ポルシェな夜 ― 2013年11月04日 02:07
ポルシェな夜
昔々、恋する人に手紙を書いて、翌朝読んで破り捨てたことがある。
夜の想いは、朝まで持たないのだ・・・。
ようやく手元に戻ってきて、乗り回しても不満を感じなくなるようになった83タルガ。
久々に、第三京浜の流れ星になる(トラック野郎みたいだな)。
じっくりとハンドリングを味わいたいので、法定速度近辺で流す。
3車線ある中央を走っていると、両側から抜かされる(あれま!)。
ゆっくりと左右に小さくステアしてみると、やはり左に取られるのだが、その割合は、格段に小さくなっている。
かまぼこの影響が殆んどないところでは、ほぼ直進する。
あまり、極端なアライメントをつけると、タイヤの偏磨耗の原因になるし、逆に、右に取られるセッティングになると、追越車線御用達の浮沈子の場合、中央分離帯とキスする破目になりかねない。
このくらいが、ころあいなのかもしれない。
実際、高速で走る限り、意識しなければ忘れてしまう程度だ。
しかし、もう少し、ほんの気持ち、直進安定性が欲しいな。
前輪のキャスターの問題だろうと思っているのだが。
まあいい。
このまま、しばらく乗ってみて、気に入らなければ、また調整に出すさ。
ブッシュ類のヘタリや、トーションバーのくたびれ具合によっても、微妙な影響はあるので、アライメントで全て解決するわけではなかろう。
500Eみたいに、足回り全とっかえして、アライメントを出せば確実なのだが・・・。
先立つものがねえ・・・。
愚弟を隣に乗せて、走ったのだが、やはり重さを感じてしまう。
ポルシェは、一人で乗るのが一番だ。
500Eなら、4人でもいいが、スポーツカーは、走ることしか能がないので、運ぶことを考えてはいけないな。
バイクのような、自由な加速と車線変更を楽しみながら、しっかりとした手応えや、溢れるパワーを感じて走る。
絶対的な加速力というより、過渡特性の気持ち良さを味わう。
1200kgを切る車重に、およそ200馬力のNAエンジン(浮沈子の83タルガは、エンジン載せ換えで、3164CCの930/64エンジンである)。
そのエンジンをリアに搭載することから来る、秀逸なブレーキフィール。
空冷とか、水冷とかに関係なく、そのバランスがもたらすGの魔術に魅せられる。
加速し、減速し、車線を変更する度に、内耳のセンサーが脳に送り込む信号が、脳内麻薬を溢れさせる。
意味のないレーンチェンジは、いい迷惑なのだが、もう止まらない。
依存症だな。
意のままに操る快感。
人車一体の魔法。
「ポルシェを着る」とは、よく言ったものだ。
もちろん、絶対的な加速とか、最高速度がずば抜けているわけではない。
それこそ、普通のセダンである500Eの方が、それらの数値は高いかもしれない(500Eは、「普通のセダン」ではありませんが)。
しかし、スポーツカーの価値は、ピークを示す数字には表れない、過渡特性にこそある。
人間の、身体に直結する動的な性能、鋭敏なセンサーに作用する絶妙の反応性、音や振動さえも、その効果を増幅する。
クルマの隅々まで神経が行き渡り、自分の身体が宙を舞って、周りのクルマの間をすり抜けていくような錯覚・・・。
大排気量のスポーツバイクに乗って、右手の一捻りで、ワープする、あの感じである(分かる人だけ、わかってください)。
930空冷ポルシェの大きさ、軽さ、出力特性は、正にそんな感じだ。
ツボにはまった時のヒラリ感、アクセルに直結するエンジンのレスポンスは、バイクのそれに近い。
しかも、もっと分厚く、重厚で、なおかつキレがある(ビールかよ!?)。
ぞんざいな運転をすれば、てきめんにバランスを崩し、丁寧にそのポテンシャルを引き出してやれば、しっかりと応えてくる。
乗り手の技量を試されるクルマだ。
ステアリングを握る手と、右足のアクセルワークに神経を集中させ、目に見えない1本の線の上を、正確に走らせる。
そんな運転ばかりでは、疲れてしまうが、リラックスして流して走っても楽しい。
クルマとの対話を楽しみながら、豊かな時間を過ごすことができる。
うーん、自動運転になってしまったら、この濃密な時間を紡ぐことは出来なくなってしまう。
アバターという映画の中で、主人公が翼竜に乗るシーンが出てくる。
ちとジャジャ馬(ジャジャ竜?)なやつを仕留めて、乗りこなすのだが、あの感覚に似ているかもしれない。
83タルガとテレパシーを通わせることができれば、もう少し、浮沈子の言うことを聞いてくれるかもしれない。
自動運転自動車も、そういう方向に進化して行ってくれると、未来は明るくなるような気がするんだが・・・。
