乗れないと分かる ― 2017年08月04日 06:56
乗れないと分かる
排気管の中の触媒がぶっ壊れて、カラカラと音を立てて、いつのまにかディーゼル車になってしまった500E。
交換作業には、1週間余り掛かるということで、その間はポルシェで凌ぐしかない。
そういう時に限って、小雨のぱらつく今日この頃。
屋根の開く2台のポルシェは、普段はカバーを掛けているので、濡れたカバーをしまうのが面倒だ。
ついつい、乗らずに過ごしてしまう。
無理に押し込めばかなり積めるが、500Eのように、ぞんざいに放り込むわけにもいかず、ダイビング器材も部屋に溢れている。
(燃費なんて気にしないけど気になる!レクサスLC500試乗&燃費レポート(1/2))
http://autoc-one.jp/nenpi/3441692/
「レクサスはLCに5リッターV型8気筒NAエンジンを搭載してデビューさせた。」
同じ5リッターV8とはいえ、25年の歳月を経て作られたクルマだから、比較するのは公平ではない。
高速で頑張っても、リッター10キロの大台に乗らない500E(100kmで、2500回転です!)に対して、12kmに迫る燃費は大したものだ。
街中にしたって、あわや5kmを切るのではと思わせる500Eに対して、6kmを超えている。
浮沈子からすれば、上等な部類だ。
まあ、記事のタイトルにある通り、燃費を気にして乗るクルマではない。
浮沈子がニヤリとしたのは、その走り味に関するところだ。
「LC500が一番苦手なシチュエーションはゆっくりと都内の渋滞路を走らせているときだろう。10速ATは少々ぎくしゃくした動きやショックをもたらし、また、ブレーキフィールも剛性感はあるものの、制動力の高まりが急激でこちらもぎくしゃくしがちだ。」
「さて、街中を走っている限り、足は硬く、あまり乗り心地がいいとはいえない。ボディ剛性もそれほど高くなく、段差を超えるときにはヨレるような印象もあった。また、軽量化されたとはいえ、1940kgもあるボディを信号から気持ちよくスタートさせるには、ある程度アクセルを踏み込む必要があり、全体として鈍なイメージが付きまとった。」
高速走行については、こんな記述もある。
「追い越し時にはトルク不足を感じてしまうシーンもあった。これは、適切なギアがすぐさま選択されないのが要因だ。」
「改善案として、例えばよりワイドなギア比を与えることで、煩雑さをなくし、かつ、エンジンの特性を生かした気持ち良い加速を味わえるようなセッティングが、このクルマの性格に合っているように思うのだ。」
500Eについては、これらの問題はない。
少なくとも、浮沈子が乗っている個体については、低速でギクシャクしたりはしない。
ブレーキ系統を93年型に変えていること、実質3速(2速発進なので)しかないオートマチックで、前述のようにトップ4速でも100km2500回転という減速比で、街中、高速(日本の速度域ですが)いずれも不満はない。
燃費を気にせず、ドライバビリティーに遠慮なく振ったセッティングは、大正解ということだな。
ムフフ・・・。
試乗記が指摘している改善(?)は、四半世紀前のクルマにおいて、既になされているのだ。
つーか、あれだな、このLC500というのは、ある意味で現代に甦った500Eなのかもしれない。
パナメーラに乗った時も感じたんだが、このクラス独特の乗り味というのは、ある程度共通しているんだろう。
重いクルマを大トルクで軽々と押し出す感じ。
そのトルクバンドに上手く乗せることが出来れば、この上ない快感と共に、ふわあーーっという感じで加速するのだ。
500Eのオートマは、そこのところを心得ている。
絶妙のセッティングだな。
乗れないと、益々贔屓目になる。
高速での加速も申し分ない。
あまりお勧めではないが、100kmからの加速の際に、シフトダウンしたいと思ったことはない。
クルーズコントロールのまま、アクセルを少し踏み足せば、望む加速は得られる(望む燃費と引き換えですが・・・)。
なんせ、100kmで2500回転も回ってるんだからな。
軽自動車じゃあるまいし・・・。
(時速100kmでの回転数が低い 軽自動車 ランキング (全車種・総合))
http://greeco-channel.com/car/100kmh_rpm_ranking_kcar/
ターボ車は、軒並み2500回転より少ない。
NA車はさすがに3000回転オーバーだがな。
ちなみにLC500は、500Eの約半分、1280回転でしかない。
これじゃあ、シフトダウンしたくなるのも無理はない。
