敵の出方2013年11月20日 11:11

敵の出方


(敵の出方論)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%95%B5%E3%81%AE%E5%87%BA%E6%96%B9%E8%AB%96

「「社会の変革をめざすさいにも、人民の多数の意思を尊重し、かつ人民にとってもっとも犠牲の少ない形態を望み、追求するのが、共産主義者の一貫した原則的態度である。わが党は、すでに、民族民主統一戦線勢力が国会で多数をしめて平和的、合法的に人民の政府をつくることをめざすことをあきらかにしている。しかし、そのさい内外の反動勢力がクーデターその他の不法な手段にあえて訴えた場合には、この政府が国民とともに秩序維持のための必要な措置をとることは、国民主権と議会制民主主義をまもる当然の態度である。さらに人民の政府ができる以前に、反動勢力が民主主義を暴力的に破壊し、運動の発展に非平和的な障害をつくりだす場合には、広範な民主勢力と民主的世論を結集してこのようなファッショ的攻撃を封殺することが当然の課題となる。わが党がこうした『敵の出方』を警戒するのは、反動勢力を政治的に包囲してあれこれの暴力的策動を未然に防止し、独立・民主日本の建設、さらには社会主義日本の建設への平和的な道を保障しようとするためであって、これをもって『暴力主義』の証拠とするのは、きわめて幼稚なこじつけである」(日本共産党第11回党大会決議より)」

この、いわゆる「敵の出方論」が出てくるのには、その前の武装闘争を見る必要がある。

(武装闘争:日本共産党の武装闘争参照)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AD%A6%E8%A3%85%E9%97%98%E4%BA%89

(所感派:印象派ではない。)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%89%80%E6%84%9F%E6%B4%BE

(山村工作隊:「やまむら」ではない。)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B1%B1%E6%9D%91%E5%B7%A5%E4%BD%9C%E9%9A%8A

(中核自衛隊:「戦国自衛隊」ではない。)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E6%A0%B8%E8%87%AA%E8%A1%9B%E9%9A%8A

なんか、良く分からないな。

大掴みにいえば、日本共産党は、かつて非合法政党だったが、戦後合法化された。

(日本共産党:終戦と合法化)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E5%85%B1%E7%94%A3%E5%85%9A#.E5.86.8D.E7.B5.90.E5.85.9A.E3.81.A8.E6.88.A6.E5.89.8D.E3.81.AE.E6.B4.BB.E5.8B.95

しかし、占領軍により、我が国の共産主義化が懸念され、レッドパージがおこる。

「1950年5月には連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)のダグラス・マッカーサーが、共産主義陣営による日本侵略の恐れを警告し、それに協力しているとして日本共産党の非合法化を検討しているとの声明を出した。直後に日本共産党と占領軍の間の大規模な衝突である人民広場事件が発生し、6月にはマッカーサーは共産党の国会議員など24人の公職追放・政治活動の禁止(レッドパージ)を指令した。」

1951年10月16日、「日本共産党の当面の要求」(当時、「51年綱領」と呼ばれた)を採択した。

武装闘争路線の採択である。

「この「51年綱領」は「農村部でのゲリラ戦」を規定した中国革命方式の「軍事方針」であった」

「1951年12月26日には複数の共産党員が共謀して警官を道路に誘い出して殺害し、拳銃を奪った印藤巡査殺害事件(練馬事件)が発生した(1953年に東京地裁で、傷害致死罪で主犯は懲役5年、他8名に有罪判決)。また、1952年1月の白鳥警部殺害事件や、5月の血のメーデー事件、6月の吹田・枚方事件、警察による謀略とされる菅生事件などが発生した。」

「これらの武装闘争路線は国民の支持を得られず、多数の離党者を生む結果となった。1952年に行われた第25回総選挙では公認候補が全員落選するなど、著しい党勢の衰退を招くことになった。また、武装闘争方針は政府与党にたいし治安立法強化の口実を与えることになり、1952年には破壊活動防止法(破防法)が制定された。破防法における破壊的団体の規制に関する調査を行う公安調査庁は、発足当初から一貫して日本共産党を主要な調査・監視対象としている。」

まあ、そうなるだろうな。

「1955年7月、日本共産党は第6回全国協議会(六全協)を開き、従来の中国革命方式の武装闘争路線の放棄を決議した。これは「暴力革命」の全否定ではなく、敵の出方論により「内外の反動勢力が非平和的な手段に訴えない限り、政治暴力は行使しない」という条件付の武装闘争停止であった。」

「公安警察と公安調査庁は、日本共産党は「敵の出方論」や暴力革命を実際には放棄していないとみて、現在でも「調査活動」を続けている。」

「破壊活動防止法に基づく調査活動を行っている公安調査庁では、現在では公然情報の整理と分析に留まっているが、時々職員によるスパイ工作が発覚し、党組織や日本国民救援会などの人権団体を通じて抗議活動が行なわれている。」

まあ、バレないようにやってください!。

「共産党が武装路線を放棄した後も1960年代半ばまで、朝日新聞などの全国紙では、政党担当記者が共産党を取材して記事を書くのではなく、警察担当記者が公安情報を元に記事を書くという不正常な状況が続いた。」

これは、知らなかったな。

浮沈子は、昔の国会中継で、この敵の出方論が扱われたときのことを、うっすらと覚えている。

共産党は、不破哲三が質問に立っていた。

答弁は、政府委員であったと記憶している。

敵の出方論を撤回しない限り、公安調査の対象であるという政府の姿勢を明確にしていたのが印象的であった。

また、政府委員は、どんな政権下においても、公安調査の必要性はなくなることはないとも答弁していて、野次を飛ばしていた与党議員(ハマコウだったかな)が、一瞬黙り込んだのも記憶にある。

神奈川県警により、日本共産党国際部長の自宅の電話が盗聴されていたのがバレたという、情けない事件も起こっている。

(日本共産党幹部宅盗聴事件)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E5%85%B1%E7%94%A3%E5%85%9A%E5%B9%B9%E9%83%A8%E5%AE%85%E7%9B%97%E8%81%B4%E4%BA%8B%E4%BB%B6

「公安警察の存在が注目を浴び、検察の捜査の合法性にも疑問が投げかけられた。また、警察の組織的犯行を疑う見方もある。」

組織的にやってんに決まってるじゃん!?。

(警備警察50年:警察庁の資料)
http://www.npa.go.jp/archive/keibi/syouten/syouten269/index.htm

(犯罪捜査のための通信傍受に関する法律)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%8A%AF%E7%BD%AA%E6%8D%9C%E6%9F%BB%E3%81%AE%E3%81%9F%E3%82%81%E3%81%AE%E9%80%9A%E4%BF%A1%E5%82%8D%E5%8F%97%E3%81%AB%E9%96%A2%E3%81%99%E3%82%8B%E6%B3%95%E5%BE%8B

「本法は、通信傍受によって権利・自由の侵害が生じることに配慮し、通信傍受を用いた犯罪捜査を規律する側面を有する。つまり、通信傍受が可能な場面は限定され、裁判官による傍受令状に基づいて行わねばならず、管理者の立会い等・通信の当事者に対する事後的な通知も要求されている。」

内容を読むと、電気通信によるものしか合法的に傍受できないとあるので、ガラス窓の振動をレーザーで計測して、室内の会話を盗聴するなどの方法は、この法律の範囲外らしい。

「2001年宇宙の旅」で出てきた、ハルの読唇術は、違法である。

武装闘争事件などについては、改めて書くが、やりたい放題の警察と、ネコ被って大衆に阿っている日本共産党の関係は、今後も続いていくんだろうな。

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