昔々、恋する人に手紙を書いて、翌朝読んで破り捨てたことがある。
夜の想いは、朝まで持たないのだ・・・。
ようやく手元に戻ってきて、乗り回しても不満を感じなくなるようになった83タルガ。
久々に、第三京浜の流れ星になる(トラック野郎みたいだな)。
じっくりとハンドリングを味わいたいので、法定速度近辺で流す。
3車線ある中央を走っていると、両側から抜かされる(あれま!)。
ゆっくりと左右に小さくステアしてみると、やはり左に取られるのだが、その割合は、格段に小さくなっている。
かまぼこの影響が殆んどないところでは、ほぼ直進する。
あまり、極端なアライメントをつけると、タイヤの偏磨耗の原因になるし、逆に、右に取られるセッティングになると、追越車線御用達の浮沈子の場合、中央分離帯とキスする破目になりかねない。
このくらいが、ころあいなのかもしれない。
実際、高速で走る限り、意識しなければ忘れてしまう程度だ。
しかし、もう少し、ほんの気持ち、直進安定性が欲しいな。
前輪のキャスターの問題だろうと思っているのだが。
まあいい。
このまま、しばらく乗ってみて、気に入らなければ、また調整に出すさ。
ブッシュ類のヘタリや、トーションバーのくたびれ具合によっても、微妙な影響はあるので、アライメントで全て解決するわけではなかろう。
500Eみたいに、足回り全とっかえして、アライメントを出せば確実なのだが・・・。
先立つものがねえ・・・。
愚弟を隣に乗せて、走ったのだが、やはり重さを感じてしまう。
ポルシェは、一人で乗るのが一番だ。
500Eなら、4人でもいいが、スポーツカーは、走ることしか能がないので、運ぶことを考えてはいけないな。
バイクのような、自由な加速と車線変更を楽しみながら、しっかりとした手応えや、溢れるパワーを感じて走る。
絶対的な加速力というより、過渡特性の気持ち良さを味わう。
1200kgを切る車重に、およそ200馬力のNAエンジン(浮沈子の83タルガは、エンジン載せ換えで、3164CCの930/64エンジンである)。
そのエンジンをリアに搭載することから来る、秀逸なブレーキフィール。
空冷とか、水冷とかに関係なく、そのバランスがもたらすGの魔術に魅せられる。
加速し、減速し、車線を変更する度に、内耳のセンサーが脳に送り込む信号が、脳内麻薬を溢れさせる。
意味のないレーンチェンジは、いい迷惑なのだが、もう止まらない。
依存症だな。
意のままに操る快感。
人車一体の魔法。
「ポルシェを着る」とは、よく言ったものだ。
もちろん、絶対的な加速とか、最高速度がずば抜けているわけではない。
それこそ、普通のセダンである500Eの方が、それらの数値は高いかもしれない(500Eは、「普通のセダン」ではありませんが)。
しかし、スポーツカーの価値は、ピークを示す数字には表れない、過渡特性にこそある。
人間の、身体に直結する動的な性能、鋭敏なセンサーに作用する絶妙の反応性、音や振動さえも、その効果を増幅する。
クルマの隅々まで神経が行き渡り、自分の身体が宙を舞って、周りのクルマの間をすり抜けていくような錯覚・・・。
大排気量のスポーツバイクに乗って、右手の一捻りで、ワープする、あの感じである(分かる人だけ、わかってください)。
930空冷ポルシェの大きさ、軽さ、出力特性は、正にそんな感じだ。
ツボにはまった時のヒラリ感、アクセルに直結するエンジンのレスポンスは、バイクのそれに近い。
しかも、もっと分厚く、重厚で、なおかつキレがある(ビールかよ!?)。
ぞんざいな運転をすれば、てきめんにバランスを崩し、丁寧にそのポテンシャルを引き出してやれば、しっかりと応えてくる。
乗り手の技量を試されるクルマだ。
ステアリングを握る手と、右足のアクセルワークに神経を集中させ、目に見えない1本の線の上を、正確に走らせる。
そんな運転ばかりでは、疲れてしまうが、リラックスして流して走っても楽しい。
クルマとの対話を楽しみながら、豊かな時間を過ごすことができる。
うーん、自動運転になってしまったら、この濃密な時間を紡ぐことは出来なくなってしまう。
アバターという映画の中で、主人公が翼竜に乗るシーンが出てくる。
ちとジャジャ馬(ジャジャ竜?)なやつを仕留めて、乗りこなすのだが、あの感覚に似ているかもしれない。
83タルガとテレパシーを通わせることができれば、もう少し、浮沈子の言うことを聞いてくれるかもしれない。
自動運転自動車も、そういう方向に進化して行ってくれると、未来は明るくなるような気がするんだが・・・。
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