なことをしないということに尽きるだろう。
君子危うきに近寄らず・・・。
止せばいいのに、水遊びなどするからだと、言ってしまえばそれまでの話だ。
しかし、まあ、それじゃあ話にも何にもならないので、少しだけ危険な真似をすることにしよう。
自分の力量を見極めて、過去の経験と照らし合わせて、この状況ならいけるという判断をして、やっぱいけなかったという形の事故は起こる。
何がまずかったのか。
まずは、自信過剰なので(?)、自分の力量を見誤っているということはある。
浮沈子の年になると、昔はいけたから、ということもある(過去の経験?)。
人間は、大体、自分に都合のいいように判断するから、年取って若いもんにいいとこ見せようなどとすると、ろくでもないことになる。
いい歳こいて、カッコつけてる場合かよ!。
まあいい。
胸に手を当てて、猛反省だな。
状況判断の誤りというのもある。
水遊びの場合、水面の状況から水中の環境を判断するのは難しい場合がある。
潜り慣れていたり、泳ぎ慣れているところでも、状況はその時によって変わる。
経験不足ということにも繋がるかもしれないが、その見極めに失敗する。
想定の範囲外ということになって、事故につながる。
そういった判断の背景には、短い休みしか取れない我が国の休日の状況や、せっかく来たのに楽しまないで帰るのはもったいないという、セコイ根性があるからともいえるが、その辺を突っ込みだすときりがないので止める。
危険に向き合う文化の貧しさということもあるかもしれない。
小さいころから、危ないことはしちゃダメ!、と言われ続け、乳母日傘で育てられた浮沈子は(ホントかあ?)、それでも水泳とかはさせてもらえたからいいが、今、泳げなかったり、キャンプ活動などの経験がない子供は大勢いるだろうし、若い人の中にもそういったリスクを負った経験がない人もいるだろう。
日頃、オウンリスクで行動する文化的背景がないと、レジャーでの判断に誤りを生じることに繋がるかも。
小さな失敗を繰り返して、経験を積んで、大きな過ちを回避するというのは、時間も環境も必要だ。
そういった経験の積み重ねで培われるのは、危険に対する控えめな「態度」である。
予測される危険に対して、謙虚になり、控えめに判断することによって、大部分のリスクは回避される。
大丈夫かもしれないけど、まあ、今回は止めとこうとか。
それには、前述のゆとりある休日とか、豊かな生活というのが前提になるかもしれないが、それとは別に、遊び慣れしていないということもあるかもしれない。
働くことには慣れてるが、遊び方を知らないので、無茶を平気でする。
危険を伴う遊びでは、そいつは厳禁だな。
さて、浮沈子的に重視したいのが、遊ぶ際の備えということになる。
いざという時に、どれだけ重層的に備えがあるか。
物とか、サービスとか、態勢とか。
もちろん、海水浴場には監視員がいるし、気の利いたところでは、シーズン中はライフセイバーだっているかもしれない。
ダイビングスポットなら、当然、それなりの態勢は取っているだろう。
しかし、一歩そこを離れれば、そういった態勢は皆無だ。
また、水泳に自信があったとしても、疲労して足がつったりして泳げなくなったらどうするかも考えておかなければならない。
浮き輪を持って入るとか、ビーチ板を持って入るとかして、浮力を確保するということも考慮する必要がある。
助けを呼ぶための笛とかあれば、いいかもしれない。
あとは、一人で行動しないとか。
それも、備えになる。
身体的なトラブルが起きた時に、自分一人ではどうしようもない時があるかもしれない。
そんな時に、まともな(ここ、重要です!)相棒が傍にいれば、これほど心強いことはない。
相棒が無茶して、こっちが頼られるようじゃ困るけどな。
その遊びについて自信がなければ、遊び方のプロに教わるというのもアリだ。
ダイビングなんかは、その辺りが体系化されているが、シュノーケリングを手取り足取り教えてくれるという話はあまり聞かない(もちろん、ダイビングの指導団体でも教えてますが)。
