レーシングポルシェの系譜(その16)9622013年11月12日 21:39

レーシングポルシェの系譜(その16)962
レーシングポルシェの系譜(その16)962


浮沈子は、このシリーズ(レーシングポルシェの系譜)を、どこかで打ち切らなければならない。

2014年のLMP1の話までする気はない。

それは、これからの話だし、ポルシェが長年(15年)の沈黙を破ってルマンを取りに来るのを楽しみにしているとはいっても、不恰好な背びれには、いささか幻滅している。

そうはいっても、宙を舞ったGT1の過去と決別して、頑張ってもらわなければならない(そういうつもりじゃ、ないんじゃない?)。

まあいい。

実は、ポルシェ・RSスパイダーを、この系譜に入れるべきかどうか、浮沈子は迷っている。

確かにサーキットを走る耐久レーサーであり、何よりMRである!。

しかし、このクルマにワークスドライバーが乗ることはない。

ポルシェは、メーカーに徹し、レース活動は行わないのだ。

相当の戦闘力があることは、証明済みである。

(ポルシェ・RSスパイダー)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9D%E3%83%AB%E3%82%B7%E3%82%A7%E3%83%BBRS%E3%82%B9%E3%83%91%E3%82%A4%E3%83%80%E3%83%BC

「このマシンは全てポルシェで設計・製造された。2005年のALMS最終戦にペンスキー・レーシングから参戦し、総合4位/クラス優勝を果たした。翌2006年もペンスキー・レーシングから2台参戦し、第3戦のミッドオハイオで総合優勝を獲得。2007年は、ペンスキー・レーシングとダイソン・レーシングから各2台ずつ参加。第3 - 10戦の間で8連勝(全12戦)を記録して、格上クラスのLMP1のアウディを下しシリーズチャンピオンを獲得。2008年はALMSの他、ル・マン24時間レースやル・マン・シリーズへと参加は拡大されていった。」

「2007年シーズンには、2006年シーズンの結果を受けてエンジン・トランスミッション・シャーシ・ラジエタのエアインレットとアウトレット形状変更等の空力特性の一新と、ブレーキ・ギアボックス・トランスミッションの信頼性の向上を実施した第二世代に進化した。」

しかし、2010年をもって、活動は打ち切られている。

(Porsche RS Spyder)
http://en.wikipedia.org/wiki/Porsche_RS_Spyder

これって、ポルシェのレーシングマシンといえるのか。

ポルシェが作ったことは間違いないが、それは、商売としてやっている話だ。

宙を舞ったGT1にも、あまり魅力は感じない。

そこで、浮沈子としては、962をもって、打ち切ることにしようと考えた。

それには、もっともらしい理由もある。

ボクスターの登場である。

1996年、このクルマはポルシェの救世主となった。

水冷、ミッドシップ、オープンという、3種の神器を引っさげて、今度こそ失敗しないように、慎重に提案されて、成功した。

996と同じ水平対向6気筒エンジンであることが、幸いしたのだ(フロント、同じだし!)。

914の過ちを、繰り返してはならなかったのである(かっこ悪かったし!)。

ボクスターが世に出て、GT1と共通のアイコン(涙目のヘッドライト)が与えられたのは、レーシングマシンとロードカーの合流の象徴のような気がする。

ポルシェ1号車から連綿と続くミッドシップレイアウト(かつ、オープン)の系譜は、レーシングカーからロードカーへと確かに引き継がれたのだ。

奇しくも(くしくも)、962Cの935/83 3.0リットル水平対向6気筒ターボエンジンとトランスミッションを積んだ、トムウォーキンショーレーシングのポルシェ・WSC95は、1996年、97年と、ボクスターの販売に合わせてルマンの優勝を果たしている。

その962Cは、956の後継として1984年に登場する。

(ポルシェ・962)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9D%E3%83%AB%E3%82%B7%E3%82%A7%E3%83%BB962

962と一口で言うが、962と962Cは、異なるレギュレーションの元で開発されている。

「962
FIA-グループCとIMSA-GTPの車両規定は似ていたが、安全性に関する考え方が異なっており、グループC用の956はIMSA-GTPのフットボックス・レギュレーション(ドライバーのつま先がフロント車軸より後ろになくてはならない)を満たしていなかった。このためIMSA-GTPの規定に合わせて956の軸距を120mm長い2,770mmに伸長し、そのスペースをキャビンに当て、フロント・バルクヘッドやサスペンション取付位置を再設計した。」

