ノーベル平和賞 ― 2013年11月08日 16:33
ノーベル平和賞
「ノーベル賞の一部門で、アルフレッド・ノーベルの遺言によって創設された五部門のうちの一つ。」
(ノーベル平和賞)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8E%E3%83%BC%E3%83%99%E3%83%AB%E5%B9%B3%E5%92%8C%E8%B3%9E
「ノーベル賞の創設者アルフレッド・ノーベルはスウェーデンとノルウェー両国の和解と平和を祈念して「平和賞」の授与はノルウェーで行うことにした。平和賞のみ、スウェーデンではなくノルウェーが授与主体である。」
このことからしても、ノーベルが、如何に平和を希求していたかが分かろうというものだ。
古来、隣国に手を貸すことは、自国の相対的な力を弱らしめ、結果、自国の崩壊に通じることから、隣国に対する対応は、そこそこであることが好ましいとされている。
まあ、当然だな。
そこを敢えて、隣国に花を持たせる措置をしたところが、ノーベルらしい。
「国家間の友愛関係の促進、常備軍の廃止・縮小、平和のための会議・促進に最も貢献した人物」とある。
常備軍の廃止をした国は皆無だし、人物とあるが、今回は国際機関が受賞することになった。
「「非核三原則」を提唱したことを持って、1974年に受賞した佐藤栄作の場合、後に有事の際の「核持ち込み」に関する密約が、日米間で結ばれていたことが明るみに出た(日米核持ち込み問題)。また、南北首脳会談開催を理由に2000年に受賞した金大中の場合は、後に北朝鮮への多額の不正送金疑惑が発覚し、韓国国内からは「金で買ったノーベル賞」との批判が巻き起こった。いずれも、受賞当時には知られていなかった事実が明るみに出ることで、平和賞受賞者として相応しかったのかという議論が今日でも続いているケースである。」
「1973年には、ベトナム和平協定調印を理由に、アメリカのヘンリー・キッシンジャーと北ベトナムのレ・ドク・トが共同受賞したが、キッシンジャーへの授与に対しては、ノーベル平和賞委員会の中でも激しい議論が巻き起こり、反対した2人の委員が抗議のため辞任するほどだった。平和賞の受賞主体であるノルウェー政府は激しい世論の批判にさらされ、当時の国王オラフ5世が、首都オスロの路上で雪玉を投げ付けられる事件まで起きた。また、レ・ドク・トは受賞を辞退した。その後、北ベトナムは和平協定を破って南ベトナムへの攻撃を再開し、1975年にはベトナム全土を武力統一した。」
この他にも、多くの受賞が問題となっている。
北欧の一国家が決める平和賞が、必ずしも現実世界の融和を促すとはいえない。
この手の話には、限界があるのだ。
それを、承知した上で、「平和賞を地域紛争の平和的調停に向けたアピールとする」ことは、数多く行われている。
うまくいかなくて、もともとなのだ。
(ノルウェー)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8E%E3%83%AB%E3%82%A6%E3%82%A7%E3%83%BC
意外にも、現在のノルウェー王国が成立したのは、最近のことである。
「20世紀初頭、スウェーデン=ノルウェーの連合を解消しようという運動が高まり、1905年にノルウェー側からデンマークのカール王子に打診があった。その後、国民投票により君主国家を設立、議会は満場一致でカール王子をノルウェー王として選出した。彼は独立したノルウェーでホーコン7世として即位した。スウェーデン政府はこの決定に反発し、一時騒然となったが、オスカル2世と社民党政府の国民への説得により、ノルウェーの独立が認められた。」
平和賞自体は、1901年から授与されている。
浮沈子は、就任後、米軍の最高司令官として何百人(何千人?)もの人間を戦場や戦場以外で殺してきたバラク・オバマが受賞していることに、最も違和感を覚える。
また、実力を持って平和を維持するとはいえ、国連平和維持軍という軍事組織に平和賞を与えるというのも、いかがなものか。
佐藤栄作が受賞した平和賞を、返還しないのは、我が国の汚点であるな。
天皇陛下に手紙を渡したどころの話ではない。
もらったものは、後から不始末がバレても返さないという、恥知らずな話である。
第1回受賞者の、アンリ・デュナンは、赤十字社の創設者であり、国際赤十字社(赤新月社含む)は、何度か平和賞を受賞している。
「人類はみな兄弟」というのは、この人のセリフなので、念のため。
「1863年、ジュネーヴで負傷兵救済国際委員会が結成され、これが赤十字社の誕生に発展した。その後、各国赤十字社の創設から国際赤十字に向かっていく過程で、赤十字の活動範囲は戦争捕虜に対する人道的救援、一般的な災害被災者に対する救援へと拡大していったが、彼自身はこの活動から身を引き、世間からも忘れられていた。晩年、ドイツのシュトゥットガルトの老人ホームにいたところ、たまたま老人たちの話を聞いていたジャーナリストが彼と気がつき、それが1901年第1回ノーベル平和賞の受賞につながった。ちなみに、その賞金は本人の希望で全額赤十字に寄付された。」
欲しい欲しいと、名誉欲に駆られる人々が聞いたら、恥ずかしくなるような話である。
12月10日午後1時(現地時間)からオスロのオスロ市庁舎で授賞式が行われる。
ガンジーが受賞していないというのは、意外な気もするが、宗主国の英国としたら面白くないのだろう。
明確な証拠はなくても、そうに決まっている。
誤謬もあるし、限界もある。
人間の営みに、完璧などないのだ。
メダルに彫られたノーベルの目は、今日や明日の束の間の平和ではなく、人類がいつか手にする、恒久の平和を見据えて、遠い彼方を見ているように、浮沈子には思える。
