レーシングポルシェの系譜(その13)閑話休題 ― 2013年11月12日 11:36
レーシングポルシェの系譜(その13)閑話休題
実は、悩んでいる。
このシリーズ(?)は、ある仮説、つまり、ポルシェという自動車会社の作っているクルマの系統というのは、本当はミッドシップレイアウトのオープンカーなんじゃないだろうか、ということを検証するために始めた。
DNAといってもいい。
表現形は、RRだったり、FRだったり、ひょっとしたら、FF(!)になるかも知れないが(ホントかあ?、聞いてないぜ!)、脈々と流れる根本のところには、MRというレーシングカーに最適なエンジンレイアウトと、それにより実現される運動性能にあるといえるのではないのか。
最近の911をみると、電子制御の足回りを駆使して、ちょっとやそっとではRR特有の破綻を来たさないようになってきている。
運動特性は、FRではないし、ましてやFFではない。
目指すところはMRであろう。
そう考えると、そんな気もする(?)。
最近は、カイエンやパナメーラなどのFR車が売れまくっているので、MRのボクスターやケイマンの影も薄いが、ポルシェという会社は、ロードカーだけを作ってきた会社ではない。
黎明期から、レースを重視し、レースに賭け、レースに生きてきた会社でもある(まあ、所詮、宣伝ですが)。
本田宗一郎ではないが、レースは走る実験室である。
最近は、コンピューターによるシミュレーションが当たり前になり、走る前から結果が分かっていたりするらしいが、やはり、レースは走ってみなければ分からない。
まあ、そのうち、あんなアブナイことは、人間がやるのは野蛮だから、完全自動運転でレースしようということになって、レーサーはおまんまの食い上げになってしまうに違いないと、浮沈子は睨んでいる。
しかし、そのレーシングカーは、ポルシェに限らず、生産車とは異なる形態をとる。
生産車をベースとしたレギュレーションは別にして、プロトタイプという比較的自由に作っていいクルマは、ほとんどがMRになる。
ラリーとかの公道レースの場合は、4輪駆動だし、必ずしもMR構成になっていないが、サーキット走行で最速を競う競技では、まず、100パーセントがMRといっていい。
じゃあ、別に、ポルシェに限らず、全てのメーカーのDNAは、MRだということになるんじゃないのか、ということになるのだが、そうではない。
ポルシェの作るクルマは、セダンだろうがSUVだろうが、明確に他のメーカーと異なる指向性を持っている。
まず、スポーティであること、そして、その後に、ユーティリティとか、快適性が来て、最後に値段が付く(そうに決まっている!)。
そうして、最近は、何年かに一度、スーパーカーを作ってくるようになった。
高性能車という分類に放り込まれている車を見ると、こんなのがある。
(ポルシェ・550)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9D%E3%83%AB%E3%82%B7%E3%82%A7%E3%83%BB550
(ポルシェ・904)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9D%E3%83%AB%E3%82%B7%E3%82%A7%E3%83%BB904
(ポルシェ・959)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9D%E3%83%AB%E3%82%B7%E3%82%A7%E3%83%BB959
(ポルシェ・カレラGT)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9D%E3%83%AB%E3%82%B7%E3%82%A7%E3%83%BB%E3%82%AB%E3%83%AC%E3%83%A9GT
(ポルシェ・918)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9D%E3%83%AB%E3%82%B7%E3%82%A7%E3%83%BB918
ここには挙がっていないが、GT1もロードカーとして市販された。
(ポルシェ・911 GT1)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9D%E3%83%AB%E3%82%B7%E3%82%A7%E3%83%BB911_GT1
4輪駆動車の実験車でもあった959を除いて、全てMRである。
こういった車を、何年かに1度、思い出したように投入してくるメーカーというのは、そうはない。
そりゃあ、トヨタだって、2000GTとか、LF-Aを出してはいるが、それをブランドイメージとして市販車の方向性を決めているわけではない。
ポルシェと同じように、スポーツ車を指向しているメーカーは、他にもある。
フェラーリ、ランボルギーニ、アルファロメオ、マクラーレン、パガーニ、ケーニグセグ、エトセエトセ・・・。
これらのメーカーが、フラッグシップとして掲げているのは、全て、例外なく、MRである。
まあ、4Cがフラッグシップかどうかは議論があるかもしれないが。
例外を挙げるとすれば、ルーフだろうが、これは仕方ないだろう?。
まあいい。
浮沈子の悩みは、別のところにある。
レーシングポルシェというのは、厳密な定義ではなく、市販車の格好をしたGTカークラスを含めるかどうかで、微妙に揺らぐ括り方なのだ。
含めるとすれば、スポーツモデルとして、連綿とレース参加をしている911と、それをベースとしたGTカーを外すわけにはいかない。
しかし、そうすれば、浮沈子がぼんやりと確信している(意味不明)DNA=MR説は、崩壊する。
だって、911のワンメイクレースって、みんなRRじゃん!?。
まあ、どうでもいいんですが。
GTカーを含めても、MRの系譜は途切れることはない。
不思議なことに、ポルシェは、RRとMRを並行してレースに出場させている。
まあ、考えてみれば不思議でも何でもない。
GTクラスに出す、元々の市販車がRRなだけである(FRもありますが)。
それでも、MRの車を途切れることなく投入するというのは、やはり異常だ。
普通ではない。
917の後も、936、956、962、GT1、RSスパイダーと続いた。
カレラGTも、レーシングポルシェになるはずだったクルマである。
フェラーリ、ランボルギーニ以外に、こんなメーカーはない。
いや、浮沈子が知らないところで、地道にレースを続けているメーカーがあるかもしれないが、ケーターハムとかを挙げるのは、無しにして欲しいな(FRだから?)。
ロータスは、考慮に入れてもいいかな(MRだから?)。
手前味噌なのは承知している。
だから、やっぱり、この先も、RRとかFRのGTカーは除いて、MRの系譜を辿ることにしよう。
そうすれば、918スパイダーという、最新のポルシェの姿が、ハッキリと見えてくるような気がするのだ。
実は、悩んでいる。
このシリーズ(?)は、ある仮説、つまり、ポルシェという自動車会社の作っているクルマの系統というのは、本当はミッドシップレイアウトのオープンカーなんじゃないだろうか、ということを検証するために始めた。
DNAといってもいい。
表現形は、RRだったり、FRだったり、ひょっとしたら、FF(!)になるかも知れないが(ホントかあ?、聞いてないぜ!)、脈々と流れる根本のところには、MRというレーシングカーに最適なエンジンレイアウトと、それにより実現される運動性能にあるといえるのではないのか。
最近の911をみると、電子制御の足回りを駆使して、ちょっとやそっとではRR特有の破綻を来たさないようになってきている。
運動特性は、FRではないし、ましてやFFではない。
目指すところはMRであろう。
そう考えると、そんな気もする(?)。
最近は、カイエンやパナメーラなどのFR車が売れまくっているので、MRのボクスターやケイマンの影も薄いが、ポルシェという会社は、ロードカーだけを作ってきた会社ではない。
黎明期から、レースを重視し、レースに賭け、レースに生きてきた会社でもある(まあ、所詮、宣伝ですが)。
本田宗一郎ではないが、レースは走る実験室である。
最近は、コンピューターによるシミュレーションが当たり前になり、走る前から結果が分かっていたりするらしいが、やはり、レースは走ってみなければ分からない。
まあ、そのうち、あんなアブナイことは、人間がやるのは野蛮だから、完全自動運転でレースしようということになって、レーサーはおまんまの食い上げになってしまうに違いないと、浮沈子は睨んでいる。
しかし、そのレーシングカーは、ポルシェに限らず、生産車とは異なる形態をとる。
生産車をベースとしたレギュレーションは別にして、プロトタイプという比較的自由に作っていいクルマは、ほとんどがMRになる。
ラリーとかの公道レースの場合は、4輪駆動だし、必ずしもMR構成になっていないが、サーキット走行で最速を競う競技では、まず、100パーセントがMRといっていい。
じゃあ、別に、ポルシェに限らず、全てのメーカーのDNAは、MRだということになるんじゃないのか、ということになるのだが、そうではない。
ポルシェの作るクルマは、セダンだろうがSUVだろうが、明確に他のメーカーと異なる指向性を持っている。
まず、スポーティであること、そして、その後に、ユーティリティとか、快適性が来て、最後に値段が付く(そうに決まっている!)。
そうして、最近は、何年かに一度、スーパーカーを作ってくるようになった。
高性能車という分類に放り込まれている車を見ると、こんなのがある。
(ポルシェ・550)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9D%E3%83%AB%E3%82%B7%E3%82%A7%E3%83%BB550
(ポルシェ・904)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9D%E3%83%AB%E3%82%B7%E3%82%A7%E3%83%BB904
(ポルシェ・959)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9D%E3%83%AB%E3%82%B7%E3%82%A7%E3%83%BB959
(ポルシェ・カレラGT)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9D%E3%83%AB%E3%82%B7%E3%82%A7%E3%83%BB%E3%82%AB%E3%83%AC%E3%83%A9GT
(ポルシェ・918)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9D%E3%83%AB%E3%82%B7%E3%82%A7%E3%83%BB918
ここには挙がっていないが、GT1もロードカーとして市販された。
(ポルシェ・911 GT1)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9D%E3%83%AB%E3%82%B7%E3%82%A7%E3%83%BB911_GT1
4輪駆動車の実験車でもあった959を除いて、全てMRである。
こういった車を、何年かに1度、思い出したように投入してくるメーカーというのは、そうはない。
そりゃあ、トヨタだって、2000GTとか、LF-Aを出してはいるが、それをブランドイメージとして市販車の方向性を決めているわけではない。
ポルシェと同じように、スポーツ車を指向しているメーカーは、他にもある。
フェラーリ、ランボルギーニ、アルファロメオ、マクラーレン、パガーニ、ケーニグセグ、エトセエトセ・・・。
これらのメーカーが、フラッグシップとして掲げているのは、全て、例外なく、MRである。
まあ、4Cがフラッグシップかどうかは議論があるかもしれないが。
例外を挙げるとすれば、ルーフだろうが、これは仕方ないだろう?。
まあいい。
浮沈子の悩みは、別のところにある。
レーシングポルシェというのは、厳密な定義ではなく、市販車の格好をしたGTカークラスを含めるかどうかで、微妙に揺らぐ括り方なのだ。
含めるとすれば、スポーツモデルとして、連綿とレース参加をしている911と、それをベースとしたGTカーを外すわけにはいかない。
しかし、そうすれば、浮沈子がぼんやりと確信している(意味不明)DNA=MR説は、崩壊する。
だって、911のワンメイクレースって、みんなRRじゃん!?。
まあ、どうでもいいんですが。
GTカーを含めても、MRの系譜は途切れることはない。
不思議なことに、ポルシェは、RRとMRを並行してレースに出場させている。
まあ、考えてみれば不思議でも何でもない。
GTクラスに出す、元々の市販車がRRなだけである(FRもありますが)。
それでも、MRの車を途切れることなく投入するというのは、やはり異常だ。
普通ではない。
917の後も、936、956、962、GT1、RSスパイダーと続いた。
カレラGTも、レーシングポルシェになるはずだったクルマである。
フェラーリ、ランボルギーニ以外に、こんなメーカーはない。
いや、浮沈子が知らないところで、地道にレースを続けているメーカーがあるかもしれないが、ケーターハムとかを挙げるのは、無しにして欲しいな(FRだから?)。
ロータスは、考慮に入れてもいいかな(MRだから?)。
手前味噌なのは承知している。
だから、やっぱり、この先も、RRとかFRのGTカーは除いて、MRの系譜を辿ることにしよう。
そうすれば、918スパイダーという、最新のポルシェの姿が、ハッキリと見えてくるような気がするのだ。
レーシングポルシェの系譜(その14)936 ― 2013年11月12日 17:15
レーシングポルシェの系譜(その14)936
この惑星上で、レギュレーション改正でしか止めることのできない、怒涛のモンスターマシンであった917が、耐久レースから締め出されて4年間(1972-75)、ポルシェのMR車は、実質的に908しかなかった。
910も出場はしていたが、最早戦力外、GTクラスでは、カレラRSRターボ、934、935が登場していたが、ルマン優勝を狙う位置にはいなかった(事実、この間の優勝はない)。
ルマンは、ハイパワーだけでも、高い運動性だけでも、磐石の耐久性だけでも勝てない、難攻不落の城だった。
72年からマトラ・シムカが、文字通り社運を賭けて3連覇を成し遂げ、フランス人の溜飲を下げていた。
(マトラ (自動車))
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%83%88%E3%83%A9_(%E8%87%AA%E5%8B%95%E8%BB%8A)
「1962年からルネ・ボネで製造されていた世界初の量産ミッドシップスポーツカー「ジェット (Djet) 」を改良し、「マトラ・ジェット」として販売を継続。スポーツカーメーカーとして名を馳せた。」
手前味噌の浮沈子としては、「世界初の量産ミッドシップスポーツカー」にアンダーラインだな!。
「また、モータースポーツにおけるフランスの復権を唱えるド・ゴール政権の支援を得て、積極的にレース活動を展開した。F1では独自マシンで参戦する一方、ティレルと組んで1969年の世界タイトルを獲得。耐久レースでもル・マン24時間レースを1972年から3連覇するなどの功績を残した。」
「しかし、レース事業への注力で経営難に陥り、1969年12月にクライスラー傘下のシムカと合併し、社名を「マトラ・シムカ」に変更した。」
