火星の日 ― 2018年06月14日 09:34
火星の日
ひょっとして、そんな記念日があるかもと、ググってみたらヒットした。
(11月28日が「火星の日」になった理由)
http://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/news/16/113000460/
「11月28日は火星の日だった。これは、1964年の11月28日に火星探査機マリナー4号が打ち上げられたことに由来する。」
「モノクロの不鮮明な画像からわかったのは、火星が月と大して変わらないクレーターだらけの不毛な星ということだったからだ。」
大衆に阿って、莫大な予算を使い続けるNASA(そうなのかあ?)は、大いに期待していたのかもしれないが、結果はその期待を打ち砕くものだった。
「火星は荒涼とした世界であることがわかった」
「マリナーの火星画像によって、地球外生命の可能性を訴えてきたNASAはその後の探査を推し進めることが難しくなった。」
「1967年、アポロ計画とベトナム戦争の予算が膨らみ続けることに不満を持っていた米国議会は、火星着陸計画の予算から3000万ドルを削減した。」
バイキング計画がこれにとどめを刺す。
「ついに1976年、NASAはバイキング探査機を火星に着陸させた。しかし、着陸した探査機が微生物すら発見できなかったため、人々はふたたび興味を失った。」
「太陽系の惑星の中で、地球外生命が存在する確率が圧倒的に高いのが火星でした。しかし、銀河のこの一帯では、生命が存在するのは唯一地球のみであることがほぼ確実になったのです。私たちは夢から覚めました」
こののち、人類は20年余りの間、火星探査を打ち切ることになる。
先日のキュリオシティの話といい、最近、再び火星の生命探査が騒がれている。
もちろん、当時(1960年代)のような、イカタコ星人が火星にいるとかいう話ではなく、微生物が過去に生息していたかどうかという、セコいレベルの話だ。
現在の火星に生命が存在しないというのは、大方の科学者も認めているところだしな。
過去に存在したという話だって、可能性のレベルに過ぎない。
エウロパやエンケラドゥスの話などは、それ以下のレベルだ。
まして、他の恒星系に至っては、確認する術もない。
にもかかわらず、人類は、夢から覚めるどころか、ますます儚い夢を追い求めて足掻くばかりだ。
現在、火星に植民するという与太話が聞かれる。
冗談ではない。
いい加減にして欲しい。
月でさえ、継続的な滞在が出来ないでいるのに、どうやって暮らせというのか。
降り注ぐ隕石や放射線、自給自足とは程遠い生活(つまり、生殺与奪の権を握られる奴隷生活)、乏しい資源、お先真っ暗な未来・・・。
数十億年後、地球も火星も、生存できない状況になることは分かっている。
もっとも、人類がそんなに長期間繁栄し続けるわけはない(たぶん)。
この星で生まれ、この星で栄え、この星で滅びる。
宇宙のどこかには、同じ様に生命を育む惑星や衛星があるかも知れないけど、その生命と我々とは無縁だ(仮にいたとしても、無縁であって欲しいな)。
広大無辺な宇宙の片隅(真ん中でもいいですが)で、孤独に生きる地球生命(人類だけでも70億人以上いるけど)。
それは、気の遠くなるような時間をかけて星屑から生まれ、いっとき繁栄し、やがて元の星屑に還っていく。
それは、近所の惑星に乗り移ろうが、同じことだ。
そして、宇宙の先行きを考えれば、星屑から命が生まれ続けることも、そのうちなくなるだろう。
人間が実感できないほどの、遠い遠い未来ではあるけどな。
ちなみに、我が国には宇宙の日というのもある。
(宇宙の日)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%87%E5%AE%99%E3%81%AE%E6%97%A5
「毛利衛が日本人として初めてスペースシャトルに搭乗して飛び立った9月12日」
まあ、どうでもいいんですが。
人類が他の天体に降り立ってから、もうすぐ半世紀になる。
一人の人間にとっては、決して短くない期間だが、人類にとっては重大な空白というわけではないのかもしれない。
長い目で見れば、いつか火星に行く日が来るかもしれない。
浮沈子は、懐疑的だけどな。
もし、そんな日が訪れることがあれば、その日こそ、火星の日に相応しいと思うんだがな。
小さくない困難を乗り越えて、探査機だけが訪れていた他の惑星に、人類の足跡を残す。
数日で到達できる月とは次元が異なる話だし、そこ(火星軌道上でもいいけど)に留まることになれば快挙に違いない。
やがては、木星圏にも進出するかもしれないしな。
