20倍 ― 2016年10月14日 16:29
20倍
もんじゅ廃炉に絡んで、新たな利権が生まれるという、もっともらしい記事が出ていた。
(8兆2千億円は国民負担?「もんじゅ廃炉」後に生まれる霞が関の新利権とは…)
http://news.ameba.jp/20161013-140/
「つい最近、8兆2千億円もの原発の廃炉費用を全額、国民に負担させる議論を経産省主導でスタートさせました。廃炉コストを電気料金に含まれる送電網の利用料金『託送料』に上乗せしようというのです。」
もちろん、どこかで費用は計上しなければならない。
「試算では『もんじゅ』廃炉に30年間、3千億円の費用がかかるとされていますが、果たしてそれで済むかどうか? へたをすると、予算が青天井で膨らむ恐れ」
かといって、そのまま放置するわけにもいかない。
我々は、そのコストを払い続けなければならないのだ。
払わずに済む方法もある。
電気を自分で賄い、電力会社と契約しなければいい。
そうでなければ、電気を使わないとか。
そうする自由はあるし、そうしている方もいる。
モノの値段には、それが生産され、流通する過程で掛かった電気料金が含まれているので、全く電気と無縁で生活できるわけではない。
街灯の電気代だって、税金という形で払い続けている。
我々は、電気という名の毒を飲んだ。
死ぬまで飲み続けていかなければならないし、死んだ後も、ろうそくや線香をあげてもらう度に、それらが生産され流通する過程で掛かった電気代を、子々孫々に払わせ続けるのだ・・・。
まあ、浮沈子には、子孫がいないから、その分気が楽ではあるがな。
原子力村は、どこまで行っても利権の温床という話は分かった。
正当な報酬を受け取って、適正な管理下で、なるべく国民負担を膨らませることなくやってもらいたいもんだな。
さて、今回の話はそれどころではない。
宇宙の星の数が、従来の20倍に増えてしまったというとんでもない話だ。
(「観測可能な」宇宙にある銀河は2兆個か、従来説の20倍)
http://www.afpbb.com/articles/-/3104325
「宇宙には2兆個という、気が遠くなるような数の銀河が存在するとの研究結果が13日、発表された。これまで考えられていたよりも最大で20倍多く存在することになるという。」
浮沈子は勘違いしていた。
星の数ではなく、銀河の数だと。
我々の太陽系が属する天の川銀河には、1千億から2千億個の恒星があるといわれている。
他の銀河が同じかどうかは知らないが、仮に少なめに1千億個としても、2兆個の1千億倍の星の数になるわけで、その単位は何と呼ぶかは知らない。
しかも、それは、光で観測できる範囲に限られた話だというのだ。
光(電磁波)以外で観測することは、現代の科学ではできないが、そのうち、とんでもない方法を編み出すようになって、さらに観測範囲が増える可能性だってないわけではない。
しかもだ、その対象としている宇宙というのは、我々が住む、いわゆる「この宇宙」のはなしで、M理論が想定する10の500乗個の宇宙については、また別勘定になる。
やれやれ・・・。
文字通り、天文学的な数字だな。
そんでもって、記事はこのように書いている。
「次世代の望遠鏡を用いてこれらの銀河を観測すれば、興味深い性質を発見できるかもしれない」
天文学者の持ち出す「利権絡みの話」というのは、原子力村どころではないようだ。
次世代どころか、人類という種が続く限り、天文学者や関連企業が食いっ逸れることはないほどのネタだ。
我々はどこから来たのか、我々は何者なのか、そして、我々は何処へ行くのか。
それを知りたいという欲望がある限り、知への投資が途切れることはあるまい。
少なくとも、これだけは言える。
我々人類は、飽くことなく問い続け、その答えを求め続ける存在だということだ。
浮沈子は、若い頃、こんな言葉を知って感動したことを思い出す。
「朝(あした)に道を聞かば、夕べに死すとも可なり」
(朝に道を聞かば、夕べに死すとも可なり)
http://kotowaza-allguide.com/a/ashitanimichiwokikaba.html
孔子ですら、人として如何に生きるべきかを知ることは難しかったわけで、愚鈍なる浮沈子は、その片りんに触れることすら叶わないだろう。
宇宙は、人類の存在にかかわらず在り続けるだろうが、この世から人類が消えてなくなれば、ずいぶん静かになることだけは間違いないな。