(マトラ・MS670)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%83%88%E3%83%A9%E3%83%BBMS670
(Matra Simca MS670:フランス語)
http://fr.wikipedia.org/wiki/Matra_Simca_MS670
第二外国語がフランス語だった浮沈子は、しかし、ボンジュールの発音が出来ないことにショックを受け、「セ・ラ・ヴィ」だけ覚えて、諦めた。
(C'est la vie)
http://ja.wikipedia.org/wiki/C'est_la_vie
まあ、どうでもいいんですが(C'est la vie・・・)。
フランス語のウィキならば、多くの情報があるはずだと思ったが、素っ気無いもんだな。
1975年のガルフ・ミラージュ・GB8については、ウィキがない。
(1975 Gulf-Mirage GR8)
http://www.supercars.net/cars/5056.html
(Mirage (race car))
http://en.wikipedia.org/wiki/Mirage_(race_car)
かろうじて、英語のウィキを見つけた。
「from 1974 to 1978, the Mirages never finished outside of the top-ten positions at Le Mans」とあるので、一定の戦闘能力はあったようだな。
さて、1976年、彗星の如く現れ、いきなりルマンの覇者となったクルマがある。
(ポルシェ・936)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9D%E3%83%AB%E3%82%B7%E3%82%A7%E3%83%BB936
(Porsche 936)
http://de.wikipedia.org/wiki/Porsche_936
(1976 24 Hours of Le Mans)
http://en.wikipedia.org/wiki/1976_24_Hours_of_Le_Mans
しかも、翌77年も優勝、78年は2位、79年は下位に沈んだが、80年は2位、81年は優勝し、ポルシェMRの系譜を保った。
ちなみに、79年は、935が優勝している。
しかし、この935というのは、とんでもないクルマだな。
(ポルシェ・935)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9D%E3%83%AB%E3%82%B7%E3%82%A7%E3%83%BB935
「935/78 "モビー・ディック"
1978年さらに別のバージョン935/78が開発された。これは空気抵抗低減のため、ロングノーズ化・後部の最適化がなされ、その形状から「モビー・ディック」と呼ばれた。 エンジンは3.2Lに拡大、水冷式の4バルブのシリンダーヘッドに交換され、出力は950馬力(700kW)まで増加した。」
「この車はル・マン24時間レースで360km/h以上で走りストレートでは最も速い車でグループ6のポルシェ・936を簡単に追い抜くほどで、フロントとリアのダウンフォースの調整によりポルシェ・917に匹敵する390km/h(240mph)での走行も可能であった。」
なんてこった!、これじゃあ、DNA=MRの方程式は返上しなくちゃならないじゃないか!。
ダメ押しで、こんな記述も!。
「935 "K3"
ポルシェがこれらのエボリューションモデルを販売するのを躊躇したため、クレマーレーシングのように自身でエボリューションモデルを開発したチームもあった。」
「「935 "K3"」(クレマー・タイプ3の略;成功したK2の改良型)はクラウス・ルドウィグのドライビングで大雨の1979年のル・マン24時間レースで全てのプロトタイプカーに打ち勝ち優勝した。2位はロルフ・シュトメレンのドライビングしたファクトリースペックの車両だった。」
「1984年までにル・マン24時間レース、デイトナ24時間レース、セブリング12時間レース、シルバーストーン6時間レースを含む150以上のレースで勝利を収めた。また1977年と1979年の3年間ドイツのDRMで不敗であり、IMSA GTXのクラス優勝、ニュルブルクリンク1000kmでの勝利も獲得している。また1976年から1979年までFIAワールドチャンピオンシップの優勝をポルシェにもたらした。」
どうしよう!?。
「大雨の1979年のル・マン24時間レースで全てのプロトタイプカーに打ち勝ち優勝した」とか、「また1976年から1979年までFIAワールドチャンピオンシップの優勝をポルシェにもたらした」ってことは、「立役者」ってことじゃないか!。
(立役者)
http://dictionary.goo.ne.jp/leaf/jn2/137732/m0u/
「1 芝居の一座で中心になる役者。立者(たてもの)。立役。
2 物事の中心となって重要な役割を果たす人。「軍縮会議の―」」とある。
まあいい。
ルマンの優勝だけに限れば、936の3回に対して、935は、クレーマー車を含めて2回しか優勝していない。
むむっ、なんとか徳俵で踏み止まったぞ。
(徳俵の深い意味:水はけのためとある。)
http://www.yoshimura-tatsuya.com/2011/10/blog-post.html
「得」俵ではないのだ・・・。
で、936のドイツ語のウィキを自動翻訳で読むと、908/03と、917/10と、911カレラRSRターボ2.1を組み合わせて作ったとある。
日本語のウィキでは、917の流用ということになっているが、917そのものが、908の発展形なので、融通が利いたのだろう。
詳しく読むと、フロントは908、中央部のドアと後部は917から取られたとある。
もちろん、細部はモディファイされているようだ。
エンジンは、76年はシングルターボ、77以降はツインターボで、さらにツインプラグとある。
78年型と81年型は、水冷ヘッドを採用した。
この水冷ヘッドは、78年型の935(モビーディック)も採用している。
さて、1981年の優勝の後、この優勝車は、重要な任務を帯びたようだ。
「1981年の優勝車を使用して新型の排気量2,650ccの935/76型エンジンテストを行ない、1982年に後継車ポルシェ・956に譲った。」とある。
この935/76エンジンというのも、ポルシェのエンジン一覧には出ていない(加筆しようかな)。
(935/76型)
http://minkara.carview.co.jp/en/userid/251769/blog/13447681/
「このエンジン、956のエンジンですが、形式は935/76型。
そう、フラットシックスのターボはかの935から使用され、936へと続き、更に熟成されたものとなっています。」
ふむふむ・・・。
「その際のエンジンパワーの増大により熱的に耐えられなくなり、本体は空冷ながらDOHC化されたヘッド部分のみ水冷といった冷却方式へと変更されています。
画像の消火器みたいな赤の部分がエンジン本体空冷のエアーシュラウド。」
ほーっ、細かいねえ!。
その後、さらなるパワー増大にエンジンは全水冷といった方式へと変更、962への時代へ引き継がれる事となります。
ポルシェが空冷にこだわったのはそれが最適と思っていたためではなく、開発費などの財政面での問題だと聞いた事があるのですが、本当はどうだったんでしょうね?」
さあ・・・?。
「今回の1982年、ウィナー仕様では935/76型エンジンは予定していたボッシュのインジェクションユニットが間に合わず、クーゲルフィッシャーのメカトロニック・インジェクションユニットを使用しての参戦となっています。」
いやあ、模型マニアは、詳しいなあ!。
詳細は、956で扱うが、620馬力(83年に640馬力)のエンジンといえば、5リッターノンターボの917に匹敵する。
例によって、例の本(Typenkompass Porsche Renn-und Rennsportwagen seit 1948)。
「耐久レーサー
・936スパイダー(1976-77)6気筒ターボ2142cc:540馬力」
ポルシェ本国のページ。
(Porsche 936 Spyder:1976-1977)
http://www.porsche.com/germany/sportandevents/motorsport/history/racingcars/70ies/1976-936spyder/
日本語のページ。
(1977 Porsche 936/77 Spyder)
http://www.porsche.com/japan/jp/motorsportandevents/motorsport/philosophy/history/racingcars/1977-93677spyder/
「1976年の世界スポーツカー選手権に向けて特別に開発された936は、ポルシェがきわめて高い基準のもとで、生粋のレーシングカーを生み出していることを裏付ける一台として誕生しました。」
「ポルシェはグループ5で争われる世界メーカー選手権に935で、そしてこの936で世界スポーツカー選手権に挑戦していました。」
「技術に対するひたむきな取り組み、情熱をこめた走り、プロ意識の高いレースマネージメントによって、ポルシェはこの年、935と936で見事に世界選手権2冠を達成しました。」
どこを読んでも、ニコイチとか、サンコイチで作られたとは書いていない(書くわきゃないじゃん!?)。
この936というのは、名実共に繋ぎのクルマであるな。
907なんかと共通の感じがする。
そして、モンスター917の後という厳しい状況の中で、ルマン優勝を3回も成し遂げる快挙を始め、2位2回という安定した戦闘力を示し、立派にその役割を果たしたといえよう。
最後には、優勝車での開発テストも行うという、立つ鳥後を濁さずのお手本のような終わりかただ。
「1982年に新しいカテゴリとしてグループCがスタートしたが、ちょうど956が完成した年であったためクレマーレーシングやヨーストレーシングは956を受領するのに1983年まで待たなければならなかった。そのためこの2つのチームはグループCのレギュレーションに併せるため936に屋根を取り付け、新しいボディシェイプの車を製作した。ヨーストレーシングが作成した車は「936C」と名づけられ、クレマーレーシングの車は「CK5」と呼ばれた。」
プライベーターに対する援助もしているという、涙なくしては語れない最期であるな。
この惑星上で、レギュレーション改正でしか止めることのできない、怒涛のモンスターマシンであった917が、耐久レースから締め出されて4年間(1972-75)、ポルシェのMR車は、実質的に908しかなかった。
910も出場はしていたが、最早戦力外、GTクラスでは、カレラRSRターボ、934、935が登場していたが、ルマン優勝を狙う位置にはいなかった(事実、この間の優勝はない)。
ルマンは、ハイパワーだけでも、高い運動性だけでも、磐石の耐久性だけでも勝てない、難攻不落の城だった。
72年からマトラ・シムカが、文字通り社運を賭けて3連覇を成し遂げ、フランス人の溜飲を下げていた。
(マトラ (自動車))
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%83%88%E3%83%A9_(%E8%87%AA%E5%8B%95%E8%BB%8A)
「1962年からルネ・ボネで製造されていた世界初の量産ミッドシップスポーツカー「ジェット (Djet) 」を改良し、「マトラ・ジェット」として販売を継続。スポーツカーメーカーとして名を馳せた。」
手前味噌の浮沈子としては、「世界初の量産ミッドシップスポーツカー」にアンダーラインだな!。
「また、モータースポーツにおけるフランスの復権を唱えるド・ゴール政権の支援を得て、積極的にレース活動を展開した。F1では独自マシンで参戦する一方、ティレルと組んで1969年の世界タイトルを獲得。耐久レースでもル・マン24時間レースを1972年から3連覇するなどの功績を残した。」
「しかし、レース事業への注力で経営難に陥り、1969年12月にクライスラー傘下のシムカと合併し、社名を「マトラ・シムカ」に変更した。」
(マトラ・MS670)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%83%88%E3%83%A9%E3%83%BBMS670
(Matra Simca MS670:フランス語)
http://fr.wikipedia.org/wiki/Matra_Simca_MS670
第二外国語がフランス語だった浮沈子は、しかし、ボンジュールの発音が出来ないことにショックを受け、「セ・ラ・ヴィ」だけ覚えて、諦めた。
(C'est la vie)
http://ja.wikipedia.org/wiki/C'est_la_vie
まあ、どうでもいいんですが(C'est la vie・・・)。
フランス語のウィキならば、多くの情報があるはずだと思ったが、素っ気無いもんだな。
1975年のガルフ・ミラージュ・GB8については、ウィキがない。
(1975 Gulf-Mirage GR8)
http://www.supercars.net/cars/5056.html
(Mirage (race car))
http://en.wikipedia.org/wiki/Mirage_(race_car)
かろうじて、英語のウィキを見つけた。
「from 1974 to 1978, the Mirages never finished outside of the top-ten positions at Le Mans」とあるので、一定の戦闘能力はあったようだな。
さて、1976年、彗星の如く現れ、いきなりルマンの覇者となったクルマがある。
(ポルシェ・936)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9D%E3%83%AB%E3%82%B7%E3%82%A7%E3%83%BB936
(Porsche 936)
http://de.wikipedia.org/wiki/Porsche_936
(1976 24 Hours of Le Mans)
http://en.wikipedia.org/wiki/1976_24_Hours_of_Le_Mans
しかも、翌77年も優勝、78年は2位、79年は下位に沈んだが、80年は2位、81年は優勝し、ポルシェMRの系譜を保った。
ちなみに、79年は、935が優勝している。
しかし、この935というのは、とんでもないクルマだな。
(ポルシェ・935)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9D%E3%83%AB%E3%82%B7%E3%82%A7%E3%83%BB935
「935/78 "モビー・ディック"
1978年さらに別のバージョン935/78が開発された。これは空気抵抗低減のため、ロングノーズ化・後部の最適化がなされ、その形状から「モビー・ディック」と呼ばれた。 エンジンは3.2Lに拡大、水冷式の4バルブのシリンダーヘッドに交換され、出力は950馬力(700kW)まで増加した。」
「この車はル・マン24時間レースで360km/h以上で走りストレートでは最も速い車でグループ6のポルシェ・936を簡単に追い抜くほどで、フロントとリアのダウンフォースの調整によりポルシェ・917に匹敵する390km/h(240mph)での走行も可能であった。」