それを成し遂げるために必要なら、遺伝子を改変して、自らを別の種としてしまうことさえやりかねない。
そして、そこに生命がいないということになれば、躊躇うことなく、テラフォーミングを試みたりもするだろうさ。
しかしだな、宇宙を甘く見てはいけない。
やがて、手痛いしっぺ返しを食らって、撤退することになるに決まっている(そうなのかあ?)。
後に残るのは、人類が播種した細菌だけだ。
そのうち、太陽系は、そういう地球由来の生物に満ち溢れることになるだろう。
彼らは、おそらく、人類が滅亡したのちも生き残り、ひょっとしたら、太陽の火が消えてしまった後も、細々と生き続けるかもしれない(木星圏位なら、生存可能かもな)。
そう、宇宙(少なくとも太陽系内)は生命に満ち溢れた世界になるだろう。
それをもたらすのは、我々の行為だ。
探査機や、有人宇宙探査がもたらすものは、地球外生命の発見ではなく、地球外への地球生命のばら撒きであることは間違いない・・・。
まあいい。
いつの日か、遠い遠い宇宙の果てからやってきた宇宙人(浮沈子は否定的ですが)が、太陽系の惑星や衛星を探査して、同じ祖先を持つ生命に満ち溢れていることに驚くかもしれない。
人類の文明の痕跡が、地殻活動などが盛んな地球表面から永遠に失われたとしても、その行為の影響は残り続ける。
宇宙空間に放出した人工物(ロケットや人工衛星)のいくつかは、相当長期間(数十億年)に渡って存在し続けるだろうしな。
人類が、宇宙空間に放った電波も、永遠に消えることはない。
まだ、110光年くらいしか届いていないけどな。
(110光年の音楽)
http://kfujito2.asablo.jp/blog/2016/12/11/8273451
「110年前のクリスマスイブに、電波は宇宙に放たれたわけだ。」
我々は、何か取り返しのつかないことをしてしまっているのではないか。
やがて、全てが無に還る時がやってくるとしても、それまでの長い長い時間の中で、とてつもない過ちを犯している可能性は高い。
それが、どんな結果をもたらすかを考えもせずに。
生命が生き残るための行為は、延々と続いていく。
それこそが、生命の本質だからな。
地球外生命探査の本当の動機は、自分たち以外にも、過ちを犯す存在を見つけて安堵したいということなのかもしれない(そんなあ!)。
赤信号、みんなで渡ればこわくない・・・。
ひょっとして、そんな記念日があるかもと、ググってみたらヒットした。
(11月28日が「火星の日」になった理由)
http://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/news/16/113000460/
「11月28日は火星の日だった。これは、1964年の11月28日に火星探査機マリナー4号が打ち上げられたことに由来する。」
「モノクロの不鮮明な画像からわかったのは、火星が月と大して変わらないクレーターだらけの不毛な星ということだったからだ。」
大衆に阿って、莫大な予算を使い続けるNASA(そうなのかあ?)は、大いに期待していたのかもしれないが、結果はその期待を打ち砕くものだった。
「火星は荒涼とした世界であることがわかった」
「マリナーの火星画像によって、地球外生命の可能性を訴えてきたNASAはその後の探査を推し進めることが難しくなった。」
「1967年、アポロ計画とベトナム戦争の予算が膨らみ続けることに不満を持っていた米国議会は、火星着陸計画の予算から3000万ドルを削減した。」
バイキング計画がこれにとどめを刺す。
「ついに1976年、NASAはバイキング探査機を火星に着陸させた。しかし、着陸した探査機が微生物すら発見できなかったため、人々はふたたび興味を失った。」
「太陽系の惑星の中で、地球外生命が存在する確率が圧倒的に高いのが火星でした。しかし、銀河のこの一帯では、生命が存在するのは唯一地球のみであることがほぼ確実になったのです。私たちは夢から覚めました」
こののち、人類は20年余りの間、火星探査を打ち切ることになる。
先日のキュリオシティの話といい、最近、再び火星の生命探査が騒がれている。
もちろん、当時(1960年代)のような、イカタコ星人が火星にいるとかいう話ではなく、微生物が過去に生息していたかどうかという、セコいレベルの話だ。
現在の火星に生命が存在しないというのは、大方の科学者も認めているところだしな。
過去に存在したという話だって、可能性のレベルに過ぎない。
エウロパやエンケラドゥスの話などは、それ以下のレベルだ。
まして、他の恒星系に至っては、確認する術もない。
にもかかわらず、人類は、夢から覚めるどころか、ますます儚い夢を追い求めて足掻くばかりだ。
現在、火星に植民するという与太話が聞かれる。