もんじゅ廃炉に絡んで、新たな利権が生まれるという、もっともらしい記事が出ていた。
(8兆2千億円は国民負担?「もんじゅ廃炉」後に生まれる霞が関の新利権とは…)
http://news.ameba.jp/20161013-140/
「つい最近、8兆2千億円もの原発の廃炉費用を全額、国民に負担させる議論を経産省主導でスタートさせました。廃炉コストを電気料金に含まれる送電網の利用料金『託送料』に上乗せしようというのです。」
もちろん、どこかで費用は計上しなければならない。
「試算では『もんじゅ』廃炉に30年間、3千億円の費用がかかるとされていますが、果たしてそれで済むかどうか? へたをすると、予算が青天井で膨らむ恐れ」
かといって、そのまま放置するわけにもいかない。
我々は、そのコストを払い続けなければならないのだ。
払わずに済む方法もある。
電気を自分で賄い、電力会社と契約しなければいい。
そうでなければ、電気を使わないとか。
そうする自由はあるし、そうしている方もいる。
モノの値段には、それが生産され、流通する過程で掛かった電気料金が含まれているので、全く電気と無縁で生活できるわけではない。
街灯の電気代だって、税金という形で払い続けている。
我々は、電気という名の毒を飲んだ。
死ぬまで飲み続けていかなければならないし、死んだ後も、ろうそくや線香をあげてもらう度に、それらが生産され流通する過程で掛かった電気代を、子々孫々に払わせ続けるのだ・・・。
まあ、浮沈子には、子孫がいないから、その分気が楽ではあるがな。
原子力村は、どこまで行っても利権の温床という話は分かった。
正当な報酬を受け取って、適正な管理下で、なるべく国民負担を膨らませることなくやってもらいたいもんだな。
さて、今回の話はそれどころではない。
宇宙の星の数が、従来の20倍に増えてしまったというとんでもない話だ。
(「観測可能な」宇宙にある銀河は2兆個か、従来説の20倍)
http://www.afpbb.com/articles/-/3104325
「宇宙には2兆個という、気が遠くなるような数の銀河が存在するとの研究結果が13日、発表された。これまで考えられていたよりも最大で20倍多く存在することになるという。」
浮沈子は勘違いしていた。
星の数ではなく、銀河の数だと。
我々の太陽系が属する天の川銀河には、1千億から2千億個の恒星があるといわれている。
他の銀河が同じかどうかは知らないが、仮に少なめに1千億個としても、2兆個の1千億倍の星の数になるわけで、その単位は何と呼ぶかは知らない。
しかも、それは、光で観測できる範囲に限られた話だというのだ。
光(電磁波)以外で観測することは、現代の科学ではできないが、そのうち、とんでもない方法を編み出すようになって、さらに観測範囲が増える可能性だってないわけではない。
しかもだ、その対象としている宇宙というのは、我々が住む、いわゆる「この宇宙」のはなしで、M理論が想定する10の500乗個の宇宙については、また別勘定になる。
やれやれ・・・。
文字通り、天文学的な数字だな。
そんでもって、記事はこのように書いている。
「次世代の望遠鏡を用いてこれらの銀河を観測すれば、興味深い性質を発見できるかもしれない」
天文学者の持ち出す「利権絡みの話」というのは、原子力村どころではないようだ。
次世代どころか、人類という種が続く限り、天文学者や関連企業が食いっ逸れることはないほどのネタだ。
我々はどこから来たのか、我々は何者なのか、そして、我々は何処へ行くのか。
それを知りたいという欲望がある限り、知への投資が途切れることはあるまい。
少なくとも、これだけは言える。
我々人類は、飽くことなく問い続け、その答えを求め続ける存在だということだ。
浮沈子は、若い頃、こんな言葉を知って感動したことを思い出す。
「朝(あした)に道を聞かば、夕べに死すとも可なり」
(朝に道を聞かば、夕べに死すとも可なり)
http://kotowaza-allguide.com/a/ashitanimichiwokikaba.html
孔子ですら、人として如何に生きるべきかを知ることは難しかったわけで、愚鈍なる浮沈子は、その片りんに触れることすら叶わないだろう。
宇宙は、人類の存在にかかわらず在り続けるだろうが、この世から人類が消えてなくなれば、ずいぶん静かになることだけは間違いないな。
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