なんてこった!、これじゃあ、DNA=MRの方程式は返上しなくちゃならないじゃないか!。
ダメ押しで、こんな記述も!。
「935 "K3"
ポルシェがこれらのエボリューションモデルを販売するのを躊躇したため、クレマーレーシングのように自身でエボリューションモデルを開発したチームもあった。」
「「935 "K3"」(クレマー・タイプ3の略;成功したK2の改良型)はクラウス・ルドウィグのドライビングで大雨の1979年のル・マン24時間レースで全てのプロトタイプカーに打ち勝ち優勝した。2位はロルフ・シュトメレンのドライビングしたファクトリースペックの車両だった。」
「1984年までにル・マン24時間レース、デイトナ24時間レース、セブリング12時間レース、シルバーストーン6時間レースを含む150以上のレースで勝利を収めた。また1977年と1979年の3年間ドイツのDRMで不敗であり、IMSA GTXのクラス優勝、ニュルブルクリンク1000kmでの勝利も獲得している。また1976年から1979年までFIAワールドチャンピオンシップの優勝をポルシェにもたらした。」
どうしよう!?。
「大雨の1979年のル・マン24時間レースで全てのプロトタイプカーに打ち勝ち優勝した」とか、「また1976年から1979年までFIAワールドチャンピオンシップの優勝をポルシェにもたらした」ってことは、「立役者」ってことじゃないか!。
(立役者)
http://dictionary.goo.ne.jp/leaf/jn2/137732/m0u/
「1 芝居の一座で中心になる役者。立者(たてもの)。立役。
2 物事の中心となって重要な役割を果たす人。「軍縮会議の―」」とある。
まあいい。
ルマンの優勝だけに限れば、936の3回に対して、935は、クレーマー車を含めて2回しか優勝していない。
むむっ、なんとか徳俵で踏み止まったぞ。
(徳俵の深い意味:水はけのためとある。)
http://www.yoshimura-tatsuya.com/2011/10/blog-post.html
「得」俵ではないのだ・・・。
で、936のドイツ語のウィキを自動翻訳で読むと、908/03と、917/10と、911カレラRSRターボ2.1を組み合わせて作ったとある。
日本語のウィキでは、917の流用ということになっているが、917そのものが、908の発展形なので、融通が利いたのだろう。
詳しく読むと、フロントは908、中央部のドアと後部は917から取られたとある。
もちろん、細部はモディファイされているようだ。
エンジンは、76年はシングルターボ、77以降はツインターボで、さらにツインプラグとある。
78年型と81年型は、水冷ヘッドを採用した。
この水冷ヘッドは、78年型の935(モビーディック)も採用している。
さて、1981年の優勝の後、この優勝車は、重要な任務を帯びたようだ。
「1981年の優勝車を使用して新型の排気量2,650ccの935/76型エンジンテストを行ない、1982年に後継車ポルシェ・956に譲った。」とある。
この935/76エンジンというのも、ポルシェのエンジン一覧には出ていない(加筆しようかな)。
(935/76型)
http://minkara.carview.co.jp/en/userid/251769/blog/13447681/
「このエンジン、956のエンジンですが、形式は935/76型。
そう、フラットシックスのターボはかの935から使用され、936へと続き、更に熟成されたものとなっています。」
ふむふむ・・・。
「その際のエンジンパワーの増大により熱的に耐えられなくなり、本体は空冷ながらDOHC化されたヘッド部分のみ水冷といった冷却方式へと変更されています。
画像の消火器みたいな赤の部分がエンジン本体空冷のエアーシュラウド。」
ほーっ、細かいねえ!。
その後、さらなるパワー増大にエンジンは全水冷といった方式へと変更、962への時代へ引き継がれる事となります。
ポルシェが空冷にこだわったのはそれが最適と思っていたためではなく、開発費などの財政面での問題だと聞いた事があるのですが、本当はどうだったんでしょうね?」
さあ・・・?。
「今回の1982年、ウィナー仕様では935/76型エンジンは予定していたボッシュのインジェクションユニットが間に合わず、クーゲルフィッシャーのメカトロニック・インジェクションユニットを使用しての参戦となっています。」
いやあ、模型マニアは、詳しいなあ!。
詳細は、956で扱うが、620馬力(83年に640馬力)のエンジンといえば、5リッターノンターボの917に匹敵する。
例によって、例の本(Typenkompass Porsche Renn-und Rennsportwagen seit 1948)。
「耐久レーサー
・936スパイダー(1976-77)6気筒ターボ2142cc:540馬力」
ポルシェ本国のページ。
(Porsche 936 Spyder:1976-1977)
http://www.porsche.com/germany/sportandevents/motorsport/history/racingcars/70ies/1976-936spyder/
日本語のページ。
(1977 Porsche 936/77 Spyder)
http://www.porsche.com/japan/jp/motorsportandevents/motorsport/philosophy/history/racingcars/1977-93677spyder/
「1976年の世界スポーツカー選手権に向けて特別に開発された936は、ポルシェがきわめて高い基準のもとで、生粋のレーシングカーを生み出していることを裏付ける一台として誕生しました。」
「ポルシェはグループ5で争われる世界メーカー選手権に935で、そしてこの936で世界スポーツカー選手権に挑戦していました。」
「技術に対するひたむきな取り組み、情熱をこめた走り、プロ意識の高いレースマネージメントによって、ポルシェはこの年、935と936で見事に世界選手権2冠を達成しました。」
どこを読んでも、ニコイチとか、サンコイチで作られたとは書いていない(書くわきゃないじゃん!?)。
この936というのは、名実共に繋ぎのクルマであるな。
907なんかと共通の感じがする。
そして、モンスター917の後という厳しい状況の中で、ルマン優勝を3回も成し遂げる快挙を始め、2位2回という安定した戦闘力を示し、立派にその役割を果たしたといえよう。
最後には、優勝車での開発テストも行うという、立つ鳥後を濁さずのお手本のような終わりかただ。
「1982年に新しいカテゴリとしてグループCがスタートしたが、ちょうど956が完成した年であったためクレマーレーシングやヨーストレーシングは956を受領するのに1983年まで待たなければならなかった。そのためこの2つのチームはグループCのレギュレーションに併せるため936に屋根を取り付け、新しいボディシェイプの車を製作した。ヨーストレーシングが作成した車は「936C」と名づけられ、クレマーレーシングの車は「CK5」と呼ばれた。」
プライベーターに対する援助もしているという、涙なくしては語れない最期であるな。
レーシングポルシェの系譜(その15)956 ― 2013年11月12日 18:59
レーシングポルシェの系譜(その15)956
917が東の横綱だとすると、西の横綱は、何といっても956で決まりだな。
(横綱の東西)
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1014454200
「・・・以来東が優位となりました。番付も東の方が優位です。」
まあ、どうでもいいんですが(いきなりかよ!)。
浮沈子は、917こそ、レーシングポルシェの金字塔と信じて疑わない。
その圧倒的な戦闘力は、当時の他のメーカーをして顔色を失わせるものであったと思われる。
ルマンだけではない。
カンナムでは、常勝マクラーレンを叩きのめし、ワークスから撤退させるほどであった。
絶対的な性能も、文字通り群を抜いていたが、各メーカーが鎬を削る戦いをしているレースの世界で、一頭地を抜く実力を持っていたといっていい。
そんなポルシェが、1983年(なんと、83タルガが作られた年)に、またまた歴史に残るクルマを作り上げてきた。
956である。
(ポルシェ・956)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9D%E3%83%AB%E3%82%B7%E3%82%A7%E3%83%BB956
「ポルシェ・956(Porsche956)は、1982年に発効したFIAの新規定のうち、ポルシェがグループCに合わせて造られたプロトタイプレーシングカーである。」
「ワークススペックが10台、カスタマースペックが1983年型12台、モトロニックを搭載し、956Bともいわれる1984年型6台の計18台が製作された。」
この28台の956が、世界を変えたといってもいい。
「935/76型
ポルシェがインディ500参戦用に開発した空水冷・水平対向6気筒・シングルターボの935/72型エンジンをツインターボ化したもの。」
「排気量は2,650ccで、左右3気筒ずつを担当する2つのターボチャージャーで1.2barに過給し、620PS以上を発生した。ただし1982年のル・マン24時間では燃費向上のため過給圧を1.1barとしている。」
「ディフューザーの傾斜角を確保するため、エンジンを前掲させて搭載している。」
「935/82型
935/76型のインジェクターをボッシュ製のエレクトリックコントロールユニット、モトロニックMP1.2により電子制御化したもの。」
「1984年にはツインインジェクター化された。また、1986年には排気量を2.8Lに拡大されたものが、カスタマーチームに供給された。」
「シャーシ
それまでの鋼管スペースフレームではなくポルシェでは初となるツインチューブ式のアルミニウムモノコックを採用した。」
「空力
グループCが燃費フォーミュラであることから低ドラッグであることが求められ、ポルシェとしては初めてグラウンド・エフェクトカーとして製作された。水平対向エンジンは横幅があるためグラウンド・エフェクトカーには不向きであるが、エンジンを5°前傾させて搭載しディフューザーのスペースを確保した。また、フロント床下部にはポルシェハンプと俗称される逆翼状の窪みを設けている。これはフロント・ベンチュリとして機能し、床下の気流の流速を維持する効果があるという。」
「1984年
リチャード・ロイド・レーシング(RLR)、アルミハニカム製モノコックの956-106BをWEC第7戦スパ1000kmにデビューさせる。」
「1984年
ワークス、WEC第8戦イモラ1000kmの予選でPDKを試用。」
「1985年
ワークスの使用車両、956から962Cに移行。」
「ニュルブルクリンク北コース(L=20.830km、1983 - 1984年)での絶対コースレコード6分11秒13は、ドイツの新鋭であったステファン・ベロフが1983年のニュルブルクリンク1,000kmのフリー走行中にこの車で記録したものである。」
最先端のエンジン、最先端のボディーワーク、プライベーターへの積極的な供給とサポート、レギュレーション変更への素早い対応、どれをとっても、完璧であり、非の打ち所がない。
国内の評価も、最大限の高評価である。
「ノバの森脇基恭は、956について「マシンに6か月保証が付いている」、「エンジンに6,000kmまでオーバーホール不要の保証が付いている」、「エンジンのオーバーホールがポルシェの一般車と同じ工場で行われるため費用が格安なこと」、「WEC全戦にポルシェからサービスカーが派遣されスペアパーツがその場で購入できる」、などアフターセールの良さについて絶賛している。」
「グループCの安全規定が変更(ドライバーのつま先がフロント車軸より後ろになくてはならない)されたことにより956は1987年以降は出場できなくなり、この規定に沿ってモディファイされた後継モデルの962Cにその座を譲り渡した。しかし、実質上は962Cは956の「エポリューションモデル」という位置づけになるため、基本的には同一車種として見なすことができる。」
ついでに、962Cも覗いてみよう。
(ポルシェ・962)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9D%E3%83%AB%E3%82%B7%E3%82%A7%E3%83%BB962
「ポルシェ 962(Porsche 962 )は、1984年にポルシェがIMSA-GTPクラス用に開発・製作したプロトタイプレーシングカー。グループCレギュレーションで行われていたWEC用に開発・製作された962Cとともに1980年代のスポーツカー・レースにおいてポルシェに多くのタイトルとビッグイベントでの優勝をもたらした。」
はい、ここまで!(次回をお楽しみに)。
962Cは、結構面白いので、ちゃんと書く。
ルマンでは、82年から85年までの956と86、87年の962が通算連続6回の優勝を果たしている。
また、1994年にダウアー・962LMが優勝しており、合計では7回の優勝となる。
さらに、エンジンサプライヤーとしてではあるが、1996年と97年に、TWR ポルシェ・WSC95が優勝している。
(ポルシェ・WSC95)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9D%E3%83%AB%E3%82%B7%E3%82%A7%E3%83%BBWSC95
浮沈子は、これをポルシェの戦績としてカウントしていいかどうか迷っている。
例えば、1996年にヨーストが作成したWSC Joest Spyder (Typ 935/85)については、ポルシェは本国ページで紹介している。
(WSC Joest Spyder (Typ 935/85))
http://www.porsche.com/germany/sportandevents/motorsport/history/racingcars/90ies/1996-wscjoestspyder/
トムウォーキンショーレーシングが作成したWSC95も、これと同じではないのか?。
(1996 WSC Joest Spyder:日本語のページ)
http://www.porsche.com/japan/jp/motorsportandevents/motorsport/philosophy/history/racingcars/1996-wscjoestspyder/
「ヨースト側はあくまでもプライベートチームとしてポルシェからノウハウの提供を受ける立場でしたが、ポルシェとヨーストは実質的に、共同でこのWSCカーの開発を進めてきました。」
「ポルシェのスタッフをメンバーに加え、さらに体制を充実させたヨースト・レーシングチームは、予備予選の関門を難なくクリアしました。」
まあ、生殺与奪の権限はポルシェにあるのだから、外野がとやかくいうことはないだろう。
しかし、ドイツ語のウィキにも英語のウィキにも、ヨーストスパイダーの記述はない。
また、日本語と英語のウィキには、WSC95が出ている。
それが、事実だ。
いずれにしても、956は、総合力で他を圧倒し、完成度の高さに磨きをかけていった。
例によって、ドイツ語のウィキ。
(Porsche 956)
http://de.wikipedia.org/wiki/Porsche_956