冗談ではない。
いい加減にして欲しい。
月でさえ、継続的な滞在が出来ないでいるのに、どうやって暮らせというのか。
降り注ぐ隕石や放射線、自給自足とは程遠い生活(つまり、生殺与奪の権を握られる奴隷生活)、乏しい資源、お先真っ暗な未来・・・。
数十億年後、地球も火星も、生存できない状況になることは分かっている。
もっとも、人類がそんなに長期間繁栄し続けるわけはない(たぶん)。
この星で生まれ、この星で栄え、この星で滅びる。
宇宙のどこかには、同じ様に生命を育む惑星や衛星があるかも知れないけど、その生命と我々とは無縁だ(仮にいたとしても、無縁であって欲しいな)。
広大無辺な宇宙の片隅(真ん中でもいいですが)で、孤独に生きる地球生命(人類だけでも70億人以上いるけど)。
それは、気の遠くなるような時間をかけて星屑から生まれ、いっとき繁栄し、やがて元の星屑に還っていく。
それは、近所の惑星に乗り移ろうが、同じことだ。
そして、宇宙の先行きを考えれば、星屑から命が生まれ続けることも、そのうちなくなるだろう。
人間が実感できないほどの、遠い遠い未来ではあるけどな。
ちなみに、我が国には宇宙の日というのもある。
(宇宙の日)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%87%E5%AE%99%E3%81%AE%E6%97%A5
「毛利衛が日本人として初めてスペースシャトルに搭乗して飛び立った9月12日」
まあ、どうでもいいんですが。
人類が他の天体に降り立ってから、もうすぐ半世紀になる。
一人の人間にとっては、決して短くない期間だが、人類にとっては重大な空白というわけではないのかもしれない。
長い目で見れば、いつか火星に行く日が来るかもしれない。
浮沈子は、懐疑的だけどな。
もし、そんな日が訪れることがあれば、その日こそ、火星の日に相応しいと思うんだがな。
小さくない困難を乗り越えて、探査機だけが訪れていた他の惑星に、人類の足跡を残す。
数日で到達できる月とは次元が異なる話だし、そこ(火星軌道上でもいいけど)に留まることになれば快挙に違いない。
やがては、木星圏にも進出するかもしれないしな。
それを成し遂げるために必要なら、遺伝子を改変して、自らを別の種としてしまうことさえやりかねない。
そして、そこに生命がいないということになれば、躊躇うことなく、テラフォーミングを試みたりもするだろうさ。
しかしだな、宇宙を甘く見てはいけない。
やがて、手痛いしっぺ返しを食らって、撤退することになるに決まっている(そうなのかあ?)。
後に残るのは、人類が播種した細菌だけだ。
そのうち、太陽系は、そういう地球由来の生物に満ち溢れることになるだろう。
彼らは、おそらく、人類が滅亡したのちも生き残り、ひょっとしたら、太陽の火が消えてしまった後も、細々と生き続けるかもしれない(木星圏位なら、生存可能かもな)。
そう、宇宙(少なくとも太陽系内)は生命に満ち溢れた世界になるだろう。
それをもたらすのは、我々の行為だ。
探査機や、有人宇宙探査がもたらすものは、地球外生命の発見ではなく、地球外への地球生命のばら撒きであることは間違いない・・・。
まあいい。
いつの日か、遠い遠い宇宙の果てからやってきた宇宙人(浮沈子は否定的ですが)が、太陽系の惑星や衛星を探査して、同じ祖先を持つ生命に満ち溢れていることに驚くかもしれない。
人類の文明の痕跡が、地殻活動などが盛んな地球表面から永遠に失われたとしても、その行為の影響は残り続ける。
宇宙空間に放出した人工物(ロケットや人工衛星)のいくつかは、相当長期間(数十億年)に渡って存在し続けるだろうしな。
人類が、宇宙空間に放った電波も、永遠に消えることはない。
まだ、110光年くらいしか届いていないけどな。
(110光年の音楽)
http://kfujito2.asablo.jp/blog/2016/12/11/8273451
「110年前のクリスマスイブに、電波は宇宙に放たれたわけだ。」
我々は、何か取り返しのつかないことをしてしまっているのではないか。
やがて、全てが無に還る時がやってくるとしても、それまでの長い長い時間の中で、とてつもない過ちを犯している可能性は高い。
それが、どんな結果をもたらすかを考えもせずに。
生命が生き残るための行為は、延々と続いていく。
それこそが、生命の本質だからな。
地球外生命探査の本当の動機は、自分たち以外にも、過ちを犯す存在を見つけて安堵したいということなのかもしれない(そんなあ!)。
赤信号、みんなで渡ればこわくない・・・。
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