燃費を気にせず乗れた時代は、もう二度と戻っては来ない。
ドライバーは気にしなくても、メーカーは、そんなクルマを作ることが出来なくなっている。
レクサスブランドでさえ、10速ものオートマを与えて、チョロチョロとセコく変速しているわけだしな。
1280回転だしな・・・。
燃費気にせず、100kmで2500回転回してやれば、ドラビリの向上は間違いない。
それで失うガソリン代に見合う効果は期待していい。
500Eが戻ってきたら、早速、高速に乗せてみよう。
触媒交換の効果(爆音?)も確認しなくっちゃな。
楽しみ楽しみ・・・。
排気管の中の触媒がぶっ壊れて、カラカラと音を立てて、いつのまにかディーゼル車になってしまった500E。
交換作業には、1週間余り掛かるということで、その間はポルシェで凌ぐしかない。
そういう時に限って、小雨のぱらつく今日この頃。
屋根の開く2台のポルシェは、普段はカバーを掛けているので、濡れたカバーをしまうのが面倒だ。
ついつい、乗らずに過ごしてしまう。
無理に押し込めばかなり積めるが、500Eのように、ぞんざいに放り込むわけにもいかず、ダイビング器材も部屋に溢れている。
(燃費なんて気にしないけど気になる!レクサスLC500試乗&燃費レポート(1/2))
http://autoc-one.jp/nenpi/3441692/
「レクサスはLCに5リッターV型8気筒NAエンジンを搭載してデビューさせた。」
同じ5リッターV8とはいえ、25年の歳月を経て作られたクルマだから、比較するのは公平ではない。
高速で頑張っても、リッター10キロの大台に乗らない500E(100kmで、2500回転です!)に対して、12kmに迫る燃費は大したものだ。
街中にしたって、あわや5kmを切るのではと思わせる500Eに対して、6kmを超えている。
浮沈子からすれば、上等な部類だ。
まあ、記事のタイトルにある通り、燃費を気にして乗るクルマではない。
浮沈子がニヤリとしたのは、その走り味に関するところだ。
「LC500が一番苦手なシチュエーションはゆっくりと都内の渋滞路を走らせているときだろう。10速ATは少々ぎくしゃくした動きやショックをもたらし、また、ブレーキフィールも剛性感はあるものの、制動力の高まりが急激でこちらもぎくしゃくしがちだ。」
「さて、街中を走っている限り、足は硬く、あまり乗り心地がいいとはいえない。ボディ剛性もそれほど高くなく、段差を超えるときにはヨレるような印象もあった。また、軽量化されたとはいえ、1940kgもあるボディを信号から気持ちよくスタートさせるには、ある程度アクセルを踏み込む必要があり、全体として鈍なイメージが付きまとった。」
高速走行については、こんな記述もある。
「追い越し時にはトルク不足を感じてしまうシーンもあった。これは、適切なギアがすぐさま選択されないのが要因だ。」
「改善案として、例えばよりワイドなギア比を与えることで、煩雑さをなくし、かつ、エンジンの特性を生かした気持ち良い加速を味わえるようなセッティングが、このクルマの性格に合っているように思うのだ。」
500Eについては、これらの問題はない。
少なくとも、浮沈子が乗っている個体については、低速でギクシャクしたりはしない。
ブレーキ系統を93年型に変えていること、実質3速(2速発進なので)しかないオートマチックで、前述のようにトップ4速でも100km2500回転という減速比で、街中、高速(日本の速度域ですが)いずれも不満はない。
燃費を気にせず、ドライバビリティーに遠慮なく振ったセッティングは、大正解ということだな。
ムフフ・・・。
試乗記が指摘している改善(?)は、四半世紀前のクルマにおいて、既になされているのだ。
つーか、あれだな、このLC500というのは、ある意味で現代に甦った500Eなのかもしれない。
パナメーラに乗った時も感じたんだが、このクラス独特の乗り味というのは、ある程度共通しているんだろう。
重いクルマを大トルクで軽々と押し出す感じ。
そのトルクバンドに上手く乗せることが出来れば、この上ない快感と共に、ふわあーーっという感じで加速するのだ。
500Eのオートマは、そこのところを心得ている。
絶妙のセッティングだな。
乗れないと、益々贔屓目になる。
高速での加速も申し分ない。
あまりお勧めではないが、100kmからの加速の際に、シフトダウンしたいと思ったことはない。
クルーズコントロールのまま、アクセルを少し踏み足せば、望む加速は得られる(望む燃費と引き換えですが・・・)。
なんせ、100kmで2500回転も回ってるんだからな。