水泳だって、学校で習っただけで、それっきりという人がほとんどなのではないか。
日頃から運動して、呼吸器や循環器を鍛えている方ならともかく、デスクワークにへばりついて、心筋梗塞予備群とか、ちょっと泳いでも息切れとか。
いや、ひとごとじゃないんですが。
身体的にも、遊び慣れていない中で、たまにストレスかけるとイチコロだな。
日本人は、遊びにも真面目で、律儀に遊ばなければならないと思っている。
いい加減を知らない。
遊びなんだから、テキトーでいいのに・・・。
もちろん、リスクマネージメントはちゃんとやらなければならないが。
どうも、そっちは疎かで、一生懸命遊ぼうとする。
だから、遊びのプロが活躍する余地があるんだろうけど。
限られた時間で効率よく遊ぶためには、手助けが必要だ。
そうして、管理された状況の中で、比較的安全な遊び「だけ」を行う。
もちろん、それが悪いわけではないが、そこから1歩踏み出すと何もできないというのは困る。
困るのであれば、絶対に踏み出してはならないし、完全に管理された状況ばかりではないので、青旗(遊泳OK)でも、海況や自分のコンディションに不安があれば泳いではいけない。
ある程度遊び慣れて、大丈夫と思っても、控えめに行動し、ひとつ安全側の選択をする。
備えを確認し、注意を怠らない。
助けを呼ぶことを考えて、必要な鳴り物や目印を携行する。
それでも、事故は起こる。
避けようのない事故は、やはりある。
後知恵はいくらもあるが、この状況ならやむを得ないという事故もあるだろう。
過信が起こる理由は様々だが、「俺様には事故なんて絶対起こらない」というのが、最も有りがちな過信だ。
運の神様は公平だ。
どんなに用心して、安全に配慮していても、避けようのない事故を起こしてくれる。
「俺様」にも、必ず事故は起こる。
しかし、それでも、大事に至らずに生還できるような判断、態度、備えをして、楽しい夏の思い出を作りたいものだ。
世の中には、海で遊ぶより楽しいことはいくらでもある。
特盛カレー食ったり、バーベキューしたり、バイトのお嬢さんと駄弁ったり・・・。
んなことだから、いつまでたっても海プレがうまくできないんじゃね?。
まあ、どうでもいいんですが。
暑い夏、海の季節、事故の季節でもある。
安全第一で、この季節を乗り切りたいもんだな。
ダイビングの楽しみ ― 2015年08月10日 20:53
ダイビングの楽しみ
事故の話ばかり書いていると、何となくネガティブになってしまって、気が塞ぐ。
楽しい話を少し。
水中に潜って、浮遊感を味わいながら、ゆらゆらと漂い、軽くフィンキック(最近は、もっぱらフロッグキックですが)しながら移動していると、まるで空中を飛んでいるような錯覚に陥る。
これは、まあ、透視度がいいところでないと、なかなか味わえないということはある。
魚とかサンゴとかは少なくてもいいから、沈船とかあるといい。
水は暖かく、ショーティーか、ベストにポケットパンツで潜れるのがよろしい。
浅く、明るく、暖かい海で、のんびり潜る。
もちろん、CCR!。
3時間とかロングダイブでもいいが、お腹が空くので、2ダイブに分けてもいいな。
石垣では、3ダイブだったが、結構泳いだので疲れた。
まったりとした、癒し系のダイビングが好みだな。
カメラとかは、基本的には持ちたくない。
講習中は、習慣としてカメラを持たずに入るが、それ以外は概ねコンパクトデジカメをハウジングに入れて潜る。
ブログネタとか、行ってきたぞという証拠写真のようなもんだが、たまに気に入った写真が撮れることもある。
でもなあ、そのために潜るというのは浮沈子は好まない。
潜っている時がいいのだ。
コンサートと同じ、時間芸術だと思っている。
自然が設えた三次元の絵画の中に入って、自由に動き回る。
上下、左右、前後と、文字通り縦横無尽である。
まあ、CCRの場合、あんま上下は動きたくないんだけどな(中性浮力が崩れちゃうんで)。
水中の音に耳を澄ませ、クロスズメダイの鳴き声や、イワシの群れの泳ぐ音を聞く。
