500Eチェック2017年05月28日 01:58

500Eチェック
 

3日ほど、夜中に500Eを転がしている。

先日、墓参りのために、年に1度もやらない洗車をしたところ、ディストリビューターの不調をきたし、エンジンにばらつきが出てしまった。

30分ほど走らせたら症状は消えたが、その後、雨上がりに同じ症状が2度出た。

今日は、雨は降らず、それで出るかどうかの確認で走る。

もちろん、症状は出ない。

うーん、納得・・・。

ディストリビューターの結露は、対策品で解消することが分かっている。

これが、いつ出るかという予測が立たないところが困るんだがな。

なんと、雨の日に出たことは一度もないのだ。

うーん、納得いかない・・・。

まあ、どうでもいいんですが。

深夜のドライブは、浮沈子の趣味の一つだ。

窓という窓を全開にして、もちろん、サンルーフも開け放って、漆黒の闇を切り裂いて走る。

500Eというクルマの、生の音を聞く。

300Eを乗っていた時にも感じたんだが、ベンツの乗用車って、決して静かなクルマじゃない。

エンジンとか、足回りの音を、徹底的に遮音して、室内の静けさを演出しているだけだ。

まあ、それでいいんですが。

夜中に、窓全開にして、クルマの立てるありとあらゆる音に耳を澄ませながら走ることを想定して作られたクルマじゃない。

エアコン利かせて、窓閉め切って、高速道路を200kmでブッ飛ばすのが正しい使い方だ。

もちろん、我が国では、正しい使い方の半分くらいしかできないけどな(そういうことかあ?)。

で、アクセル全開じゃなくって、窓全開にして、ゆるゆると回るV8エンジンの呼吸音とか、タイヤが路面を捉える音とか、風切り音とかに耳を澄ませながら走らせる。

夜は、音がよく聞こえるような気がする。

そして、振動とかにも敏感になる。

ハンドルに伝わって来る振動や、シートを通して感じる振動とか。

視覚からの情報が制限される分、その他の感覚が研ぎ澄まされているのを自覚する。

それだけなのかどうか。

窓を閉めれば、音も遮断された分、振動には、さらに敏感になれるかもしれないしな。

ともあれ、良く動く足の良さを実感する。

街道を流している分には、十分な動きをしてくれる。

今時のタイヤ(レグノ履いてますが)は、何でも履きこなしてしまうだろう。

いい足だと感じる。

エンジンも、今日はぐずらずによく回っている。

踏めば踏んだだけのトルクを生み出し、ぐいぐいと1.7トンの車体を加速してくれる。

穏やかなアクセルワークに徹すれば、それなりの加速。

ペタンと踏むと、とんでもない中間加速を披露することになる。

大人気ない・・・。

雨が降らず、今夜の湿度80パーセント程度では、デスビの結露と思われるエンジンの不等着火による振動は、全くなかった。

駐車場に戻ってから、サンルーフや全開にした窓を閉める。

エンジンの音が遮断され、排気音も消える(これも、結構勇ましい)。

アイドリングの振動だけが、かすかに感じられて、合計5リットルの燃焼室に、たっぷりとガソリンが送られているのが分かる(アイドリング燃費、最悪です・・・)。

大丈夫、燃焼のばらつきはない・・・。

エンジンを切ると、本当の静寂が訪れて、さっきまでの静寂が、かりそめのものであったことを思い知る。

締めきっていても、実はそれほど静かなクルマではない。

もう、25年も前のクルマだしな。

今風の、アイドリングストップなどという裏ワザはない。

現代のベンツの乗用車に乗れば、やはり現世利益ではそっちの方が上回るのは当然だ。

チャライ仕掛けは、テンコ盛りで付いているしな。

最新のベンツが最良のベンツであることは間違いなかろう。

便利で使いやすく、同じ仕事を少ないガソリンでこなす。

それは、絶対の正義だからな。

太刀打ちできない。

乗り味とか、剛性感とか、振動の特性とか、満足感、安心感とか言うワケワカの指標では、クルマは売れない。

データで示し、オーナーの財布で証明するしかない。

このクルマが、21世紀の道路を走っていること自体が一つの奇跡だ。

クラシックカーとかじゃなく、実用的に不満のないふつーのクルマとして。

データで示すことも、ガソリンスタンドにおいて、財布で証明することも出来ないけどな。

クルマを降りて、ちらっと振り返る。

20世紀の奇跡の一つが、ここにある。

金属とゴムとガラスと樹脂とで出来た、機械の王国の奇跡だ。

絶妙な乗り味と剛性感と人肌にあった振動特性を持ち、オーナーに至上の満足感と安心感を与える奇跡だ。

たまに、デスビの結露でエンジンがブルってしまうことがあったとして、それが何だというのか?。

うーん、やっぱ、対策品に替えようかなあ・・・。

ヒューマン・マシンシステム2017年05月28日 15:43

ヒューマン・マシンシステム


ダイビング、特にリブリーザーのようなややっこしい器材を使うダイビングの場合は、器材とそれを操作するダイバーが一体となったヒューマン・マシンシステムが十全に機能している必要がある。

現状、クルマの運転とかも同じだろうが、こっちの方は時間の問題だな。

AIの進歩は著しく、とうとう人間は囲碁の世界でも機械の前に完全に敗れ去った。

(囲碁AI、人間圧倒し「引退」 医療・エネに応用へ)
http://www.nikkei.com/article/DGXLASFG27H7B_X20C17A5EA2000/