例によって、例の本(Typenkompass Porsche Renn-und Rennsportwagen seit 1948)。
「耐久レーサー
・956Cクーペ(1982-85)6気筒ターボ2649cc:620馬力」
例によって、ポルシェ本国のページ。
(Porsche 956 C Coupé:1982-1985)
http://www.porsche.com/germany/sportandevents/motorsport/history/racingcars/80ies/1982-956ccoupe/
ポルシェジャパンのページ。
(1982 Porsche 956 C Coupe)
http://www.porsche.com/japan/jp/motorsportandevents/motorsport/philosophy/history/racingcars/1982-956ccoupe/
「パリに本部を置くモータースポーツ統括団体FIAはこの年、スポーツプロトタイプカーを対象とするグループCのレギュレーションを定めました。このレギュレーションを適用したスポーツカーレースは、1992年まで続けられます。このレギュレーション改正で、世界のスポーツカーレースは、最も生産車に近いレーシングカーのグループA、車両の大幅な改造が認められたグループB、ほとんど制限のないプロトタイプカーのグループCというように、大きく3つのカテゴリーに分類されることになりました。」
「グループCレギュレーションに準拠した2シーターレーシングカー「956 C」の開発が、ポルシェ社内で正式に承認されたのは1981年6月。ノルベルト・ジンガーが製作した5分の1スケールのクレイモデルを用いて、風洞実験設備でのテストが始められたのは8月のことでした。そして1982年3月27日には、ヴァイザッハのテストコースで第1号車による初めてのテスト走行が行われました。」
「ルールでは燃料の消費量に厳しい制限がありました。それと同時にこのレーシングカーではダウンフォースが大きな要素となったため、開発に際してはエアロダイナミクスにこれまで以上に重点が置かれました。アンダーフロアの設計に工夫を凝らしたことで、956は走行中にボディ上面とフロア下面に発生する気圧差を利用して、少ない空気抵抗で大きなダウンフォース(車体を路面に押し付ける空力作用)を生み出すことを可能としました。グループCカーでは、F1で採用されていたサイドスカートの装着が禁止されていましたが、956 Cはそれまでのスポーツカーを上回るコーナリングスピードを実現しました。後に956 Cはル・マンのミュルサンヌストレートで、350km/hという最高速度をマークしています。」
「グループCのレギュレーションでは、テールセクションを過度に長く設計することを禁じるために、全長とホイールベースとの比率も規定されていました。この規定に従うため、917で230cmとされていたホイールベースを、956 Cでは265cmとしました。これはポルシェの歴代レーシングカーの中で最も大きな数値でした。」
「956 Cにはポルシェのレーシングカーでは初めてとなる、アルミニウム製のモノコックシャシーが使われていました。またサスペンションは、下側のウィッシュボーンだけが走行中の気流にさらされる構造で造られており、コンポーネントの全てが強いダウンフォースによって生じる大きな負荷にも耐えられるように設計されています。」
「956 Cには開発当初、優れた実績を積んだエンジンが搭載されました。それは前の年に936をル・マン優勝に導いた、2.65リッター水平対向6気筒ツインターボエンジンでした。最高出力は約635PS/8,000rpm、車両重量は約800kg。パワーウエイトレシオは1PSあたり1.35kgでした。」
「この956 Cは1984年までの間に28台が生産されました。」
(ポルシェ 956 C クーペ(1983))
http://www.porsche.com/japan/jp/motorsportandevents/motorsport/philosophy/history/racingcars/1983-956ccoupe/
「この年の4月に開かれたジュネーブモーターショーでは、ポルシェ社内でTTE P01 V6と呼ばれたF1用パワーユニット、TAGポルシェエンジンが初公開されました。ハンス・メツガーの設計したバンク角80°のV6ターボエンジンは、軽量でコンパクトな点が大きな特徴でした。補器類の全てを装備しても、わずか150kgという軽さでした。ボアは82mmでストロークは47.3mm、排気量は1,499ccでした。ポルシェでは、マクラーレンのシャシーに搭載されるこのエンジンの最高出力について、600PS/10,000~11,500rpmと公表しています。初期テストの時には956に搭載され、ヴァイザッハのテストコースを走りました。マクラーレンのシャシーに搭載してのテストも、その直後に同じヴァイザッハで行われました。」
これは知らなかったな。
「ポルシェでは前年型956 Cのエンジンにさらに開発を加えました。世界のモータースポーツを統括するFIAは、当時600リッターに制限されていた1,000kmレースでの燃料消費量を、1984年より510リッターに引き下げると発表しました。ポルシェではこれに対応して、電子制御式のフューエルインジェクションシステムを導入し、これまでよりも8.5PSのパワーアップに成功しました。」
このクルマは、革新である。
真のレースカーといってもいい。
あらゆる要素を最適化し、計算ずくで進める現代のレーシングカーだ。
さらに磨きをかけていく962Cは、向かうところ敵なしの状況になっていく。
しかし、何事にも終わりがあり、それは、唐突に起こるのだ。
917が東の横綱だとすると、西の横綱は、何といっても956で決まりだな。
(横綱の東西)
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1014454200
「・・・以来東が優位となりました。番付も東の方が優位です。」
まあ、どうでもいいんですが(いきなりかよ!)。
浮沈子は、917こそ、レーシングポルシェの金字塔と信じて疑わない。
その圧倒的な戦闘力は、当時の他のメーカーをして顔色を失わせるものであったと思われる。
ルマンだけではない。
カンナムでは、常勝マクラーレンを叩きのめし、ワークスから撤退させるほどであった。
絶対的な性能も、文字通り群を抜いていたが、各メーカーが鎬を削る戦いをしているレースの世界で、一頭地を抜く実力を持っていたといっていい。
そんなポルシェが、1983年(なんと、83タルガが作られた年)に、またまた歴史に残るクルマを作り上げてきた。
956である。
(ポルシェ・956)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9D%E3%83%AB%E3%82%B7%E3%82%A7%E3%83%BB956
「ポルシェ・956(Porsche956)は、1982年に発効したFIAの新規定のうち、ポルシェがグループCに合わせて造られたプロトタイプレーシングカーである。」
「ワークススペックが10台、カスタマースペックが1983年型12台、モトロニックを搭載し、956Bともいわれる1984年型6台の計18台が製作された。」
この28台の956が、世界を変えたといってもいい。
「935/76型
ポルシェがインディ500参戦用に開発した空水冷・水平対向6気筒・シングルターボの935/72型エンジンをツインターボ化したもの。」
「排気量は2,650ccで、左右3気筒ずつを担当する2つのターボチャージャーで1.2barに過給し、620PS以上を発生した。ただし1982年のル・マン24時間では燃費向上のため過給圧を1.1barとしている。」
「ディフューザーの傾斜角を確保するため、エンジンを前掲させて搭載している。」
「935/82型
935/76型のインジェクターをボッシュ製のエレクトリックコントロールユニット、モトロニックMP1.2により電子制御化したもの。」
「1984年にはツインインジェクター化された。また、1986年には排気量を2.8Lに拡大されたものが、カスタマーチームに供給された。」
「シャーシ
それまでの鋼管スペースフレームではなくポルシェでは初となるツインチューブ式のアルミニウムモノコックを採用した。」
「空力
グループCが燃費フォーミュラであることから低ドラッグであることが求められ、ポルシェとしては初めてグラウンド・エフェクトカーとして製作された。水平対向エンジンは横幅があるためグラウンド・エフェクトカーには不向きであるが、エンジンを5°前傾させて搭載しディフューザーのスペースを確保した。また、フロント床下部にはポルシェハンプと俗称される逆翼状の窪みを設けている。これはフロント・ベンチュリとして機能し、床下の気流の流速を維持する効果があるという。」
「1984年
リチャード・ロイド・レーシング(RLR)、アルミハニカム製モノコックの956-106BをWEC第7戦スパ1000kmにデビューさせる。」
「1984年
ワークス、WEC第8戦イモラ1000kmの予選でPDKを試用。」
「1985年
ワークスの使用車両、956から962Cに移行。」
「ニュルブルクリンク北コース(L=20.830km、1983 - 1984年)での絶対コースレコード6分11秒13は、ドイツの新鋭であったステファン・ベロフが1983年のニュルブルクリンク1,000kmのフリー走行中にこの車で記録したものである。」
最先端のエンジン、最先端のボディーワーク、プライベーターへの積極的な供給とサポート、レギュレーション変更への素早い対応、どれをとっても、完璧であり、非の打ち所がない。
国内の評価も、最大限の高評価である。
「ノバの森脇基恭は、956について「マシンに6か月保証が付いている」、「エンジンに6,000kmまでオーバーホール不要の保証が付いている」、「エンジンのオーバーホールがポルシェの一般車と同じ工場で行われるため費用が格安なこと」、「WEC全戦にポルシェからサービスカーが派遣されスペアパーツがその場で購入できる」、などアフターセールの良さについて絶賛している。」
「グループCの安全規定が変更(ドライバーのつま先がフロント車軸より後ろになくてはならない)されたことにより956は1987年以降は出場できなくなり、この規定に沿ってモディファイされた後継モデルの962Cにその座を譲り渡した。しかし、実質上は962Cは956の「エポリューションモデル」という位置づけになるため、基本的には同一車種として見なすことができる。」
ついでに、962Cも覗いてみよう。
(ポルシェ・962)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9D%E3%83%AB%E3%82%B7%E3%82%A7%E3%83%BB962
「ポルシェ 962(Porsche 962 )は、1984年にポルシェがIMSA-GTPクラス用に開発・製作したプロトタイプレーシングカー。グループCレギュレーションで行われていたWEC用に開発・製作された962Cとともに1980年代のスポーツカー・レースにおいてポルシェに多くのタイトルとビッグイベントでの優勝をもたらした。」
はい、ここまで!(次回をお楽しみに)。
962Cは、結構面白いので、ちゃんと書く。
ルマンでは、82年から85年までの956と86、87年の962が通算連続6回の優勝を果たしている。
また、1994年にダウアー・962LMが優勝しており、合計では7回の優勝となる。
さらに、エンジンサプライヤーとしてではあるが、1996年と97年に、TWR ポルシェ・WSC95が優勝している。
(ポルシェ・WSC95)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9D%E3%83%AB%E3%82%B7%E3%82%A7%E3%83%BBWSC95
浮沈子は、これをポルシェの戦績としてカウントしていいかどうか迷っている。
例えば、1996年にヨーストが作成したWSC Joest Spyder (Typ 935/85)については、ポルシェは本国ページで紹介している。
(WSC Joest Spyder (Typ 935/85))
http://www.porsche.com/germany/sportandevents/motorsport/history/racingcars/90ies/1996-wscjoestspyder/
トムウォーキンショーレーシングが作成したWSC95も、これと同じではないのか?。
(1996 WSC Joest Spyder:日本語のページ)
http://www.porsche.com/japan/jp/motorsportandevents/motorsport/philosophy/history/racingcars/1996-wscjoestspyder/
「ヨースト側はあくまでもプライベートチームとしてポルシェからノウハウの提供を受ける立場でしたが、ポルシェとヨーストは実質的に、共同でこのWSCカーの開発を進めてきました。」
「ポルシェのスタッフをメンバーに加え、さらに体制を充実させたヨースト・レーシングチームは、予備予選の関門を難なくクリアしました。」
まあ、生殺与奪の権限はポルシェにあるのだから、外野がとやかくいうことはないだろう。
しかし、ドイツ語のウィキにも英語のウィキにも、ヨーストスパイダーの記述はない。
また、日本語と英語のウィキには、WSC95が出ている。
それが、事実だ。
いずれにしても、956は、総合力で他を圧倒し、完成度の高さに磨きをかけていった。
例によって、ドイツ語のウィキ。
(Porsche 956)
http://de.wikipedia.org/wiki/Porsche_956
例によって、例の本(Typenkompass Porsche Renn-und Rennsportwagen seit 1948)。
「耐久レーサー
・956Cクーペ(1982-85)6気筒ターボ2649cc:620馬力」
例によって、ポルシェ本国のページ。
(Porsche 956 C Coupé:1982-1985)
http://www.porsche.com/germany/sportandevents/motorsport/history/racingcars/80ies/1982-956ccoupe/
ポルシェジャパンのページ。
(1982 Porsche 956 C Coupe)
http://www.porsche.com/japan/jp/motorsportandevents/motorsport/philosophy/history/racingcars/1982-956ccoupe/
「パリに本部を置くモータースポーツ統括団体FIAはこの年、スポーツプロトタイプカーを対象とするグループCのレギュレーションを定めました。このレギュレーションを適用したスポーツカーレースは、1992年まで続けられます。このレギュレーション改正で、世界のスポーツカーレースは、最も生産車に近いレーシングカーのグループA、車両の大幅な改造が認められたグループB、ほとんど制限のないプロトタイプカーのグループCというように、大きく3つのカテゴリーに分類されることになりました。」