ボートのスクリュー音とか、あんま聞きたくないんだがな。
いい加減潜っていると、グーグーいう音が聞こえてくる。
ああ、腹の虫か・・・。
そろそろエキジットしなければならんな。
写真も撮らず、生き物にもあまり興味がなく、高速ドリフトでぶっ飛んでいくわけでもなく、一体どこが面白いのか。
「恐れ、不安、孤独、闇・・・」
「それから、もしかしたら希望・・・」
「希望?。真っ暗な海の中で?。」
「海面へ浮かび上がる時、今までとは違う自分になれるんじゃないか、そんな気がする時があるの・・・。」
(Ghost in the Shell Movie (Legendado em Português):動画出ます:28分辺りから)http://www.anitube.se/video/11641/Ghost-in-the-Shell-Movie-Legendado-em-Portugu%C3%AAs
(GHOST IN THE SHELL 攻殻機動隊:ページの真ん中あたりに、セリフがあります)
http://ajatt.com/gits/02_gs/05_etc/01_ghost_in_the_shell.html
浮沈子のダイビングの原点は、どうやらこの辺りにあるようだな。
別に海から上がったって、別の自分になれるわけではない。
エントリーしたときと同じ、重い体を引きずりながらエキジットするだけだ。
しかし、陸上の、空気や緑の木々、鳥のさえずりなどに満ちた世界とは、全く異なる世界があること、そこで営まれる生命の神秘と、異空間を自在に動き回れる感覚を味わえるわけだ。
少なくとも、ダイビングしている時は、意識としては、今までとは違う自分になっていることは確かだ。
シンデレラじゃないが、水面に浮かび上がったとたんに、馬車がカボチャになっちゃうわけだがな。
だから、どこで潜ろうが、どんなダイビングであろうが、本来は関係なく、異空間を漂うことができればそれでいいのだ。
可能なら、よりストレスのない環境で潜りたいというだけだ。
ダイビングをする理由は、人それぞれだろう。
水棲哺乳類として進化の途上にあるからとか、単なるストレス解消とか。
マクロが撮りたかったり、大物見たかったりするのかもしれない。
浮沈子は、異空間を漂いたいだけ。
CCRで潜ってじっとしていると、魚たちがこちらを無視して、好き放題に振舞っているのをじっくりと観察できる。
写真や動画に撮らなくても、見ているだけで面白い。
熱帯魚の水槽の中に入り込んでるわけだしな。
彼らの生活を、できるだけ邪魔しないように、そっと脇を通り過ぎていくだけでいい。
控えめに、さりげなく、潜っている時間を楽しむ。
それでも、今、テクニカルダイビングのステージに挑戦しようかと考えている。
それも、一つの潜り方だ。
リスクを明確にコントロールして、きっちり潜る。
そんな潜り方もあっていい。
うーん、でも、やっぱ、のんびり潜る方がいいな。
水中は、確かに別世界だが、この世ではなくあの世になってしまっては元も子もない。
「恐れ、不安、孤独、闇・・・」
そのリスクをきっちり認識して、控えめなダイビングを心掛けたいものだ。
事故の話ばかり書いていると、何となくネガティブになってしまって、気が塞ぐ。
楽しい話を少し。
水中に潜って、浮遊感を味わいながら、ゆらゆらと漂い、軽くフィンキック(最近は、もっぱらフロッグキックですが)しながら移動していると、まるで空中を飛んでいるような錯覚に陥る。
これは、まあ、透視度がいいところでないと、なかなか味わえないということはある。
魚とかサンゴとかは少なくてもいいから、沈船とかあるといい。
水は暖かく、ショーティーか、ベストにポケットパンツで潜れるのがよろしい。
浅く、明るく、暖かい海で、のんびり潜る。
もちろん、CCR!。
3時間とかロングダイブでもいいが、お腹が空くので、2ダイブに分けてもいいな。
石垣では、3ダイブだったが、結構泳いだので疲れた。
まったりとした、癒し系のダイビングが好みだな。