軽自動車じゃあるまいし・・・。
(時速100kmでの回転数が低い 軽自動車 ランキング (全車種・総合))
http://greeco-channel.com/car/100kmh_rpm_ranking_kcar/
ターボ車は、軒並み2500回転より少ない。
NA車はさすがに3000回転オーバーだがな。
ちなみにLC500は、500Eの約半分、1280回転でしかない。
これじゃあ、シフトダウンしたくなるのも無理はない。
燃費を気にせず乗れた時代は、もう二度と戻っては来ない。
ドライバーは気にしなくても、メーカーは、そんなクルマを作ることが出来なくなっている。
レクサスブランドでさえ、10速ものオートマを与えて、チョロチョロとセコく変速しているわけだしな。
1280回転だしな・・・。
燃費気にせず、100kmで2500回転回してやれば、ドラビリの向上は間違いない。
それで失うガソリン代に見合う効果は期待していい。
500Eが戻ってきたら、早速、高速に乗せてみよう。
触媒交換の効果(爆音?)も確認しなくっちゃな。
楽しみ楽しみ・・・。
夏が来れば思い出す終戦 ― 2017年08月04日 07:36
夏が来れば思い出す終戦
何度か書きかけては、没にしている話題だ。
書きづらい。
浮沈子が知らない戦争。
それが終わってから生まれ、高度経済成長と共に育ち、その終焉とバブルを経験した世代が、何を言っても始まらない。
72年の時を越え、その日が巡ってこようとしている。
終戦。
正式には、9月2日なんだそうだが、8月の暑い日差しとうだるような陽気の中で、その日を迎えるのが相応しい気がする。
(日本の終戦記念日)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B5%82%E6%88%A6%E3%81%AE%E6%97%A5#.E6.97.A5.E6.9C.AC.E3.81.AE.E7.B5.82.E6.88.A6.E8.A8.98.E5.BF.B5.E6.97.A5
「・1945年(昭和20年)8月14日:
日本政府が、ポツダム宣言の受諾を連合国各国に通告した日
・1945年(昭和20年)8月15日:
玉音放送により、日本の降伏が国民に公表された日
・1945年(昭和20年)9月2日:
日本政府が、ポツダム宣言の履行等を定めた降伏文書(休戦協定)に調印した日
・1952年(昭和27年)4月28日:
日本国との平和条約(サンフランシスコ平和条約)の発効により、国際法上、連合国各国(ソ連等共産主義諸国を除く)と日本の戦争状態が終結した日」
一般には、8月15日として知られている(お盆に重なる)。
「連合国軍の占領下にあった1952年(昭和27年)4月27日までの新聞紙上では、9月2日を降伏の日や降伏記念日や敗戦記念日と呼んでいた。」
事の経過を見ると、ポツダム宣言の受諾は8月10日とある(国体護持の条件付き)。
「1945年7月26日、米英中の3か国(のちにソ連も参加)はポツダム宣言を発し、日本軍の無条件降伏を要求した。日本政府は、日ソ中立条約があるソ連に和平講和の仲介を託していたが、8月6日広島市に原子爆弾が投下され、8月8日ソ連対日宣戦布告、8月9日広島市に続き長崎市にも原子爆弾が投下されるという重大な事態が続いた。8月10日、日本政府はポツダム宣言の受諾を外交公電として連合国に向けて通告した(午前6時45分)。」
「同時に日本政府は中立国を通じて、国体の変更を伴わないかどうかを連合国側に確認した。しかし、確答が得られぬまま、8月14日の御前会議で、昭和天皇の聖断によりポツダム宣言受諾が決定」
まあな、ちょっとジタバタしたわけだ。
広島への原爆投下、ソ連の参戦、長崎への原爆投下で、選択の余地はなかったんだろうが、一部には本土決戦という主張もあったようだ(陸軍とか)。
そうならなかったおかげで、浮沈子は生まれることが出来たわけだし(たぶん)、全く無関係ではない。
それにしても、遠い遠い昔のような話に聞こえる。
慌ただしい現代の若い人たちの中には、終戦の日がいつなのか、そもそもそれが、何の日なのかを知らない人もいるという。
「ドキュメンタリー番組等でしばしば使われる「終戦を祝う世界の人々」の映像の多くは、8月11日に撮影されたものだという。この日「国体の護持」を条件にポツダム宣言の受諾を打電した内容が新聞にスクープされ、正式な降伏と錯覚した人々が騒いだのが真相のようである。」
歴史は、ある瞬間をもって切り替わるのではなく、いささかのグラデュエーションを伴って遷移する。