「グループCレギュレーションに準拠した2シーターレーシングカー「956 C」の開発が、ポルシェ社内で正式に承認されたのは1981年6月。ノルベルト・ジンガーが製作した5分の1スケールのクレイモデルを用いて、風洞実験設備でのテストが始められたのは8月のことでした。そして1982年3月27日には、ヴァイザッハのテストコースで第1号車による初めてのテスト走行が行われました。」
「ルールでは燃料の消費量に厳しい制限がありました。それと同時にこのレーシングカーではダウンフォースが大きな要素となったため、開発に際してはエアロダイナミクスにこれまで以上に重点が置かれました。アンダーフロアの設計に工夫を凝らしたことで、956は走行中にボディ上面とフロア下面に発生する気圧差を利用して、少ない空気抵抗で大きなダウンフォース(車体を路面に押し付ける空力作用)を生み出すことを可能としました。グループCカーでは、F1で採用されていたサイドスカートの装着が禁止されていましたが、956 Cはそれまでのスポーツカーを上回るコーナリングスピードを実現しました。後に956 Cはル・マンのミュルサンヌストレートで、350km/hという最高速度をマークしています。」
「グループCのレギュレーションでは、テールセクションを過度に長く設計することを禁じるために、全長とホイールベースとの比率も規定されていました。この規定に従うため、917で230cmとされていたホイールベースを、956 Cでは265cmとしました。これはポルシェの歴代レーシングカーの中で最も大きな数値でした。」
「956 Cにはポルシェのレーシングカーでは初めてとなる、アルミニウム製のモノコックシャシーが使われていました。またサスペンションは、下側のウィッシュボーンだけが走行中の気流にさらされる構造で造られており、コンポーネントの全てが強いダウンフォースによって生じる大きな負荷にも耐えられるように設計されています。」
「956 Cには開発当初、優れた実績を積んだエンジンが搭載されました。それは前の年に936をル・マン優勝に導いた、2.65リッター水平対向6気筒ツインターボエンジンでした。最高出力は約635PS/8,000rpm、車両重量は約800kg。パワーウエイトレシオは1PSあたり1.35kgでした。」
「この956 Cは1984年までの間に28台が生産されました。」
(ポルシェ 956 C クーペ(1983))
http://www.porsche.com/japan/jp/motorsportandevents/motorsport/philosophy/history/racingcars/1983-956ccoupe/
「この年の4月に開かれたジュネーブモーターショーでは、ポルシェ社内でTTE P01 V6と呼ばれたF1用パワーユニット、TAGポルシェエンジンが初公開されました。ハンス・メツガーの設計したバンク角80°のV6ターボエンジンは、軽量でコンパクトな点が大きな特徴でした。補器類の全てを装備しても、わずか150kgという軽さでした。ボアは82mmでストロークは47.3mm、排気量は1,499ccでした。ポルシェでは、マクラーレンのシャシーに搭載されるこのエンジンの最高出力について、600PS/10,000~11,500rpmと公表しています。初期テストの時には956に搭載され、ヴァイザッハのテストコースを走りました。マクラーレンのシャシーに搭載してのテストも、その直後に同じヴァイザッハで行われました。」
これは知らなかったな。
「ポルシェでは前年型956 Cのエンジンにさらに開発を加えました。世界のモータースポーツを統括するFIAは、当時600リッターに制限されていた1,000kmレースでの燃料消費量を、1984年より510リッターに引き下げると発表しました。ポルシェではこれに対応して、電子制御式のフューエルインジェクションシステムを導入し、これまでよりも8.5PSのパワーアップに成功しました。」
このクルマは、革新である。
真のレースカーといってもいい。
あらゆる要素を最適化し、計算ずくで進める現代のレーシングカーだ。
さらに磨きをかけていく962Cは、向かうところ敵なしの状況になっていく。
しかし、何事にも終わりがあり、それは、唐突に起こるのだ。
レーシングポルシェの系譜(その16)962 ― 2013年11月12日 21:39
レーシングポルシェの系譜(その16)962
浮沈子は、このシリーズ(レーシングポルシェの系譜)を、どこかで打ち切らなければならない。
2014年のLMP1の話までする気はない。
それは、これからの話だし、ポルシェが長年(15年)の沈黙を破ってルマンを取りに来るのを楽しみにしているとはいっても、不恰好な背びれには、いささか幻滅している。
そうはいっても、宙を舞ったGT1の過去と決別して、頑張ってもらわなければならない(そういうつもりじゃ、ないんじゃない?)。
まあいい。
実は、ポルシェ・RSスパイダーを、この系譜に入れるべきかどうか、浮沈子は迷っている。
確かにサーキットを走る耐久レーサーであり、何よりMRである!。
しかし、このクルマにワークスドライバーが乗ることはない。
ポルシェは、メーカーに徹し、レース活動は行わないのだ。
相当の戦闘力があることは、証明済みである。
(ポルシェ・RSスパイダー)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9D%E3%83%AB%E3%82%B7%E3%82%A7%E3%83%BBRS%E3%82%B9%E3%83%91%E3%82%A4%E3%83%80%E3%83%BC
「このマシンは全てポルシェで設計・製造された。2005年のALMS最終戦にペンスキー・レーシングから参戦し、総合4位/クラス優勝を果たした。翌2006年もペンスキー・レーシングから2台参戦し、第3戦のミッドオハイオで総合優勝を獲得。2007年は、ペンスキー・レーシングとダイソン・レーシングから各2台ずつ参加。第3 - 10戦の間で8連勝(全12戦)を記録して、格上クラスのLMP1のアウディを下しシリーズチャンピオンを獲得。2008年はALMSの他、ル・マン24時間レースやル・マン・シリーズへと参加は拡大されていった。」
「2007年シーズンには、2006年シーズンの結果を受けてエンジン・トランスミッション・シャーシ・ラジエタのエアインレットとアウトレット形状変更等の空力特性の一新と、ブレーキ・ギアボックス・トランスミッションの信頼性の向上を実施した第二世代に進化した。」
しかし、2010年をもって、活動は打ち切られている。
(Porsche RS Spyder)
http://en.wikipedia.org/wiki/Porsche_RS_Spyder
これって、ポルシェのレーシングマシンといえるのか。
ポルシェが作ったことは間違いないが、それは、商売としてやっている話だ。
宙を舞ったGT1にも、あまり魅力は感じない。
そこで、浮沈子としては、962をもって、打ち切ることにしようと考えた。
それには、もっともらしい理由もある。
ボクスターの登場である。
1996年、このクルマはポルシェの救世主となった。
水冷、ミッドシップ、オープンという、3種の神器を引っさげて、今度こそ失敗しないように、慎重に提案されて、成功した。
996と同じ水平対向6気筒エンジンであることが、幸いしたのだ(フロント、同じだし!)。
914の過ちを、繰り返してはならなかったのである(かっこ悪かったし!)。
ボクスターが世に出て、GT1と共通のアイコン(涙目のヘッドライト)が与えられたのは、レーシングマシンとロードカーの合流の象徴のような気がする。
ポルシェ1号車から連綿と続くミッドシップレイアウト(かつ、オープン)の系譜は、レーシングカーからロードカーへと確かに引き継がれたのだ。
奇しくも(くしくも)、962Cの935/83 3.0リットル水平対向6気筒ターボエンジンとトランスミッションを積んだ、トムウォーキンショーレーシングのポルシェ・WSC95は、1996年、97年と、ボクスターの販売に合わせてルマンの優勝を果たしている。
その962Cは、956の後継として1984年に登場する。
(ポルシェ・962)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9D%E3%83%AB%E3%82%B7%E3%82%A7%E3%83%BB962
962と一口で言うが、962と962Cは、異なるレギュレーションの元で開発されている。
「962
FIA-グループCとIMSA-GTPの車両規定は似ていたが、安全性に関する考え方が異なっており、グループC用の956はIMSA-GTPのフットボックス・レギュレーション(ドライバーのつま先がフロント車軸より後ろになくてはならない)を満たしていなかった。このためIMSA-GTPの規定に合わせて956の軸距を120mm長い2,770mmに伸長し、そのスペースをキャビンに当て、フロント・バルクヘッドやサスペンション取付位置を再設計した。」
「エンジンは、IMSA-GTPのレギュレーションに合わせてSOHC2バルブ、シングルターボエンジンで、デビュー当初は排気量2.87Lの962/70型を搭載していたが、1985年からは3.16Lに排気路用を拡大した962/71型が、1987年には排気量3.0Lの962/72型をそれぞれ供給した。製作台数はワークススペックが1台、カスタマースペックがモノコック製作数ベースで17台である。」
(国際モータースポーツ協会:GTP時代)
http://ja.wikipedia.org/wiki/IMSA#GTP.E6.99.82.E4.BB.A3
「1981年には、新しいプロトタイプカテゴリー、「GTP」が登場した。この車は世界耐久選手権(WEC)で導入された新しいグループC規定と類似したものであるが、2つのカテゴリの主な違いは、燃料使用総量が規制されたグループCと異なり、GTPは燃費について規制が無かったことである。レーシングドライバーのデレック・ベルは「レースファンはエコランを見に来ているのではない」と強調した。他にも、GTPはガソリンタンク容量が20リッター多い120リッターであったことや、ツインターボが禁止されていたことなどがグループC(C1)と異なる。」
それで、シングルターボな訳だな。
「1984年にはポルシェ・962が導入され、1985年から1987年までシリーズを支配した。」
まあ、こんなところだ。
(スポーツカー世界選手権)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%83%9D%E3%83%BC%E3%83%84%E3%82%AB%E3%83%BC%E4%B8%96%E7%95%8C%E9%81%B8%E6%89%8B%E6%A8%A9
「1982年、プロトタイプに排気量無制限ながら使用燃料総量の規制を加えたグループC規定を採用したことで、メーカーの参戦意欲を刺激し、シリーズは再び隆盛を迎える。ポルシェに加えてランチア・メルセデス・ジャガー・アストンマーチンといった古豪が復活し、トヨタ・日産・マツダといった日本のメーカーもル・マン制覇を目指して参戦を開始した。」
「しかし、1991年よりFIAがF1と同じエンジン規定(3.5L自然吸気エンジン、燃料使用料規制撤廃)を導入すると、新規定のエンジン開発が間に合わなかったトヨタ・日産や、重量ハンディを負った旧規定のポルシェを使うプライベートチームが参加を回避した。そのため、プジョーの新規参入にも関わらず、シリーズエントリーは激減し、開幕戦の出走台数は前年の34台から15台へと大きく減少した。参加したメーカーもFIAの運営に不満を抱き、メルセデス・ジャガーは1991年シーズン終了後シリーズ撤退を表明し、選手権は事実上空中分解した。翌1992年はプジョー・トヨタ・マツダの3メーカーが参戦したものの、プライベートチームの参戦はほとんどなく、エントリーはル・マン(この年は過去最低の28台)を除き常時10台前後しか集まらない状態に陥った。この年限りで40年もの歴史を持つスポーツカー耐久レースの世界選手権は終焉を迎えることとなった。」
962は、こんな時代を走っていたのである。
「主なレース
・ミッレ・ミリア (1953年-1957年)
・カレラ・パナメリカーナ・メヒコ(1953年-1954年)
・タルガ・フローリオ (1955年-1973年)
・ル・マン24時間レース
・デイトナ24時間レース (1966年-1981年)
・セブリング12時間レース (1953年-1981年)
・シルバーストン1000km
・ニュルブルクリンク1000km (1953年-1991年)
・モンツァ1000km
・スパ(フランコルシャン)1000km
・ブエノスアイエス1000km (1954年-1972年)」
「参加車両・レース規定の変遷
・1953年 2座席。ドアを有すること。タイヤ露出不可。
・1958年 排気量を3L以下に制限
・1962年 シリーズ名称を国際マニュファクチャラーズ選手権に変更するとともに、タイトルを量産GTに与えることに。Div.1(1L以下、64年以降1.3L以下)、Div.2(2L以下)、Div.3(2L以上)の3クラスにそれぞれチャンピオンシップ。
・1963年 排気量無制限プロトタイプカー対象にプロトタイプトロフィー制定(~65年)
・1966年 国際マニュファクチャラーズ選手権の対象をGTからプロトタイプに。GTの呼称をスポーツカー(連続する12ヶ月に50台以上製造)に改め、新たに国際スポーツカー選手権を制定。
・1968年 プロトタイプカーの排気量を3Lまでに、スポーツカーの排気量を5Lまでにそれぞれ制限の上、両カテゴリーによる国際メーカー選手権に。
・1969年 スポーツカーの生産台数を50台から25台に緩和。
・1972年 シリーズ名称を世界メーカー選手権に。5Lスポーツカーを排除し、参加車両を排気量3Lまでのオープントッププロトタイプカーに限定。
・1976年 選手権タイトルを市販車ベースに大幅な改造を加えたグループ5車両「シルエットフォーミュラ」に与えることに。従来の3Lプロトタイプ(グループ6)は別シリーズ世界スポーツカー選手権として開催(1978年には欧州選手権に格下げ)。
・1981年 選手権にドライバー部門を新設。シリーズ名称を世界耐久選手権に。
・1982年 グループC規定導入。排気量無制限のクローズドボディプロトタイプ。燃料使用総量制限(レース距離により給油回数制限)。燃料タンク容量100L。最低重量800kg。
・1984年 燃費規制を、給油回数から使用可能総量で制限に変更。最低重量850kg。
・1985年 燃費規制を強化。メーカーから参加チームに選手権対象を変更。
・1986年 シリーズに耐久レースだけでなく短距離レースも加え、シリーズ名称を世界スポーツプロトタイプカー選手権に変更。
・1989年 レース距離を480kmに統一。チームに全戦参加義務。最低重量を900kgに引き上げ。排気量3.5リットル(F1と同一)、最低重量750kg、燃費規制なしの「カテゴリー1」規定導入(従来のC1は「カテゴリー2」に)。
・1991年 シリーズ名称をスポーツカー世界選手権に変更。カテゴリー1を主体に。従来のカテゴリー2も最低車重を1,000kgに引き上げ参加可能。ル・マン24時間を除きレース距離を430kmに。
・1992年 カテゴリー1に一本化。ル・マン24時間、および鈴鹿1000kmを除きレース距離を500kmに。」
962Cは、燃費規制の強化の最中に投入されたわけだ。
メーカーがタイトルを得られる規定があった、1953年から1984年までの32年間、ポルシェがノンタイトルだったのは、初めの9年間だけ。