「エンジンは、IMSA-GTPのレギュレーションに合わせてSOHC2バルブ、シングルターボエンジンで、デビュー当初は排気量2.87Lの962/70型を搭載していたが、1985年からは3.16Lに排気路用を拡大した962/71型が、1987年には排気量3.0Lの962/72型をそれぞれ供給した。製作台数はワークススペックが1台、カスタマースペックがモノコック製作数ベースで17台である。」

(国際モータースポーツ協会:GTP時代)
http://ja.wikipedia.org/wiki/IMSA#GTP.E6.99.82.E4.BB.A3

「1981年には、新しいプロトタイプカテゴリー、「GTP」が登場した。この車は世界耐久選手権(WEC)で導入された新しいグループC規定と類似したものであるが、2つのカテゴリの主な違いは、燃料使用総量が規制されたグループCと異なり、GTPは燃費について規制が無かったことである。レーシングドライバーのデレック・ベルは「レースファンはエコランを見に来ているのではない」と強調した。他にも、GTPはガソリンタンク容量が20リッター多い120リッターであったことや、ツインターボが禁止されていたことなどがグループC(C1)と異なる。」

それで、シングルターボな訳だな。

「1984年にはポルシェ・962が導入され、1985年から1987年までシリーズを支配した。」

まあ、こんなところだ。

(スポーツカー世界選手権)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%83%9D%E3%83%BC%E3%83%84%E3%82%AB%E3%83%BC%E4%B8%96%E7%95%8C%E9%81%B8%E6%89%8B%E6%A8%A9

「1982年、プロトタイプに排気量無制限ながら使用燃料総量の規制を加えたグループC規定を採用したことで、メーカーの参戦意欲を刺激し、シリーズは再び隆盛を迎える。ポルシェに加えてランチア・メルセデス・ジャガー・アストンマーチンといった古豪が復活し、トヨタ・日産・マツダといった日本のメーカーもル・マン制覇を目指して参戦を開始した。」

「しかし、1991年よりFIAがF1と同じエンジン規定(3.5L自然吸気エンジン、燃料使用料規制撤廃)を導入すると、新規定のエンジン開発が間に合わなかったトヨタ・日産や、重量ハンディを負った旧規定のポルシェを使うプライベートチームが参加を回避した。そのため、プジョーの新規参入にも関わらず、シリーズエントリーは激減し、開幕戦の出走台数は前年の34台から15台へと大きく減少した。参加したメーカーもFIAの運営に不満を抱き、メルセデス・ジャガーは1991年シーズン終了後シリーズ撤退を表明し、選手権は事実上空中分解した。翌1992年はプジョー・トヨタ・マツダの3メーカーが参戦したものの、プライベートチームの参戦はほとんどなく、エントリーはル・マン(この年は過去最低の28台)を除き常時10台前後しか集まらない状態に陥った。この年限りで40年もの歴史を持つスポーツカー耐久レースの世界選手権は終焉を迎えることとなった。」

962は、こんな時代を走っていたのである。

「主なレース
・ミッレ・ミリア (1953年-1957年)
・カレラ・パナメリカーナ・メヒコ(1953年-1954年)
・タルガ・フローリオ (1955年-1973年)
・ル・マン24時間レース
・デイトナ24時間レース (1966年-1981年)
・セブリング12時間レース (1953年-1981年)
・シルバーストン1000km
・ニュルブルクリンク1000km (1953年-1991年)
・モンツァ1000km
・スパ(フランコルシャン)1000km
・ブエノスアイエス1000km (1954年-1972年)」