日本国民が知らされる以前に、世界中がそのことを知っていたというのは、ある意味でショックだ。
世界は8月10日に日本の降伏を知っていた。
国体護持という、浮沈子には理解困難な条件が付いていたとしても、負けを認めて降伏するという意図は相手方に伝えられたわけだ。
その正確な日付がいつであったかは、歴史学者以外にはあまり意味がないだろう。
72年前の夏・・・。
日本の最後の戦争は終わった。
そう、最後の戦争であってもらいたいな・・・。
何度か書きかけては、没にしている話題だ。
書きづらい。
浮沈子が知らない戦争。
それが終わってから生まれ、高度経済成長と共に育ち、その終焉とバブルを経験した世代が、何を言っても始まらない。
72年の時を越え、その日が巡ってこようとしている。
終戦。
正式には、9月2日なんだそうだが、8月の暑い日差しとうだるような陽気の中で、その日を迎えるのが相応しい気がする。
(日本の終戦記念日)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B5%82%E6%88%A6%E3%81%AE%E6%97%A5#.E6.97.A5.E6.9C.AC.E3.81.AE.E7.B5.82.E6.88.A6.E8.A8.98.E5.BF.B5.E6.97.A5
「・1945年(昭和20年)8月14日:
日本政府が、ポツダム宣言の受諾を連合国各国に通告した日
・1945年(昭和20年)8月15日:
玉音放送により、日本の降伏が国民に公表された日
・1945年(昭和20年)9月2日:
日本政府が、ポツダム宣言の履行等を定めた降伏文書(休戦協定)に調印した日
・1952年(昭和27年)4月28日:
日本国との平和条約(サンフランシスコ平和条約)の発効により、国際法上、連合国各国(ソ連等共産主義諸国を除く)と日本の戦争状態が終結した日」
一般には、8月15日として知られている(お盆に重なる)。
「連合国軍の占領下にあった1952年(昭和27年)4月27日までの新聞紙上では、9月2日を降伏の日や降伏記念日や敗戦記念日と呼んでいた。」
事の経過を見ると、ポツダム宣言の受諾は8月10日とある(国体護持の条件付き)。
「1945年7月26日、米英中の3か国(のちにソ連も参加)はポツダム宣言を発し、日本軍の無条件降伏を要求した。日本政府は、日ソ中立条約があるソ連に和平講和の仲介を託していたが、8月6日広島市に原子爆弾が投下され、8月8日ソ連対日宣戦布告、8月9日広島市に続き長崎市にも原子爆弾が投下されるという重大な事態が続いた。8月10日、日本政府はポツダム宣言の受諾を外交公電として連合国に向けて通告した(午前6時45分)。」
「同時に日本政府は中立国を通じて、国体の変更を伴わないかどうかを連合国側に確認した。しかし、確答が得られぬまま、8月14日の御前会議で、昭和天皇の聖断によりポツダム宣言受諾が決定」
まあな、ちょっとジタバタしたわけだ。
広島への原爆投下、ソ連の参戦、長崎への原爆投下で、選択の余地はなかったんだろうが、一部には本土決戦という主張もあったようだ(陸軍とか)。
そうならなかったおかげで、浮沈子は生まれることが出来たわけだし(たぶん)、全く無関係ではない。
それにしても、遠い遠い昔のような話に聞こえる。
慌ただしい現代の若い人たちの中には、終戦の日がいつなのか、そもそもそれが、何の日なのかを知らない人もいるという。
「ドキュメンタリー番組等でしばしば使われる「終戦を祝う世界の人々」の映像の多くは、8月11日に撮影されたものだという。この日「国体の護持」を条件にポツダム宣言の受諾を打電した内容が新聞にスクープされ、正式な降伏と錯覚した人々が騒いだのが真相のようである。」
歴史は、ある瞬間をもって切り替わるのではなく、いささかのグラデュエーションを伴って遷移する。
日本国民が知らされる以前に、世界中がそのことを知っていたというのは、ある意味でショックだ。
世界は8月10日に日本の降伏を知っていた。
国体護持という、浮沈子には理解困難な条件が付いていたとしても、負けを認めて降伏するという意図は相手方に伝えられたわけだ。
その正確な日付がいつであったかは、歴史学者以外にはあまり意味がないだろう。
72年前の夏・・・。
日本の最後の戦争は終わった。
そう、最後の戦争であってもらいたいな・・・。
論理的帰結 ― 2017年08月04日 15:02
論理的帰結
ガソリン車(ハイブリッドを含む)には、未来がない。
少なくとも、ポルシェのレーシングチームはそう判断した様だ。