「ノーベル賞の一部門で、アルフレッド・ノーベルの遺言によって創設された五部門のうちの一つ。」
(ノーベル平和賞)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8E%E3%83%BC%E3%83%99%E3%83%AB%E5%B9%B3%E5%92%8C%E8%B3%9E
「ノーベル賞の創設者アルフレッド・ノーベルはスウェーデンとノルウェー両国の和解と平和を祈念して「平和賞」の授与はノルウェーで行うことにした。平和賞のみ、スウェーデンではなくノルウェーが授与主体である。」
このことからしても、ノーベルが、如何に平和を希求していたかが分かろうというものだ。
古来、隣国に手を貸すことは、自国の相対的な力を弱らしめ、結果、自国の崩壊に通じることから、隣国に対する対応は、そこそこであることが好ましいとされている。
まあ、当然だな。
そこを敢えて、隣国に花を持たせる措置をしたところが、ノーベルらしい。
「国家間の友愛関係の促進、常備軍の廃止・縮小、平和のための会議・促進に最も貢献した人物」とある。
常備軍の廃止をした国は皆無だし、人物とあるが、今回は国際機関が受賞することになった。
「「非核三原則」を提唱したことを持って、1974年に受賞した佐藤栄作の場合、後に有事の際の「核持ち込み」に関する密約が、日米間で結ばれていたことが明るみに出た(日米核持ち込み問題)。また、南北首脳会談開催を理由に2000年に受賞した金大中の場合は、後に北朝鮮への多額の不正送金疑惑が発覚し、韓国国内からは「金で買ったノーベル賞」との批判が巻き起こった。いずれも、受賞当時には知られていなかった事実が明るみに出ることで、平和賞受賞者として相応しかったのかという議論が今日でも続いているケースである。」
「1973年には、ベトナム和平協定調印を理由に、アメリカのヘンリー・キッシンジャーと北ベトナムのレ・ドク・トが共同受賞したが、キッシンジャーへの授与に対しては、ノーベル平和賞委員会の中でも激しい議論が巻き起こり、反対した2人の委員が抗議のため辞任するほどだった。平和賞の受賞主体であるノルウェー政府は激しい世論の批判にさらされ、当時の国王オラフ5世が、首都オスロの路上で雪玉を投げ付けられる事件まで起きた。また、レ・ドク・トは受賞を辞退した。その後、北ベトナムは和平協定を破って南ベトナムへの攻撃を再開し、1975年にはベトナム全土を武力統一した。」
この他にも、多くの受賞が問題となっている。
北欧の一国家が決める平和賞が、必ずしも現実世界の融和を促すとはいえない。
この手の話には、限界があるのだ。
それを、承知した上で、「平和賞を地域紛争の平和的調停に向けたアピールとする」ことは、数多く行われている。
うまくいかなくて、もともとなのだ。
(ノルウェー)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8E%E3%83%AB%E3%82%A6%E3%82%A7%E3%83%BC
意外にも、現在のノルウェー王国が成立したのは、最近のことである。
「20世紀初頭、スウェーデン=ノルウェーの連合を解消しようという運動が高まり、1905年にノルウェー側からデンマークのカール王子に打診があった。その後、国民投票により君主国家を設立、議会は満場一致でカール王子をノルウェー王として選出した。彼は独立したノルウェーでホーコン7世として即位した。スウェーデン政府はこの決定に反発し、一時騒然となったが、オスカル2世と社民党政府の国民への説得により、ノルウェーの独立が認められた。」
平和賞自体は、1901年から授与されている。
浮沈子は、就任後、米軍の最高司令官として何百人(何千人?)もの人間を戦場や戦場以外で殺してきたバラク・オバマが受賞していることに、最も違和感を覚える。
また、実力を持って平和を維持するとはいえ、国連平和維持軍という軍事組織に平和賞を与えるというのも、いかがなものか。
佐藤栄作が受賞した平和賞を、返還しないのは、我が国の汚点であるな。
天皇陛下に手紙を渡したどころの話ではない。
もらったものは、後から不始末がバレても返さないという、恥知らずな話である。
第1回受賞者の、アンリ・デュナンは、赤十字社の創設者であり、国際赤十字社(赤新月社含む)は、何度か平和賞を受賞している。
「人類はみな兄弟」というのは、この人のセリフなので、念のため。
「1863年、ジュネーヴで負傷兵救済国際委員会が結成され、これが赤十字社の誕生に発展した。その後、各国赤十字社の創設から国際赤十字に向かっていく過程で、赤十字の活動範囲は戦争捕虜に対する人道的救援、一般的な災害被災者に対する救援へと拡大していったが、彼自身はこの活動から身を引き、世間からも忘れられていた。晩年、ドイツのシュトゥットガルトの老人ホームにいたところ、たまたま老人たちの話を聞いていたジャーナリストが彼と気がつき、それが1901年第1回ノーベル平和賞の受賞につながった。ちなみに、その賞金は本人の希望で全額赤十字に寄付された。」
欲しい欲しいと、名誉欲に駆られる人々が聞いたら、恥ずかしくなるような話である。
12月10日午後1時(現地時間)からオスロのオスロ市庁舎で授賞式が行われる。
ガンジーが受賞していないというのは、意外な気もするが、宗主国の英国としたら面白くないのだろう。
明確な証拠はなくても、そうに決まっている。
誤謬もあるし、限界もある。
人間の営みに、完璧などないのだ。
メダルに彫られたノーベルの目は、今日や明日の束の間の平和ではなく、人類がいつか手にする、恒久の平和を見据えて、遠い彼方を見ているように、浮沈子には思える。
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