「参加車両・レース規定の変遷
・1953年 2座席。ドアを有すること。タイヤ露出不可。
・1958年 排気量を3L以下に制限
・1962年 シリーズ名称を国際マニュファクチャラーズ選手権に変更するとともに、タイトルを量産GTに与えることに。Div.1(1L以下、64年以降1.3L以下)、Div.2(2L以下)、Div.3(2L以上)の3クラスにそれぞれチャンピオンシップ。
・1963年 排気量無制限プロトタイプカー対象にプロトタイプトロフィー制定(~65年)
・1966年 国際マニュファクチャラーズ選手権の対象をGTからプロトタイプに。GTの呼称をスポーツカー(連続する12ヶ月に50台以上製造)に改め、新たに国際スポーツカー選手権を制定。
・1968年 プロトタイプカーの排気量を3Lまでに、スポーツカーの排気量を5Lまでにそれぞれ制限の上、両カテゴリーによる国際メーカー選手権に。
・1969年 スポーツカーの生産台数を50台から25台に緩和。
・1972年 シリーズ名称を世界メーカー選手権に。5Lスポーツカーを排除し、参加車両を排気量3Lまでのオープントッププロトタイプカーに限定。
・1976年 選手権タイトルを市販車ベースに大幅な改造を加えたグループ5車両「シルエットフォーミュラ」に与えることに。従来の3Lプロトタイプ(グループ6)は別シリーズ世界スポーツカー選手権として開催(1978年には欧州選手権に格下げ)。
・1981年 選手権にドライバー部門を新設。シリーズ名称を世界耐久選手権に。
・1982年 グループC規定導入。排気量無制限のクローズドボディプロトタイプ。燃料使用総量制限(レース距離により給油回数制限)。燃料タンク容量100L。最低重量800kg。
・1984年 燃費規制を、給油回数から使用可能総量で制限に変更。最低重量850kg。
・1985年 燃費規制を強化。メーカーから参加チームに選手権対象を変更。
・1986年 シリーズに耐久レースだけでなく短距離レースも加え、シリーズ名称を世界スポーツプロトタイプカー選手権に変更。
・1989年 レース距離を480kmに統一。チームに全戦参加義務。最低重量を900kgに引き上げ。排気量3.5リットル(F1と同一)、最低重量750kg、燃費規制なしの「カテゴリー1」規定導入(従来のC1は「カテゴリー2」に)。
・1991年 シリーズ名称をスポーツカー世界選手権に変更。カテゴリー1を主体に。従来のカテゴリー2も最低車重を1,000kgに引き上げ参加可能。ル・マン24時間を除きレース距離を430kmに。
・1992年 カテゴリー1に一本化。ル・マン24時間、および鈴鹿1000kmを除きレース距離を500kmに。」

962Cは、燃費規制の強化の最中に投入されたわけだ。

メーカーがタイトルを得られる規定があった、1953年から1984年までの32年間、ポルシェがノンタイトルだったのは、初めの9年間だけ。

62年以降は、全ての年で、何らかのカテゴリーでメーカータイトルを取っている。

こんなメーカーは、他にはない。

「962C
1985年からグループCの安全規定はIMSA-GTPに準じたものに改定された。これにあわせてポルシェは962にツインターボエンジンを搭載した962Cを開発・製作した。」

「962Cの製作台数はワークススペックが14台、カスタマースペックがモノコック製作数ベースで60台である。カスタマースペックがモノコック製作数ベースなのは、ポルシェ956からポルシェ962Cへのアップデートサービス用として交換用に製作されたモノコックが6台、ワークスポルシェ962Cのスペア用に製作されたモノコックが10台、カスタマー向けスペア用として製作されたモノコックが4台、テスト用モノコックが2台が含まれているためである。」

956と962が本質的に同じクルマであったことは、アップデートサービスなる仕掛けを実行できたことでも明らかであるな。

さて、浮沈子が、962Cについて面白いと思ったのは、エンジンである。

「エンジン
962Cに搭載されたDOHC4バルブ・水平対向6気筒ツインターボエンジンは、空冷エンジンをベースにヘッドのみ水冷とした空水冷の935/82型と全水冷の935/83型の2種類がある。エレクトリック・コントロールユニットは935/82型、935/83型ともボッシュ製のモトロニックを使用している。」

「935/82型 
2.65L・モトロニックMP1.2仕様
956時代から使用されていたエンジン。962Cデビュー当初はワークス、カスタマー共このエンジンを使用。」

「2.8L・モトロニックMP1.2仕様
2.65L仕様を2.8Lに排気量を拡大したもの。1986年からカスタマーチームに供給された。」

「935/83型
3.0L・モトロニックMP1.2仕様
1986年からワークスが使用し始めたエンジン。1987年のル・マン24時間レース後に有力カスタマーチームに供給されるようになり、1988年からその他のカスタマーチームにも供給されるようになった。」