62年以降は、全ての年で、何らかのカテゴリーでメーカータイトルを取っている。
こんなメーカーは、他にはない。
「962C
1985年からグループCの安全規定はIMSA-GTPに準じたものに改定された。これにあわせてポルシェは962にツインターボエンジンを搭載した962Cを開発・製作した。」
「962Cの製作台数はワークススペックが14台、カスタマースペックがモノコック製作数ベースで60台である。カスタマースペックがモノコック製作数ベースなのは、ポルシェ956からポルシェ962Cへのアップデートサービス用として交換用に製作されたモノコックが6台、ワークスポルシェ962Cのスペア用に製作されたモノコックが10台、カスタマー向けスペア用として製作されたモノコックが4台、テスト用モノコックが2台が含まれているためである。」
956と962が本質的に同じクルマであったことは、アップデートサービスなる仕掛けを実行できたことでも明らかであるな。
さて、浮沈子が、962Cについて面白いと思ったのは、エンジンである。
「エンジン
962Cに搭載されたDOHC4バルブ・水平対向6気筒ツインターボエンジンは、空冷エンジンをベースにヘッドのみ水冷とした空水冷の935/82型と全水冷の935/83型の2種類がある。エレクトリック・コントロールユニットは935/82型、935/83型ともボッシュ製のモトロニックを使用している。」
「935/82型
2.65L・モトロニックMP1.2仕様
956時代から使用されていたエンジン。962Cデビュー当初はワークス、カスタマー共このエンジンを使用。」
「2.8L・モトロニックMP1.2仕様
2.65L仕様を2.8Lに排気量を拡大したもの。1986年からカスタマーチームに供給された。」
「935/83型
3.0L・モトロニックMP1.2仕様
1986年からワークスが使用し始めたエンジン。1987年のル・マン24時間レース後に有力カスタマーチームに供給されるようになり、1988年からその他のカスタマーチームにも供給されるようになった。」
「エンジン出力は935/82型と比べて50PS増の750PSにスープアップし燃費も改善された。また、空水冷エンジンではエンジンの冷却を軸流ファンで行い、アンダーフロア部に排熱していたためリヤディフューザーへの気流を阻害していたが、水冷エンジンになったことでリヤディフューザーへの空気の流れがスムーズになりダウンフォースが増加した。反面、エンジンライフは短くなりノバ・エンジニアリングでは空水冷エンジン時代は走行距離4,000~5,000kmでオーバーホールに出していたが、935/83型になってからは2,000kmでオーバーホールに出すようにしていたという。
「3.0L・モトロニックMP1.7仕様
1988年のル・マン24時間レースでワークスが初めて使用したエンジン。同じ935/83型ながらモトロニックMP1.2仕様とは多くの相違点がある。」
「モトロニックはデジタル化されたMP1.7を使用。トルクを増やすために吸気管を延長(カウル内に収めるため吸気管を内側に傾斜させている)。ラジエーター、オイルクーラーは大型化。インタークーラーは空水冷から全空冷に変更し、冷却系はレイアウトも変更された。ターボチャージャーの位置もMP1.2仕様より高くなっている。トランスミッションの段数はエンジン特性の変化に合わせて5段から6段に変更された。またル・マン後に燃料クーラーが追加されている。ノバの森脇基恭によるとエンジンのライフはモトロニックMP1.2仕様よりもさらに短くなり1,200km程しかなかったという。」
「ル・マン後に有力カスタマーチームに供給されるようになり、1989年からその他のカスタマーチームにも供給されるようになった。」
「3.2L・モトロニックMP1.7仕様
3.0L・モトロニックMP1.7仕様を3.2Lに排気量を拡大したもの。1990年からワークス格のヨースト・レーシングが使用し始め、ル・マン後にカスタマーチームにも供給されるようになった。」
水冷になって、熱対策が向上すれば、エンジン寿命は長くなると一般的には考えられるのだが、なぜ、エンジンライフが半分とか4分の1になってしまうのか。
冷却系の設計が悪かったのか、何か他の原因があるのだろうか。
空冷の83タルガと、水冷の03ボクスターを所有する浮沈子としては、大いに気になる点である。
しかしながら、燃料制御装置の進歩、吸気システムの改良、燃料クーラーまで備える冷却系の強化によって、燃費やコントロールは改善していったはずだ。
空冷エンジンは、上方からの吸気を下方に排気するため、下回りの気流が乱れるというのは、不覚にも気付かなかったな。
空冷ポルシェの弱点の一つである。
水冷になった現代のロードカーの下回りは、カバーによって、完全に覆われている。
(ポルシェ工場見学)
http://fuminoske.exblog.jp/iv/detail/index.asp?s=19537688&i=201211/21/43/b0071543_1922028.jpg
「962Cは基本的には956の「エポリューションモデル」とも言うべき存在であったが、ル・マン24時間レースにおいて「同一車種」としては最多優勝記録を誇っており、さらにブルン・モータースポーツやヨースト・レーシングなどのプライベーターも多数使用したこともあり、今でもグループCと言えばこのマシンを思い浮かべるファンがいる等、まさしくグループCのみならず、レーシングカー史においてもその名を長く刻む名車となっている。」
まさにその通りなのだが、いささか腑に落ちない話もある。
「1994年
ル・マン24時間レースにはポルシェ962Cそのものである「ダウアー962LM」が非常に有利なGT1クラスで出場した。GT1は市販されていることが条件だが台数規定がなかったため1台を公道で走行できるように登録することでホモロゲーションを取得したものである。物議は醸したがレギュレーション違反とは言えず、総合優勝した。」
まあ、抜け道は常にあるとはいえ、どこぞの野球選手が規定の穴を使って巨人に入団したり、天皇陛下に手紙渡しちゃったりするのと同じで、違法でなくても憚られる行為というものはあり、天下のポルシェともあろうものが、これをやっちゃあいけませんな。
ポルシェも反省して、翌年は参加を自粛したようなので、よしとするか。
例によって、ドイツ語のウィキ。
(Porsche 962)
http://de.wikipedia.org/wiki/Porsche_962
例によって、例の本(Typenkompass Porsche Renn-und Rennsportwagen seit 1948)。
「耐久レーサー
・962Cクーペ(1985-90)6気筒ターボ2994cc:700馬力」
ポルシェ本国のページ。
(Porsche 962 C Coupé in Kurz-und Langheckversion:1985-1990)
http://www.porsche.com/germany/sportandevents/motorsport/history/racingcars/80ies/1985-962ccoupe/
ポルシェジャパンのページ。
(1984 Porsche 962)
http://www.porsche.com/japan/jp/motorsportandevents/motorsport/philosophy/history/racingcars/1984-962/
「ノルベルト・ジンガーの指揮のもとで誕生したポルシェ962は当初、アメリカのIMSAシリーズに参戦するプライベートチームのために開発されたレーシングカーで、ベースモデルは956でした。IMSAのレギュレーションでは、ドライバーの足位置がフロントアクスルの中心線を超えてはならないことが定められていました。このためにジンガーはホイールベースを2.77mに延長しました。また全長を956と同様に保つためにモノコックのサイズを変更し、フロントのオーバーハングを短くしました。これに伴い、エアロダイナミクスにも改良が施されました。さまざまな選択肢が考えられる中で、2バルブヘッドとターボチャージャー1基を組み込んだ2,869ccエンジンは、最も962に適したエンジンでした。車両重量はわずか850kgでした。トランスミッションとクラッチ、サスペンションには956のものがそのまま受け継がれましたが、スプリング/ダンパーユニットには、962独自のセッティングが施されています。また燃料タンクの容量も120リッターに拡大されています。」
「世界耐久選手権(WEC)やル・マン24時間レースへの参戦に備えて、この962には水冷式の2.65リッター・ツインターボエンジン仕様車も用意されました。」
「ポルシェ社内で962の開発が正式に承認されたのは1983年10月中旬でした。新しいモノコックの設計は10月17日に始まり、そして12月23日にモノコックが完成、試作エンジンが搭載されました。962の第1号車は1984年の1月24日に完成、その翌日にはポールリカールサーキットで初のテストが開始され、その日の午後にはレース速度で450kmを走り切りました。そしてこの962-001は、27日にシュトゥットガルトからフロリダへ送られると、早くもレースに出場。見事にポールポジションを獲得し、デビューを飾りました。」
ギリギリのスケジュールだな。
「この962はその後91台が生産されました。」
プロトタイプとは思えない生産台数である。
(1994 Dauer 962 Le Mans)
http://www.porsche.com/japan/jp/motorsportandevents/motorsport/philosophy/history/racingcars/1994-962lemans/
「搭載されるパワーユニットは2,994ccの水冷式ツインターボエンジンで、最高出力は約600PS/7,700rpm。5速トランスミッションを介してリアホイールを駆動する設計です。燃料タンクの容量は120リッターで、満タン時の車両重量はわずか1,000kg。ル・マンの長いストレート区間では、最高速度が365km/hに達しました。」
「アンダーフロアパネルをフラットに設計することと、ホイールのリム幅を14インチ(グループCでは16インチ)とすることが義務づけられた点は、当時のグループCカーに対して不利な条件となりました。しかしその反面、大型の燃料タンク(グループCの80リッターに対して120リッター)が装着できた点と、最高出力の上限がグループCよりも高く設定されていた点(グループCの550PSに対して600PS)は、このレーシングカーに大きなアドバンテージをもたらしました。」
ずるして、レギュレーションをパスしたことは、一言も触れていない。
ポルシェも、また、手前味噌なのであるな。
この項、終わり。
浮沈子は、このシリーズ(レーシングポルシェの系譜)を、どこかで打ち切らなければならない。
2014年のLMP1の話までする気はない。
それは、これからの話だし、ポルシェが長年(15年)の沈黙を破ってルマンを取りに来るのを楽しみにしているとはいっても、不恰好な背びれには、いささか幻滅している。
そうはいっても、宙を舞ったGT1の過去と決別して、頑張ってもらわなければならない(そういうつもりじゃ、ないんじゃない?)。
まあいい。
実は、ポルシェ・RSスパイダーを、この系譜に入れるべきかどうか、浮沈子は迷っている。
確かにサーキットを走る耐久レーサーであり、何よりMRである!。
しかし、このクルマにワークスドライバーが乗ることはない。
ポルシェは、メーカーに徹し、レース活動は行わないのだ。
相当の戦闘力があることは、証明済みである。
(ポルシェ・RSスパイダー)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9D%E3%83%AB%E3%82%B7%E3%82%A7%E3%83%BBRS%E3%82%B9%E3%83%91%E3%82%A4%E3%83%80%E3%83%BC
「このマシンは全てポルシェで設計・製造された。2005年のALMS最終戦にペンスキー・レーシングから参戦し、総合4位/クラス優勝を果たした。翌2006年もペンスキー・レーシングから2台参戦し、第3戦のミッドオハイオで総合優勝を獲得。2007年は、ペンスキー・レーシングとダイソン・レーシングから各2台ずつ参加。第3 - 10戦の間で8連勝(全12戦)を記録して、格上クラスのLMP1のアウディを下しシリーズチャンピオンを獲得。2008年はALMSの他、ル・マン24時間レースやル・マン・シリーズへと参加は拡大されていった。」
「2007年シーズンには、2006年シーズンの結果を受けてエンジン・トランスミッション・シャーシ・ラジエタのエアインレットとアウトレット形状変更等の空力特性の一新と、ブレーキ・ギアボックス・トランスミッションの信頼性の向上を実施した第二世代に進化した。」
しかし、2010年をもって、活動は打ち切られている。
(Porsche RS Spyder)
http://en.wikipedia.org/wiki/Porsche_RS_Spyder
これって、ポルシェのレーシングマシンといえるのか。
ポルシェが作ったことは間違いないが、それは、商売としてやっている話だ。
宙を舞ったGT1にも、あまり魅力は感じない。
そこで、浮沈子としては、962をもって、打ち切ることにしようと考えた。
それには、もっともらしい理由もある。
ボクスターの登場である。
1996年、このクルマはポルシェの救世主となった。
水冷、ミッドシップ、オープンという、3種の神器を引っさげて、今度こそ失敗しないように、慎重に提案されて、成功した。
996と同じ水平対向6気筒エンジンであることが、幸いしたのだ(フロント、同じだし!)。
914の過ちを、繰り返してはならなかったのである(かっこ悪かったし!)。
ボクスターが世に出て、GT1と共通のアイコン(涙目のヘッドライト)が与えられたのは、レーシングマシンとロードカーの合流の象徴のような気がする。
ポルシェ1号車から連綿と続くミッドシップレイアウト(かつ、オープン)の系譜は、レーシングカーからロードカーへと確かに引き継がれたのだ。
奇しくも(くしくも)、962Cの935/83 3.0リットル水平対向6気筒ターボエンジンとトランスミッションを積んだ、トムウォーキンショーレーシングのポルシェ・WSC95は、1996年、97年と、ボクスターの販売に合わせてルマンの優勝を果たしている。
その962Cは、956の後継として1984年に登場する。
(ポルシェ・962)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9D%E3%83%AB%E3%82%B7%E3%82%A7%E3%83%BB962
962と一口で言うが、962と962Cは、異なるレギュレーションの元で開発されている。
「962
FIA-グループCとIMSA-GTPの車両規定は似ていたが、安全性に関する考え方が異なっており、グループC用の956はIMSA-GTPのフットボックス・レギュレーション(ドライバーのつま先がフロント車軸より後ろになくてはならない)を満たしていなかった。このためIMSA-GTPの規定に合わせて956の軸距を120mm長い2,770mmに伸長し、そのスペースをキャビンに当て、フロント・バルクヘッドやサスペンション取付位置を再設計した。」