(ポルシェは、今シーズン限りでWEC(世界耐久選手権)のLMP1プロジェクトを終了し、フォーミュラEに参戦することを明らかにした。)
https://jp.motorsport.com/wec/news/%E3%83%9D%E3%83%AB%E3%82%B7%E3%82%A7-%E4%BB%8A%E5%B9%B4%E9%99%90%E3%82%8A%E3%81%A7%E3%81%AEwec%E6%92%A4%E9%80%80%E3%82%92%E7%99%BA%E8%A1%A8-%E3%83%95%E3%82%A9%E3%83%BC%E3%83%9F%E3%83%A5%E3%83%A9e%E5%8F%82%E6%88%A6%E3%81%B8-935269/
「フォーミュラEで成功を収めることは、電気自動車プログラムの論理的な結果である」
「社内における技術開発の自由度が増すため、フォーミュラEは我々にとって魅力的だ」
「フォーミュラEには環境への優しさ、効率、持続可能性など、高性能車の開発を推進していくための究極の競争環境がある」
これらの発言を裏返しにすると、内燃機関の将来は暗澹たるものに映る。
曰く、電気自動車を推し進めていくにあたって、内燃機関を積んだ競技車両のレースに参加し続けることは論理的にあり得ない。
曰く、内燃機関を積んだ競技車両のレースに参加することは、技術開発の自由度を狭め、魅力的ではない。
曰く、内燃機関を積んだ競技車両のレースには、環境への優しさ、効率、持続可能性など、高性能車を開発していくための、究極の開発環境はない。
トヨタは、完全に置いていかれた・・・。
来年のルマンの優勝は約束されたようなものかもしれない。
まあ、プジョーに期待するしかないけどな。
(ポルシェがWECへの参戦を今年限りで止め、フォーミュラEへの参戦を決めた。その理由を考察する。)
https://jp.motorsport.com/formula-e/news/%E3%83%95%E3%82%A9%E3%83%BC%E3%83%9F%E3%83%A5%E3%83%A9e-%E3%83%9D%E3%83%AB%E3%82%B7%E3%82%A7%E3%81%8Cwec%E3%82%92%E8%BE%9E%E3%81%97-fe%E5%8F%82%E6%88%A6%E3%82%92%E7%9B%AE%E6%8C%87%E3%81%99%E7%90%86%E7%94%B1-936958/
「自動車の動力源が内燃機関から電気エネルギーへの変換過程にあることは周知の事実だし、ヨーロッパの国々が将来自動車の動力源を全電化する方向であることは広くニュースで知れ渡っている。」
「時代の流れは確実に電気に向かっている。」
「これから先は必ずEVが主流になる」
「ポルシェの参戦が決まり、メルセデス、BMW、アウディ、ルノー、ジャガー、DSオートモービル……と役者が揃った感がある。」
フォーミュラーEが、どういう状況にあるのかは知らない。
耐久選手権向きのレースじゃないことは確かだ。
毎周回、バッテリーを交換しなければならないようなレースじゃあ、どうしようもないだろう(そうなのかあ?)。
観客は、ピットワークを見るためにサーキットに足を運ぶわけじゃないからな。
欧州の危機感は、我が国では理解できないほど強いんだろう。
内燃機関に未来はない。
ハッキリとそう認識している。
何年先に電気自動車に置き換えられるかについては、様々なシミュレーションがあるんだろうが、100年先に人間が運転する内燃機関を積んだ乗り物が地上から一掃されていることに疑問の余地はない。
今は、その大変革が始まったばかりなのだ。
溝の中を針がなぞるメディア(レコードともいう)が、一部のマニアを除いて見向きもされなくなるまでに、2年もかからなかった。
国家機関や大企業だけがコンピューターを使っていた時代から、小学生が全世界的なネットワークに繋がる高性能端末を持ち歩くようになるまで半世紀。
民間企業がロケットを打ち上げ、火星移民構想をぶち上げる時代だ。
自動車が自動運転になり、モーターで走り回ったとしても何の不思議もない。
それは、論理的な結論、論理的帰結というものだろう。
「足りないのは日本の自動車メーカーだ……。」
まあ、無理もない。
エンジンというノウハウの塊を磨き上げ、高性能低燃費の内燃機関を作り上げてきたわけだからな。
ここから舵を切るというのは、過去の成功を捨てることになる。
一から勝負を仕切り直し、新規参入しようとする有象無象の会社とも渡り合わなければならない。