「エンジン出力は935/82型と比べて50PS増の750PSにスープアップし燃費も改善された。また、空水冷エンジンではエンジンの冷却を軸流ファンで行い、アンダーフロア部に排熱していたためリヤディフューザーへの気流を阻害していたが、水冷エンジンになったことでリヤディフューザーへの空気の流れがスムーズになりダウンフォースが増加した。反面、エンジンライフは短くなりノバ・エンジニアリングでは空水冷エンジン時代は走行距離4,000~5,000kmでオーバーホールに出していたが、935/83型になってからは2,000kmでオーバーホールに出すようにしていたという。

「3.0L・モトロニックMP1.7仕様
1988年のル・マン24時間レースでワークスが初めて使用したエンジン。同じ935/83型ながらモトロニックMP1.2仕様とは多くの相違点がある。」

「モトロニックはデジタル化されたMP1.7を使用。トルクを増やすために吸気管を延長(カウル内に収めるため吸気管を内側に傾斜させている)。ラジエーター、オイルクーラーは大型化。インタークーラーは空水冷から全空冷に変更し、冷却系はレイアウトも変更された。ターボチャージャーの位置もMP1.2仕様より高くなっている。トランスミッションの段数はエンジン特性の変化に合わせて5段から6段に変更された。またル・マン後に燃料クーラーが追加されている。ノバの森脇基恭によるとエンジンのライフはモトロニックMP1.2仕様よりもさらに短くなり1,200km程しかなかったという。」

「ル・マン後に有力カスタマーチームに供給されるようになり、1989年からその他のカスタマーチームにも供給されるようになった。」

「3.2L・モトロニックMP1.7仕様
3.0L・モトロニックMP1.7仕様を3.2Lに排気量を拡大したもの。1990年からワークス格のヨースト・レーシングが使用し始め、ル・マン後にカスタマーチームにも供給されるようになった。」

水冷になって、熱対策が向上すれば、エンジン寿命は長くなると一般的には考えられるのだが、なぜ、エンジンライフが半分とか4分の1になってしまうのか。

冷却系の設計が悪かったのか、何か他の原因があるのだろうか。

空冷の83タルガと、水冷の03ボクスターを所有する浮沈子としては、大いに気になる点である。

しかしながら、燃料制御装置の進歩、吸気システムの改良、燃料クーラーまで備える冷却系の強化によって、燃費やコントロールは改善していったはずだ。

空冷エンジンは、上方からの吸気を下方に排気するため、下回りの気流が乱れるというのは、不覚にも気付かなかったな。

空冷ポルシェの弱点の一つである。

水冷になった現代のロードカーの下回りは、カバーによって、完全に覆われている。

(ポルシェ工場見学)
http://fuminoske.exblog.jp/iv/detail/index.asp?s=19537688&i=201211/21/43/b0071543_1922028.jpg

「962Cは基本的には956の「エポリューションモデル」とも言うべき存在であったが、ル・マン24時間レースにおいて「同一車種」としては最多優勝記録を誇っており、さらにブルン・モータースポーツやヨースト・レーシングなどのプライベーターも多数使用したこともあり、今でもグループCと言えばこのマシンを思い浮かべるファンがいる等、まさしくグループCのみならず、レーシングカー史においてもその名を長く刻む名車となっている。」

まさにその通りなのだが、いささか腑に落ちない話もある。

「1994年
ル・マン24時間レースにはポルシェ962Cそのものである「ダウアー962LM」が非常に有利なGT1クラスで出場した。GT1は市販されていることが条件だが台数規定がなかったため1台を公道で走行できるように登録することでホモロゲーションを取得したものである。物議は醸したがレギュレーション違反とは言えず、総合優勝した。」

まあ、抜け道は常にあるとはいえ、どこぞの野球選手が規定の穴を使って巨人に入団したり、天皇陛下に手紙渡しちゃったりするのと同じで、違法でなくても憚られる行為というものはあり、天下のポルシェともあろうものが、これをやっちゃあいけませんな。