カメラとかは、基本的には持ちたくない。
講習中は、習慣としてカメラを持たずに入るが、それ以外は概ねコンパクトデジカメをハウジングに入れて潜る。
ブログネタとか、行ってきたぞという証拠写真のようなもんだが、たまに気に入った写真が撮れることもある。
でもなあ、そのために潜るというのは浮沈子は好まない。
潜っている時がいいのだ。
コンサートと同じ、時間芸術だと思っている。
自然が設えた三次元の絵画の中に入って、自由に動き回る。
上下、左右、前後と、文字通り縦横無尽である。
まあ、CCRの場合、あんま上下は動きたくないんだけどな(中性浮力が崩れちゃうんで)。
水中の音に耳を澄ませ、クロスズメダイの鳴き声や、イワシの群れの泳ぐ音を聞く。
ボートのスクリュー音とか、あんま聞きたくないんだがな。
いい加減潜っていると、グーグーいう音が聞こえてくる。
ああ、腹の虫か・・・。
そろそろエキジットしなければならんな。
写真も撮らず、生き物にもあまり興味がなく、高速ドリフトでぶっ飛んでいくわけでもなく、一体どこが面白いのか。
「恐れ、不安、孤独、闇・・・」
「それから、もしかしたら希望・・・」
「希望?。真っ暗な海の中で?。」
「海面へ浮かび上がる時、今までとは違う自分になれるんじゃないか、そんな気がする時があるの・・・。」
(Ghost in the Shell Movie (Legendado em Português):動画出ます:28分辺りから)http://www.anitube.se/video/11641/Ghost-in-the-Shell-Movie-Legendado-em-Portugu%C3%AAs
(GHOST IN THE SHELL 攻殻機動隊:ページの真ん中あたりに、セリフがあります)
http://ajatt.com/gits/02_gs/05_etc/01_ghost_in_the_shell.html
浮沈子のダイビングの原点は、どうやらこの辺りにあるようだな。
別に海から上がったって、別の自分になれるわけではない。
エントリーしたときと同じ、重い体を引きずりながらエキジットするだけだ。
しかし、陸上の、空気や緑の木々、鳥のさえずりなどに満ちた世界とは、全く異なる世界があること、そこで営まれる生命の神秘と、異空間を自在に動き回れる感覚を味わえるわけだ。
少なくとも、ダイビングしている時は、意識としては、今までとは違う自分になっていることは確かだ。
シンデレラじゃないが、水面に浮かび上がったとたんに、馬車がカボチャになっちゃうわけだがな。
だから、どこで潜ろうが、どんなダイビングであろうが、本来は関係なく、異空間を漂うことができればそれでいいのだ。
可能なら、よりストレスのない環境で潜りたいというだけだ。
ダイビングをする理由は、人それぞれだろう。
水棲哺乳類として進化の途上にあるからとか、単なるストレス解消とか。
マクロが撮りたかったり、大物見たかったりするのかもしれない。
浮沈子は、異空間を漂いたいだけ。
CCRで潜ってじっとしていると、魚たちがこちらを無視して、好き放題に振舞っているのをじっくりと観察できる。
写真や動画に撮らなくても、見ているだけで面白い。
熱帯魚の水槽の中に入り込んでるわけだしな。
彼らの生活を、できるだけ邪魔しないように、そっと脇を通り過ぎていくだけでいい。
控えめに、さりげなく、潜っている時間を楽しむ。
それでも、今、テクニカルダイビングのステージに挑戦しようかと考えている。
それも、一つの潜り方だ。
リスクを明確にコントロールして、きっちり潜る。
そんな潜り方もあっていい。
うーん、でも、やっぱ、のんびり潜る方がいいな。
水中は、確かに別世界だが、この世ではなくあの世になってしまっては元も子もない。
「恐れ、不安、孤独、闇・・・」
そのリスクをきっちり認識して、控えめなダイビングを心掛けたいものだ。
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