「エンジンは、IMSA-GTPのレギュレーションに合わせてSOHC2バルブ、シングルターボエンジンで、デビュー当初は排気量2.87Lの962/70型を搭載していたが、1985年からは3.16Lに排気路用を拡大した962/71型が、1987年には排気量3.0Lの962/72型をそれぞれ供給した。製作台数はワークススペックが1台、カスタマースペックがモノコック製作数ベースで17台である。」
(国際モータースポーツ協会:GTP時代)
http://ja.wikipedia.org/wiki/IMSA#GTP.E6.99.82.E4.BB.A3
「1981年には、新しいプロトタイプカテゴリー、「GTP」が登場した。この車は世界耐久選手権(WEC)で導入された新しいグループC規定と類似したものであるが、2つのカテゴリの主な違いは、燃料使用総量が規制されたグループCと異なり、GTPは燃費について規制が無かったことである。レーシングドライバーのデレック・ベルは「レースファンはエコランを見に来ているのではない」と強調した。他にも、GTPはガソリンタンク容量が20リッター多い120リッターであったことや、ツインターボが禁止されていたことなどがグループC(C1)と異なる。」
それで、シングルターボな訳だな。
「1984年にはポルシェ・962が導入され、1985年から1987年までシリーズを支配した。」
まあ、こんなところだ。
(スポーツカー世界選手権)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%83%9D%E3%83%BC%E3%83%84%E3%82%AB%E3%83%BC%E4%B8%96%E7%95%8C%E9%81%B8%E6%89%8B%E6%A8%A9
「1982年、プロトタイプに排気量無制限ながら使用燃料総量の規制を加えたグループC規定を採用したことで、メーカーの参戦意欲を刺激し、シリーズは再び隆盛を迎える。ポルシェに加えてランチア・メルセデス・ジャガー・アストンマーチンといった古豪が復活し、トヨタ・日産・マツダといった日本のメーカーもル・マン制覇を目指して参戦を開始した。」
「しかし、1991年よりFIAがF1と同じエンジン規定(3.5L自然吸気エンジン、燃料使用料規制撤廃)を導入すると、新規定のエンジン開発が間に合わなかったトヨタ・日産や、重量ハンディを負った旧規定のポルシェを使うプライベートチームが参加を回避した。そのため、プジョーの新規参入にも関わらず、シリーズエントリーは激減し、開幕戦の出走台数は前年の34台から15台へと大きく減少した。参加したメーカーもFIAの運営に不満を抱き、メルセデス・ジャガーは1991年シーズン終了後シリーズ撤退を表明し、選手権は事実上空中分解した。翌1992年はプジョー・トヨタ・マツダの3メーカーが参戦したものの、プライベートチームの参戦はほとんどなく、エントリーはル・マン(この年は過去最低の28台)を除き常時10台前後しか集まらない状態に陥った。この年限りで40年もの歴史を持つスポーツカー耐久レースの世界選手権は終焉を迎えることとなった。」
962は、こんな時代を走っていたのである。
「主なレース
・ミッレ・ミリア (1953年-1957年)
・カレラ・パナメリカーナ・メヒコ(1953年-1954年)
・タルガ・フローリオ (1955年-1973年)
・ル・マン24時間レース
・デイトナ24時間レース (1966年-1981年)
・セブリング12時間レース (1953年-1981年)
・シルバーストン1000km
・ニュルブルクリンク1000km (1953年-1991年)
・モンツァ1000km
・スパ(フランコルシャン)1000km
・ブエノスアイエス1000km (1954年-1972年)」
「参加車両・レース規定の変遷
・1953年 2座席。ドアを有すること。タイヤ露出不可。
・1958年 排気量を3L以下に制限
・1962年 シリーズ名称を国際マニュファクチャラーズ選手権に変更するとともに、タイトルを量産GTに与えることに。Div.1(1L以下、64年以降1.3L以下)、Div.2(2L以下)、Div.3(2L以上)の3クラスにそれぞれチャンピオンシップ。
・1963年 排気量無制限プロトタイプカー対象にプロトタイプトロフィー制定(~65年)
・1966年 国際マニュファクチャラーズ選手権の対象をGTからプロトタイプに。GTの呼称をスポーツカー(連続する12ヶ月に50台以上製造)に改め、新たに国際スポーツカー選手権を制定。
・1968年 プロトタイプカーの排気量を3Lまでに、スポーツカーの排気量を5Lまでにそれぞれ制限の上、両カテゴリーによる国際メーカー選手権に。
・1969年 スポーツカーの生産台数を50台から25台に緩和。
・1972年 シリーズ名称を世界メーカー選手権に。5Lスポーツカーを排除し、参加車両を排気量3Lまでのオープントッププロトタイプカーに限定。
・1976年 選手権タイトルを市販車ベースに大幅な改造を加えたグループ5車両「シルエットフォーミュラ」に与えることに。従来の3Lプロトタイプ(グループ6)は別シリーズ世界スポーツカー選手権として開催(1978年には欧州選手権に格下げ)。
・1981年 選手権にドライバー部門を新設。シリーズ名称を世界耐久選手権に。
・1982年 グループC規定導入。排気量無制限のクローズドボディプロトタイプ。燃料使用総量制限(レース距離により給油回数制限)。燃料タンク容量100L。最低重量800kg。
・1984年 燃費規制を、給油回数から使用可能総量で制限に変更。最低重量850kg。
・1985年 燃費規制を強化。メーカーから参加チームに選手権対象を変更。
・1986年 シリーズに耐久レースだけでなく短距離レースも加え、シリーズ名称を世界スポーツプロトタイプカー選手権に変更。
・1989年 レース距離を480kmに統一。チームに全戦参加義務。最低重量を900kgに引き上げ。排気量3.5リットル(F1と同一)、最低重量750kg、燃費規制なしの「カテゴリー1」規定導入(従来のC1は「カテゴリー2」に)。
・1991年 シリーズ名称をスポーツカー世界選手権に変更。カテゴリー1を主体に。従来のカテゴリー2も最低車重を1,000kgに引き上げ参加可能。ル・マン24時間を除きレース距離を430kmに。
・1992年 カテゴリー1に一本化。ル・マン24時間、および鈴鹿1000kmを除きレース距離を500kmに。」
962Cは、燃費規制の強化の最中に投入されたわけだ。
メーカーがタイトルを得られる規定があった、1953年から1984年までの32年間、ポルシェがノンタイトルだったのは、初めの9年間だけ。
62年以降は、全ての年で、何らかのカテゴリーでメーカータイトルを取っている。
こんなメーカーは、他にはない。
「962C
1985年からグループCの安全規定はIMSA-GTPに準じたものに改定された。これにあわせてポルシェは962にツインターボエンジンを搭載した962Cを開発・製作した。」
「962Cの製作台数はワークススペックが14台、カスタマースペックがモノコック製作数ベースで60台である。カスタマースペックがモノコック製作数ベースなのは、ポルシェ956からポルシェ962Cへのアップデートサービス用として交換用に製作されたモノコックが6台、ワークスポルシェ962Cのスペア用に製作されたモノコックが10台、カスタマー向けスペア用として製作されたモノコックが4台、テスト用モノコックが2台が含まれているためである。」
956と962が本質的に同じクルマであったことは、アップデートサービスなる仕掛けを実行できたことでも明らかであるな。
さて、浮沈子が、962Cについて面白いと思ったのは、エンジンである。
「エンジン
962Cに搭載されたDOHC4バルブ・水平対向6気筒ツインターボエンジンは、空冷エンジンをベースにヘッドのみ水冷とした空水冷の935/82型と全水冷の935/83型の2種類がある。エレクトリック・コントロールユニットは935/82型、935/83型ともボッシュ製のモトロニックを使用している。」
「935/82型
2.65L・モトロニックMP1.2仕様
956時代から使用されていたエンジン。962Cデビュー当初はワークス、カスタマー共このエンジンを使用。」
「2.8L・モトロニックMP1.2仕様
2.65L仕様を2.8Lに排気量を拡大したもの。1986年からカスタマーチームに供給された。」
「935/83型
3.0L・モトロニックMP1.2仕様
1986年からワークスが使用し始めたエンジン。1987年のル・マン24時間レース後に有力カスタマーチームに供給されるようになり、1988年からその他のカスタマーチームにも供給されるようになった。」
「エンジン出力は935/82型と比べて50PS増の750PSにスープアップし燃費も改善された。また、空水冷エンジンではエンジンの冷却を軸流ファンで行い、アンダーフロア部に排熱していたためリヤディフューザーへの気流を阻害していたが、水冷エンジンになったことでリヤディフューザーへの空気の流れがスムーズになりダウンフォースが増加した。反面、エンジンライフは短くなりノバ・エンジニアリングでは空水冷エンジン時代は走行距離4,000~5,000kmでオーバーホールに出していたが、935/83型になってからは2,000kmでオーバーホールに出すようにしていたという。
「3.0L・モトロニックMP1.7仕様
1988年のル・マン24時間レースでワークスが初めて使用したエンジン。同じ935/83型ながらモトロニックMP1.2仕様とは多くの相違点がある。」
「モトロニックはデジタル化されたMP1.7を使用。トルクを増やすために吸気管を延長(カウル内に収めるため吸気管を内側に傾斜させている)。ラジエーター、オイルクーラーは大型化。インタークーラーは空水冷から全空冷に変更し、冷却系はレイアウトも変更された。ターボチャージャーの位置もMP1.2仕様より高くなっている。トランスミッションの段数はエンジン特性の変化に合わせて5段から6段に変更された。またル・マン後に燃料クーラーが追加されている。ノバの森脇基恭によるとエンジンのライフはモトロニックMP1.2仕様よりもさらに短くなり1,200km程しかなかったという。」
「ル・マン後に有力カスタマーチームに供給されるようになり、1989年からその他のカスタマーチームにも供給されるようになった。」
「3.2L・モトロニックMP1.7仕様
3.0L・モトロニックMP1.7仕様を3.2Lに排気量を拡大したもの。1990年からワークス格のヨースト・レーシングが使用し始め、ル・マン後にカスタマーチームにも供給されるようになった。」
水冷になって、熱対策が向上すれば、エンジン寿命は長くなると一般的には考えられるのだが、なぜ、エンジンライフが半分とか4分の1になってしまうのか。
冷却系の設計が悪かったのか、何か他の原因があるのだろうか。
空冷の83タルガと、水冷の03ボクスターを所有する浮沈子としては、大いに気になる点である。
しかしながら、燃料制御装置の進歩、吸気システムの改良、燃料クーラーまで備える冷却系の強化によって、燃費やコントロールは改善していったはずだ。
空冷エンジンは、上方からの吸気を下方に排気するため、下回りの気流が乱れるというのは、不覚にも気付かなかったな。
空冷ポルシェの弱点の一つである。
水冷になった現代のロードカーの下回りは、カバーによって、完全に覆われている。
(ポルシェ工場見学)
http://fuminoske.exblog.jp/iv/detail/index.asp?s=19537688&i=201211/21/43/b0071543_1922028.jpg
「962Cは基本的には956の「エポリューションモデル」とも言うべき存在であったが、ル・マン24時間レースにおいて「同一車種」としては最多優勝記録を誇っており、さらにブルン・モータースポーツやヨースト・レーシングなどのプライベーターも多数使用したこともあり、今でもグループCと言えばこのマシンを思い浮かべるファンがいる等、まさしくグループCのみならず、レーシングカー史においてもその名を長く刻む名車となっている。」
まさにその通りなのだが、いささか腑に落ちない話もある。
「1994年
ル・マン24時間レースにはポルシェ962Cそのものである「ダウアー962LM」が非常に有利なGT1クラスで出場した。GT1は市販されていることが条件だが台数規定がなかったため1台を公道で走行できるように登録することでホモロゲーションを取得したものである。物議は醸したがレギュレーション違反とは言えず、総合優勝した。」
まあ、抜け道は常にあるとはいえ、どこぞの野球選手が規定の穴を使って巨人に入団したり、天皇陛下に手紙渡しちゃったりするのと同じで、違法でなくても憚られる行為というものはあり、天下のポルシェともあろうものが、これをやっちゃあいけませんな。
ポルシェも反省して、翌年は参加を自粛したようなので、よしとするか。
例によって、ドイツ語のウィキ。
(Porsche 962)
http://de.wikipedia.org/wiki/Porsche_962
例によって、例の本(Typenkompass Porsche Renn-und Rennsportwagen seit 1948)。
「耐久レーサー
・962Cクーペ(1985-90)6気筒ターボ2994cc:700馬力」
ポルシェ本国のページ。
(Porsche 962 C Coupé in Kurz-und Langheckversion:1985-1990)
http://www.porsche.com/germany/sportandevents/motorsport/history/racingcars/80ies/1985-962ccoupe/
ポルシェジャパンのページ。
(1984 Porsche 962)
http://www.porsche.com/japan/jp/motorsportandevents/motorsport/philosophy/history/racingcars/1984-962/
「ノルベルト・ジンガーの指揮のもとで誕生したポルシェ962は当初、アメリカのIMSAシリーズに参戦するプライベートチームのために開発されたレーシングカーで、ベースモデルは956でした。IMSAのレギュレーションでは、ドライバーの足位置がフロントアクスルの中心線を超えてはならないことが定められていました。このためにジンガーはホイールベースを2.77mに延長しました。また全長を956と同様に保つためにモノコックのサイズを変更し、フロントのオーバーハングを短くしました。これに伴い、エアロダイナミクスにも改良が施されました。さまざまな選択肢が考えられる中で、2バルブヘッドとターボチャージャー1基を組み込んだ2,869ccエンジンは、最も962に適したエンジンでした。車両重量はわずか850kgでした。トランスミッションとクラッチ、サスペンションには956のものがそのまま受け継がれましたが、スプリング/ダンパーユニットには、962独自のセッティングが施されています。また燃料タンクの容量も120リッターに拡大されています。」
「世界耐久選手権(WEC)やル・マン24時間レースへの参戦に備えて、この962には水冷式の2.65リッター・ツインターボエンジン仕様車も用意されました。」