建前は電気自動車にシフトしていくといいながら、その速度をコントロールし、あわよくばなるべく長く引き伸ばしておきたいのが本音だ。
充電できないハイブリッドはただのガソリン自動車だが、トヨタは2050年になってもそれを作り続けると世界に公表している。
レースの世界は、まあ、言ってみればショーウインドウのようなものだ。
トヨタが、そこに何を展示しているかを見れば、その姿勢が分かるというものだ。
WECへの参加がどうなるかは分からない。
しかし、他社が軒並みフォーミュラEへとシフトしていく中で、内燃機関を積んだレースを続けることは、今後もそういう自動車の生産を維持するという態度を表明していることになる。
その良し悪しは別にしても、それが論理的帰結というものだろう・・・。
ガソリン車(ハイブリッドを含む)には、未来がない。
少なくとも、ポルシェのレーシングチームはそう判断した様だ。
(ポルシェは、今シーズン限りでWEC(世界耐久選手権)のLMP1プロジェクトを終了し、フォーミュラEに参戦することを明らかにした。)
https://jp.motorsport.com/wec/news/%E3%83%9D%E3%83%AB%E3%82%B7%E3%82%A7-%E4%BB%8A%E5%B9%B4%E9%99%90%E3%82%8A%E3%81%A7%E3%81%AEwec%E6%92%A4%E9%80%80%E3%82%92%E7%99%BA%E8%A1%A8-%E3%83%95%E3%82%A9%E3%83%BC%E3%83%9F%E3%83%A5%E3%83%A9e%E5%8F%82%E6%88%A6%E3%81%B8-935269/
「フォーミュラEで成功を収めることは、電気自動車プログラムの論理的な結果である」
「社内における技術開発の自由度が増すため、フォーミュラEは我々にとって魅力的だ」
「フォーミュラEには環境への優しさ、効率、持続可能性など、高性能車の開発を推進していくための究極の競争環境がある」
これらの発言を裏返しにすると、内燃機関の将来は暗澹たるものに映る。
曰く、電気自動車を推し進めていくにあたって、内燃機関を積んだ競技車両のレースに参加し続けることは論理的にあり得ない。
曰く、内燃機関を積んだ競技車両のレースに参加することは、技術開発の自由度を狭め、魅力的ではない。
曰く、内燃機関を積んだ競技車両のレースには、環境への優しさ、効率、持続可能性など、高性能車を開発していくための、究極の開発環境はない。
トヨタは、完全に置いていかれた・・・。
来年のルマンの優勝は約束されたようなものかもしれない。
まあ、プジョーに期待するしかないけどな。
(ポルシェがWECへの参戦を今年限りで止め、フォーミュラEへの参戦を決めた。その理由を考察する。)
https://jp.motorsport.com/formula-e/news/%E3%83%95%E3%82%A9%E3%83%BC%E3%83%9F%E3%83%A5%E3%83%A9e-%E3%83%9D%E3%83%AB%E3%82%B7%E3%82%A7%E3%81%8Cwec%E3%82%92%E8%BE%9E%E3%81%97-fe%E5%8F%82%E6%88%A6%E3%82%92%E7%9B%AE%E6%8C%87%E3%81%99%E7%90%86%E7%94%B1-936958/
「自動車の動力源が内燃機関から電気エネルギーへの変換過程にあることは周知の事実だし、ヨーロッパの国々が将来自動車の動力源を全電化する方向であることは広くニュースで知れ渡っている。」
「時代の流れは確実に電気に向かっている。」
「これから先は必ずEVが主流になる」
「ポルシェの参戦が決まり、メルセデス、BMW、アウディ、ルノー、ジャガー、DSオートモービル……と役者が揃った感がある。」
フォーミュラーEが、どういう状況にあるのかは知らない。
耐久選手権向きのレースじゃないことは確かだ。
毎周回、バッテリーを交換しなければならないようなレースじゃあ、どうしようもないだろう(そうなのかあ?)。
観客は、ピットワークを見るためにサーキットに足を運ぶわけじゃないからな。
欧州の危機感は、我が国では理解できないほど強いんだろう。
内燃機関に未来はない。
ハッキリとそう認識している。
何年先に電気自動車に置き換えられるかについては、様々なシミュレーションがあるんだろうが、100年先に人間が運転する内燃機関を積んだ乗り物が地上から一掃されていることに疑問の余地はない。
今は、その大変革が始まったばかりなのだ。