「高度化するAIを適切に管理する仕組みの重要性は今後、一段と高まりそうだ。」

もちろん、その管理は別のAIが行う。

人間には、管理対象のAIが出した結論が正しいかどうかは、判断できないからな。

じゃあ、管理用のAIは、正しい判定を下せるのかどうか。

それをチェックするのも、また別のAIだったりする・・・。

まあいい。

アルファ碁は引退だそうだが、ベータ碁とかガンマ碁とかが出てくるに違いない(そうなのかあ?)。

未来の予測とかも、AIが行うようになり、人間はその宣託に従って行動するようになるのだ。

有難いことに(?)、リブリーザーは、そういう上等な仕掛けとは程遠い。

呼吸回路を循環させる動力を、人間の肺の換気能力に頼っているというローテクな機械だ(パワーアシストなし)。

ソレノイドバルブの開閉を行うタイミングを、酸素センサーからの情報に頼って行っているだけの、チンケな仕掛けに過ぎない。

そのチンケな仕掛けで、水深100mオーバーの世界に行ってしまうという人間の方が100倍偉い(そういうことかあ?)。

それに、CCRは、換気動力とトータルのマネジメントを頼っている人間様のことは知らんぷりだ。

浮沈子の知る限り、心拍数を管理したり、酸素の消費量から水中の運動量をチェックして、ダイバーの身体能力を反映させるシステムは存在しない。

ガリレオソルくらいか?。

(GALILEO SOL)
http://www.scubapro.com/ja-JP/JPN/instruments/computers/products/galileo-sol.aspx

「Galileoは芸術とも表現されるコンピュータ。」

そこまで言うかあ?。

まあ、どうでもいいんですが。

「Galileoは心拍数測定を運動量計算へと統合させた最初のダイビングコンピュータです。」

そんなもんは、気の利いた活動量計ならみんなやっているけどな。

水中でというのは、確かにユニークだが、それだって、ダイコンに表示させる以外のことはしない。

CPRしたり、電流流してAEDみたいなことはしないのだ(水中で出来るかどうかは分かりません)。

現状、水中のダイバーの管理は、ダイバー自身が行わなければならない。

それが鉄則だし、それ以外の方法はない。

潜る前に、いろいろやるべきことはあっても、潜っちまったら他の手立てはないのだ。

アルファ碁が100倍優秀になっても、手も足も出ない・・・。

(南アフリカの潜水事故についてのご報告)
https://www.facebook.com/TeamFossils/?hc_ref=PAGES_TIMELINE&fref=nf

事故後の英文のステートメントの邦訳も出ている。

IANTDジャパンによれば、事故はダイバーの心臓発作が原因であると判明したということだ。

水中では、どうしようもないだろう。

心臓発作の引き金になったのが何かは分からない。

おそらく、それを特定することは出来ないに違いない。

ご遺体は荼毘に付され、無言の帰国をすることになる。

「アルファ碁は完璧すぎた。苦しくてたまらなかった」

人間を追い詰めることは出来ても、水中で救うことは出来ない。

ダイビングは、当分の間、人間が機械の面倒を見る時代が続くだろう。

そして、人間自身の面倒も見なければならない。

そういうものだと思って、心身を鍛錬するしかない。

今日も、フィットネスサボっちゃうけどな・・・。

心身を鍛錬するとは2017年05月28日 22:30

心身を鍛錬するとは
 

昨年の減量から、みごとにリバウンドした浮沈子。

ちょっと反省して、フィットネスに通いだす今日この頃。

思い出したように、一時的に運動量を増やしたりしても、基本的な代謝は上がらないし、そもそも減量するのに運動するとかしないとかは、経験的にあまり影響はない。

何の制限も加えなければ、動いた分を食ってしまって、元の木阿弥になる。

運動して燃焼した分は、きっちり食わずに落とす。

動かざる者、食うべからず!。

普段の10倍運動したとしても、10倍食ったら同じことだ。

今日は、がんばって、サボらずに大井町まで自転車を漕ぐ。

ここを、歩いて通うようにすれば、効果はかなり目に見える形で出てくることは確認済みだ。

片道、5km。

1時間ちょっとで歩き切る。

信号待ちとかもあるしな。

そして、30分の筋トレとクロストレーナー。

1000mの水泳。

これを、欠かさず続けて、カロリー制限を続ければ、どこかで必ず逆転する。

今日は、400m位しか泳がなかった。

何か気が乗らないというか、泳ぎたくないというか。

そういう時でも、根性出して続けることが鍛錬なのかもしれない。

やりたくない時はやらず、やりたい時にやりたいだけ運動するというのは、鍛錬ではない。

気紛れとか、気休めとか・・・。

食いたい時に、食いたいものを食いたいだけ食うというのも、鍛錬とは程遠いな。

規則正しい生活、控えめの食事、適度な運動の継続、そして、心を平静に保つこと。

最後のが、一番難しいな。

南アの事故の原因が、ダイバーの原疾患によるものだったということを聞いても、そのトリガーはともかく、日頃からの健康管理に努めることくらいしか、浮沈子の場合教訓とすることが出来ない。

出来ることしかできないが、出来ることはやろう。

で、サボろうと思っていたフィットネスに、午後の遅い時間から出かけたわけだ。

まずは、形から。

サボらずに、継続する。

爆食を控え、刺激物を控え、糖質を控えて健康に配慮した食事を頂く。

つまりは、ダイビング以前の話から、振出しに戻ってやり直そうというわけだ。

明日は、久々に、歩いて行ってみようかな。

あまり無理すると、またまた、長期にサボることになりかねないしな。

しかし、とにかく始めなければ、何事も始まらない。

どこまで続くか、やってみなければ分からないのだ。

そういう、ささやかなチャレンジを克服し、継続してトレーニングを繰り返していく中で、心の平安も生まれる。

失われたものを、取り返すことは出来ない。

新しいものを見つけていくしかない。

内臓脂肪は、しっかり取り返したが、そんなもんはいらないんだがな・・・。