「ポルシェ社内で962の開発が正式に承認されたのは1983年10月中旬でした。新しいモノコックの設計は10月17日に始まり、そして12月23日にモノコックが完成、試作エンジンが搭載されました。962の第1号車は1984年の1月24日に完成、その翌日にはポールリカールサーキットで初のテストが開始され、その日の午後にはレース速度で450kmを走り切りました。そしてこの962-001は、27日にシュトゥットガルトからフロリダへ送られると、早くもレースに出場。見事にポールポジションを獲得し、デビューを飾りました。」
ギリギリのスケジュールだな。
「この962はその後91台が生産されました。」
プロトタイプとは思えない生産台数である。
(1994 Dauer 962 Le Mans)
http://www.porsche.com/japan/jp/motorsportandevents/motorsport/philosophy/history/racingcars/1994-962lemans/
「搭載されるパワーユニットは2,994ccの水冷式ツインターボエンジンで、最高出力は約600PS/7,700rpm。5速トランスミッションを介してリアホイールを駆動する設計です。燃料タンクの容量は120リッターで、満タン時の車両重量はわずか1,000kg。ル・マンの長いストレート区間では、最高速度が365km/hに達しました。」
「アンダーフロアパネルをフラットに設計することと、ホイールのリム幅を14インチ(グループCでは16インチ)とすることが義務づけられた点は、当時のグループCカーに対して不利な条件となりました。しかしその反面、大型の燃料タンク(グループCの80リッターに対して120リッター)が装着できた点と、最高出力の上限がグループCよりも高く設定されていた点(グループCの550PSに対して600PS)は、このレーシングカーに大きなアドバンテージをもたらしました。」
ずるして、レギュレーションをパスしたことは、一言も触れていない。
ポルシェも、また、手前味噌なのであるな。
この項、終わり。
レーシングポルシェの系譜(補遺)914 ― 2013年11月12日 23:08
レーシングポルシェの系譜(補遺)914
914という、VWだかポルシェだかが作ったとされるMRモデルがある。
(ポルシェ・914)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9D%E3%83%AB%E3%82%B7%E3%82%A7%E3%83%BB914
「ポルシェ・914(Porsche 914 )は、かつてポルシェとフォルクスワーゲンが共同で製造・販売していたスポーツカーである。ワーゲン・ポルシェというニックネームをもつ。」
やっぱそうだ。
「エンジンは全て空冷式水平対向エンジン。エンジンとトランスミッションを前後逆に配置しミドシップマウントとし、重量物が中央に集中することで前後重量配分を適正値に収めることにより運動性能の向上を狙っている。」
「サスペンションはフロントが911からストラット式を、リアは実用車であるビートル411用のトレーリングアーム式をそれぞれ採用していた。これまでトーションバー・スプリングしか採用して来なかったポルシェ量産車として初のコイル・スプリングをリアに奢るなど、既存品の流用とはいえ選定にはこだわっている。」
「1970年16,231台、1971年21,440台、1972年27,660台と、911とは一桁違う多数が製造販売され、1976年により高価で高性能なフロントエンジンのポルシェ・924に移行する形で製造中止された。」
浮沈子の記憶が確かならば、912という車種があったはずである。
(ポルシェ・912)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9D%E3%83%AB%E3%82%B7%E3%82%A7%E3%83%BB912
「1964年に発売されたポルシェ911はそれまでのポルシェ356に比べほとんどの面で長足の進歩を遂げていたが、一方で生産コストは大幅に上昇し、初期の911は356の最終型SCが16,450マルクであったのと比べて価格が約40%増しの22,900マルクになってしまった。そのため356をそのまま生産中止にした場合356が持っていた市場の一部を失うと考えたポルシェが356の市場を直接受け継ぐ車種として開発したのが911の廉価版である912である。」
「外観は当時の911とほぼ同じであったが、内装はステアリングホイールがプラスチック製になり、ダッシュボードはボディ色(鉄板むき出し)で、911では5連のメーターも356と同じ3連であるなど簡略化され、これらの簡略化により912の販売価格は16,000マルクであった。」
そう、この912がプアマンズ・ポルシェとして、受け皿になってくれるんじゃなかったっけ?。
「最終的に1969年7月まで生産され、ポルシェ・914に後を託して生産中止となった。その間の生産台数は約3万台であった。」
そうか、一応、後継車種なわけだな。
914から924に移行したことで、ポルシェは、貧乏人は相手にしないことに決めたらしい。
貧乏人に対する施しとして、最後に手を差し伸べて頂いた車種ということになる。
「『スタイル・オート』の編集長マリオ・ディナリッチが「ポルシェ914は、メカニズムも性能も申し分ないスポーツカーだが、ただひとつ問題にするべきはスタイリングだ。これはなんら人の心を打つところがない」と断言し、この意見に賛同したフリーのデザイナーが次々とモーターショーに自作を発表した。」
浮沈子の記憶が確かならば、ホンダのデルソルとかいうのが、似たようなデザインであった。
(ホンダ・CR-X:3代目 EG1/2型(1992-1997年))
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9B%E3%83%B3%E3%83%80%E3%83%BBCR-X#3.E4.BB.A3.E7.9B.AE_EG1.2F2.E5.9E.8B.EF.BC.881992-1997.E5.B9.B4.EF.BC.89
前から見ると普通だな。
(CR-X delSol:画像のみ)
http://img.carsensorlab.net/CSphoto/catalog/HO/S050/HO_S050_F001_M003_2_L.jpg
うーん、あんまり似てないか。
もっとも、20年の隔たりがある。
デザインなんて、人それぞれだし、時代によっても、流行とかあるので一概にはいいとか悪いとかはいえない。
914のように、個性的なデザインの場合、好きな方は滅茶苦茶好きな場合が多く、迂闊なことは書けない。
この914を取り上げたのは、もちろんMRだからで、レーシングポルシェはGTクラスは除くとかいっても、これだけは入れてもいいかなっと・・・。
手前味噌である。
4気筒モデルでも、1991ccのキャブ仕様は207km出ていたようだから、シャシー性能はそれなりにあったようだな。
6気筒モデルの中には、245kmとか、現代のボクスターも真っ青の性能のものもあったようだ。
(Porsche 914)
http://de.wikipedia.org/wiki/Porsche_914
例によって、例の本(Typenkompass Porsche Renn-und Rennsportwagen seit 1948)。
「耐久レーサー
・914-6クーペ(1970)6気筒1991cc:220馬力」
車重880kgとあるから、相当軽快に走ったことだろう。
ルマンにも出ている。
(1970 24 Hours of Le Mans:917、907、908、910、914GT、911S、911TH)
http://en.wikipedia.org/wiki/1970_24_Hours_of_Le_Mans
6位完走!。
(1971 24 Hours of Le Mans:917、911S、907、911EC、908、914GT、910)
http://en.wikipedia.org/wiki/1971_24_Hours_of_Le_Mans
リタイア(25位、35位)
まあ、こんなもんでしょ。
もちろん、この2年間は、怒涛のモンスター917がアバレまくっていた年である。
ちっこい914が、チョロチョロしていたわけだな。
まあ、どうでもいいんですが。
40年も前のクルマだが、今でも高値で取引されている。
(カーセンサーで検索)
http://www.carsensor.net/usedcar/bPO/s009/
今日は10台ヒットしたが、6気筒モデルなんて、950まんえんでっせ!(ひえーっ!)。
最安値でも150まんえんと、いい値が付いている。
03ボクスターといい勝負だろう。
やはり、好きな方はいらっしゃるのだ。
914と暮らす気には残念ながらなれないけれど、MRだからいいとしよう(意味不明)。
914という、VWだかポルシェだかが作ったとされるMRモデルがある。
(ポルシェ・914)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9D%E3%83%AB%E3%82%B7%E3%82%A7%E3%83%BB914
「ポルシェ・914(Porsche 914 )は、かつてポルシェとフォルクスワーゲンが共同で製造・販売していたスポーツカーである。ワーゲン・ポルシェというニックネームをもつ。」
やっぱそうだ。
「エンジンは全て空冷式水平対向エンジン。エンジンとトランスミッションを前後逆に配置しミドシップマウントとし、重量物が中央に集中することで前後重量配分を適正値に収めることにより運動性能の向上を狙っている。」
「サスペンションはフロントが911からストラット式を、リアは実用車であるビートル411用のトレーリングアーム式をそれぞれ採用していた。これまでトーションバー・スプリングしか採用して来なかったポルシェ量産車として初のコイル・スプリングをリアに奢るなど、既存品の流用とはいえ選定にはこだわっている。」
「1970年16,231台、1971年21,440台、1972年27,660台と、911とは一桁違う多数が製造販売され、1976年により高価で高性能なフロントエンジンのポルシェ・924に移行する形で製造中止された。」
浮沈子の記憶が確かならば、912という車種があったはずである。
(ポルシェ・912)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9D%E3%83%AB%E3%82%B7%E3%82%A7%E3%83%BB912
「1964年に発売されたポルシェ911はそれまでのポルシェ356に比べほとんどの面で長足の進歩を遂げていたが、一方で生産コストは大幅に上昇し、初期の911は356の最終型SCが16,450マルクであったのと比べて価格が約40%増しの22,900マルクになってしまった。そのため356をそのまま生産中止にした場合356が持っていた市場の一部を失うと考えたポルシェが356の市場を直接受け継ぐ車種として開発したのが911の廉価版である912である。」
「外観は当時の911とほぼ同じであったが、内装はステアリングホイールがプラスチック製になり、ダッシュボードはボディ色(鉄板むき出し)で、911では5連のメーターも356と同じ3連であるなど簡略化され、これらの簡略化により912の販売価格は16,000マルクであった。」
そう、この912がプアマンズ・ポルシェとして、受け皿になってくれるんじゃなかったっけ?。
「最終的に1969年7月まで生産され、ポルシェ・914に後を託して生産中止となった。その間の生産台数は約3万台であった。」
そうか、一応、後継車種なわけだな。
914から924に移行したことで、ポルシェは、貧乏人は相手にしないことに決めたらしい。
貧乏人に対する施しとして、最後に手を差し伸べて頂いた車種ということになる。
「『スタイル・オート』の編集長マリオ・ディナリッチが「ポルシェ914は、メカニズムも性能も申し分ないスポーツカーだが、ただひとつ問題にするべきはスタイリングだ。これはなんら人の心を打つところがない」と断言し、この意見に賛同したフリーのデザイナーが次々とモーターショーに自作を発表した。」
浮沈子の記憶が確かならば、ホンダのデルソルとかいうのが、似たようなデザインであった。
(ホンダ・CR-X:3代目 EG1/2型(1992-1997年))
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9B%E3%83%B3%E3%83%80%E3%83%BBCR-X#3.E4.BB.A3.E7.9B.AE_EG1.2F2.E5.9E.8B.EF.BC.881992-1997.E5.B9.B4.EF.BC.89
前から見ると普通だな。
(CR-X delSol:画像のみ)
http://img.carsensorlab.net/CSphoto/catalog/HO/S050/HO_S050_F001_M003_2_L.jpg
うーん、あんまり似てないか。
もっとも、20年の隔たりがある。
デザインなんて、人それぞれだし、時代によっても、流行とかあるので一概にはいいとか悪いとかはいえない。
914のように、個性的なデザインの場合、好きな方は滅茶苦茶好きな場合が多く、迂闊なことは書けない。
この914を取り上げたのは、もちろんMRだからで、レーシングポルシェはGTクラスは除くとかいっても、これだけは入れてもいいかなっと・・・。
手前味噌である。
4気筒モデルでも、1991ccのキャブ仕様は207km出ていたようだから、シャシー性能はそれなりにあったようだな。
6気筒モデルの中には、245kmとか、現代のボクスターも真っ青の性能のものもあったようだ。
(Porsche 914)
http://de.wikipedia.org/wiki/Porsche_914
例によって、例の本(Typenkompass Porsche Renn-und Rennsportwagen seit 1948)。
「耐久レーサー
・914-6クーペ(1970)6気筒1991cc:220馬力」
車重880kgとあるから、相当軽快に走ったことだろう。
ルマンにも出ている。
(1970 24 Hours of Le Mans:917、907、908、910、914GT、911S、911TH)
http://en.wikipedia.org/wiki/1970_24_Hours_of_Le_Mans
6位完走!。
(1971 24 Hours of Le Mans:917、911S、907、911EC、908、914GT、910)
http://en.wikipedia.org/wiki/1971_24_Hours_of_Le_Mans
リタイア(25位、35位)
まあ、こんなもんでしょ。
もちろん、この2年間は、怒涛のモンスター917がアバレまくっていた年である。
ちっこい914が、チョロチョロしていたわけだな。
まあ、どうでもいいんですが。
40年も前のクルマだが、今でも高値で取引されている。
(カーセンサーで検索)
http://www.carsensor.net/usedcar/bPO/s009/
今日は10台ヒットしたが、6気筒モデルなんて、950まんえんでっせ!(ひえーっ!)。
最安値でも150まんえんと、いい値が付いている。
03ボクスターといい勝負だろう。
やはり、好きな方はいらっしゃるのだ。
914と暮らす気には残念ながらなれないけれど、MRだからいいとしよう(意味不明)。
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