溝の中を針がなぞるメディア(レコードともいう)が、一部のマニアを除いて見向きもされなくなるまでに、2年もかからなかった。
国家機関や大企業だけがコンピューターを使っていた時代から、小学生が全世界的なネットワークに繋がる高性能端末を持ち歩くようになるまで半世紀。
民間企業がロケットを打ち上げ、火星移民構想をぶち上げる時代だ。
自動車が自動運転になり、モーターで走り回ったとしても何の不思議もない。
それは、論理的な結論、論理的帰結というものだろう。
「足りないのは日本の自動車メーカーだ……。」
まあ、無理もない。
エンジンというノウハウの塊を磨き上げ、高性能低燃費の内燃機関を作り上げてきたわけだからな。
ここから舵を切るというのは、過去の成功を捨てることになる。
一から勝負を仕切り直し、新規参入しようとする有象無象の会社とも渡り合わなければならない。
建前は電気自動車にシフトしていくといいながら、その速度をコントロールし、あわよくばなるべく長く引き伸ばしておきたいのが本音だ。
充電できないハイブリッドはただのガソリン自動車だが、トヨタは2050年になってもそれを作り続けると世界に公表している。
レースの世界は、まあ、言ってみればショーウインドウのようなものだ。
トヨタが、そこに何を展示しているかを見れば、その姿勢が分かるというものだ。
WECへの参加がどうなるかは分からない。
しかし、他社が軒並みフォーミュラEへとシフトしていく中で、内燃機関を積んだレースを続けることは、今後もそういう自動車の生産を維持するという態度を表明していることになる。
その良し悪しは別にしても、それが論理的帰結というものだろう・・・。
夏の午後ポルシェの入れ替え ― 2017年08月04日 20:20
夏の午後ポルシェの入れ替え
今日も真面目に1000mを泳ぎ切る。
最後の100mは、クロールを全力で泳いだ。
心臓が止まるかと思ったがな。
そうでなかったわけで、このブログを書いている。
左肩の痛みが続いているが、ゆっくりとほぐしていくと、クロールのスカーリングも出来るようになる。
無理すると、また痛めてしまうかもしれないので、おっかなびっくり掻いている。
平泳ぎも、25m連続で何回か泳いだ。
壁蹴ってからの水中での動きを復習する。
一かき一蹴りでは、まだプールの真ん中まで行かない。
蹴伸びの姿勢が出来ていないからだ。
伏し浮きも中途半端で、だんだんと足が沈んでくる。
課題山積だが、とにかく1000mを泳ぎ続けていれば、何かが得られると信じている。
まあな、間違った泳ぎの癖をつけてしまうと、3000回泳いで矯正しなければならないからな。
泳がない方がいいかも知れない・・・。
グアムで増えた体重は、減るどころかしっかりと定着している。
動いた分だけ、確実に吸収している。
困ったもんだ・・・。
で、今日は午後から83タルガと03ボクスターの入れ替え。
夕方4時頃にタルガに乗って、疎開先へと向かう。
週末の午後ということもあって、道は混んでいたが、ギア鳴り1回だけで到着した。
ボクスターに乗り替えると、安楽な運転にかんどーする。
この楽ちんさには脱帽だ。
オートマだし、パワステだし、エアコン付いてるし、何より水冷で静かなエンジンは上品な感じだ。
だが、どっちを選ぶかといえば、浮沈子はガサツな83タルガを取る。
少なくとも今は。
回した時の滑らかさ、気持ちの良さは、やはり空冷ならではのものがあるし、踏み込んだときのリアの食いつきは、RR独特の噛みつくようなグリップを感じる。
ボクスターも悪くないけど、そういう乗り方をするクルマじゃない。
もっと、デートカーみたいに、キャッキャしながら運転するのが相応しい。
もちろん、オープン!。
夕暮れになった帰り道だったので、ボクスターの屋根を開け放って走る。
夕空が頭上いっぱいに広がる・・・。
これだから、オープンカー(和製英語)は止められない。
我が国では、どーせ、このクルマの能力の半分も使えないのだ。
ダンロップのスポーツタイヤの、ややバタつく感じにも慣れてきて、このタイヤを履きつぶす前に手放そうと、改めて決意を固める。
そうでないと、何時までも持っていそうな気がする。
これといった欠点もなく、これといった魅力にも乏しいのだが、出来のいいクルマには違いない。
楽ちんで、運転優しく、PASM切ってドリフトしても、簡単にコントロールできる。
バランスの良さが光る。
苦手なのは長距離のクルージング(クルーズコントロールが付いていない)だが、100km程度の遠出なら問題にはならない。