ポルシェも反省して、翌年は参加を自粛したようなので、よしとするか。

例によって、ドイツ語のウィキ。

(Porsche 962)
http://de.wikipedia.org/wiki/Porsche_962

例によって、例の本(Typenkompass Porsche Renn-und Rennsportwagen seit 1948)。

「耐久レーサー
・962Cクーペ(1985-90)6気筒ターボ2994cc:700馬力」

ポルシェ本国のページ。

(Porsche 962 C Coupé in Kurz-und Langheckversion:1985-1990)
http://www.porsche.com/germany/sportandevents/motorsport/history/racingcars/80ies/1985-962ccoupe/

ポルシェジャパンのページ。

(1984 Porsche 962)
http://www.porsche.com/japan/jp/motorsportandevents/motorsport/philosophy/history/racingcars/1984-962/

「ノルベルト・ジンガーの指揮のもとで誕生したポルシェ962は当初、アメリカのIMSAシリーズに参戦するプライベートチームのために開発されたレーシングカーで、ベースモデルは956でした。IMSAのレギュレーションでは、ドライバーの足位置がフロントアクスルの中心線を超えてはならないことが定められていました。このためにジンガーはホイールベースを2.77mに延長しました。また全長を956と同様に保つためにモノコックのサイズを変更し、フロントのオーバーハングを短くしました。これに伴い、エアロダイナミクスにも改良が施されました。さまざまな選択肢が考えられる中で、2バルブヘッドとターボチャージャー1基を組み込んだ2,869ccエンジンは、最も962に適したエンジンでした。車両重量はわずか850kgでした。トランスミッションとクラッチ、サスペンションには956のものがそのまま受け継がれましたが、スプリング/ダンパーユニットには、962独自のセッティングが施されています。また燃料タンクの容量も120リッターに拡大されています。」

「世界耐久選手権(WEC)やル・マン24時間レースへの参戦に備えて、この962には水冷式の2.65リッター・ツインターボエンジン仕様車も用意されました。」

「ポルシェ社内で962の開発が正式に承認されたのは1983年10月中旬でした。新しいモノコックの設計は10月17日に始まり、そして12月23日にモノコックが完成、試作エンジンが搭載されました。962の第1号車は1984年の1月24日に完成、その翌日にはポールリカールサーキットで初のテストが開始され、その日の午後にはレース速度で450kmを走り切りました。そしてこの962-001は、27日にシュトゥットガルトからフロリダへ送られると、早くもレースに出場。見事にポールポジションを獲得し、デビューを飾りました。」

ギリギリのスケジュールだな。

「この962はその後91台が生産されました。」

プロトタイプとは思えない生産台数である。

(1994 Dauer 962 Le Mans)
http://www.porsche.com/japan/jp/motorsportandevents/motorsport/philosophy/history/racingcars/1994-962lemans/

「搭載されるパワーユニットは2,994ccの水冷式ツインターボエンジンで、最高出力は約600PS/7,700rpm。5速トランスミッションを介してリアホイールを駆動する設計です。燃料タンクの容量は120リッターで、満タン時の車両重量はわずか1,000kg。ル・マンの長いストレート区間では、最高速度が365km/hに達しました。」

「アンダーフロアパネルをフラットに設計することと、ホイールのリム幅を14インチ(グループCでは16インチ)とすることが義務づけられた点は、当時のグループCカーに対して不利な条件となりました。しかしその反面、大型の燃料タンク(グループCの80リッターに対して120リッター)が装着できた点と、最高出力の上限がグループCよりも高く設定されていた点(グループCの550PSに対して600PS)は、このレーシングカーに大きなアドバンテージをもたらしました。」

ずるして、レギュレーションをパスしたことは、一言も触れていない。

ポルシェも、また、手前味噌なのであるな。

この項、終わり。

コメント

コメントをどうぞ

※メールアドレスとURLの入力は必須ではありません。 入力されたメールアドレスは記事に反映されず、ブログの管理者のみが参照できます。

※なお、送られたコメントはブログの管理者が確認するまで公開されません。

※投稿には管理者が設定した質問に答える必要があります。

名前:
メールアドレス:
URL:
次の質問に答えてください:
kfujitoの徒然の筆者のペンネームは、
「○○子」です。
○○を記入してください。

コメント:

トラックバック