思わず踏み込んでしまいたくなる誘惑さえ退けられれば、免許証は安泰だ。
今日は、特に異音もなく、穏やかな運転に終始する。
タルガも、特段の不調などはない。
このまま、消耗品だけを替え続けて、いつまでも乗っていられそうな気がする。
ボクスターはそうはいかないだろうな。
21世紀のクルマで、電子制御が入っている。
ポルシェがどこまで面倒を見てくれるかは分からないが、どこかで大掛かりな修理をしなければならないかもしれない。
今のところ、エンジンやトランスミッションの中身がぶっ飛んだことはない。
例のインターミディエイトシャフトの件はあるけど、それが出たら、エンジン全とっかえになる。
気持ちのいいドライブを満喫して、駐車場に無事に収める。
500Eのいた場所に停める。
偉そうな感じ・・・。
明日は、ちょっと遠出してくる予定。
大井町のフィットネスは定休日だ。
朝5時起きで、昼寝なしの1日は長いな。
今日も早めに休んで、明日の英気を養っておかなければな・・・。
今日も真面目に1000mを泳ぎ切る。
最後の100mは、クロールを全力で泳いだ。
心臓が止まるかと思ったがな。
そうでなかったわけで、このブログを書いている。
左肩の痛みが続いているが、ゆっくりとほぐしていくと、クロールのスカーリングも出来るようになる。
無理すると、また痛めてしまうかもしれないので、おっかなびっくり掻いている。
平泳ぎも、25m連続で何回か泳いだ。
壁蹴ってからの水中での動きを復習する。
一かき一蹴りでは、まだプールの真ん中まで行かない。
蹴伸びの姿勢が出来ていないからだ。
伏し浮きも中途半端で、だんだんと足が沈んでくる。
課題山積だが、とにかく1000mを泳ぎ続けていれば、何かが得られると信じている。
まあな、間違った泳ぎの癖をつけてしまうと、3000回泳いで矯正しなければならないからな。
泳がない方がいいかも知れない・・・。
グアムで増えた体重は、減るどころかしっかりと定着している。
動いた分だけ、確実に吸収している。
困ったもんだ・・・。
で、今日は午後から83タルガと03ボクスターの入れ替え。
夕方4時頃にタルガに乗って、疎開先へと向かう。
週末の午後ということもあって、道は混んでいたが、ギア鳴り1回だけで到着した。
ボクスターに乗り替えると、安楽な運転にかんどーする。
この楽ちんさには脱帽だ。
オートマだし、パワステだし、エアコン付いてるし、何より水冷で静かなエンジンは上品な感じだ。
だが、どっちを選ぶかといえば、浮沈子はガサツな83タルガを取る。
少なくとも今は。
回した時の滑らかさ、気持ちの良さは、やはり空冷ならではのものがあるし、踏み込んだときのリアの食いつきは、RR独特の噛みつくようなグリップを感じる。
ボクスターも悪くないけど、そういう乗り方をするクルマじゃない。
もっと、デートカーみたいに、キャッキャしながら運転するのが相応しい。
もちろん、オープン!。
夕暮れになった帰り道だったので、ボクスターの屋根を開け放って走る。
夕空が頭上いっぱいに広がる・・・。
これだから、オープンカー(和製英語)は止められない。
我が国では、どーせ、このクルマの能力の半分も使えないのだ。
ダンロップのスポーツタイヤの、ややバタつく感じにも慣れてきて、このタイヤを履きつぶす前に手放そうと、改めて決意を固める。
そうでないと、何時までも持っていそうな気がする。
これといった欠点もなく、これといった魅力にも乏しいのだが、出来のいいクルマには違いない。
楽ちんで、運転優しく、PASM切ってドリフトしても、簡単にコントロールできる。
バランスの良さが光る。
苦手なのは長距離のクルージング(クルーズコントロールが付いていない)だが、100km程度の遠出なら問題にはならない。
思わず踏み込んでしまいたくなる誘惑さえ退けられれば、免許証は安泰だ。
今日は、特に異音もなく、穏やかな運転に終始する。
タルガも、特段の不調などはない。
このまま、消耗品だけを替え続けて、いつまでも乗っていられそうな気がする。
ボクスターはそうはいかないだろうな。
21世紀のクルマで、電子制御が入っている。
ポルシェがどこまで面倒を見てくれるかは分からないが、どこかで大掛かりな修理をしなければならないかもしれない。
今のところ、エンジンやトランスミッションの中身がぶっ飛んだことはない。
例のインターミディエイトシャフトの件はあるけど、それが出たら、エンジン全とっかえになる。
気持ちのいいドライブを満喫して、駐車場に無事に収める。
500Eのいた場所に停める。
偉そうな感じ・・・。
明日は、ちょっと遠出してくる予定。
大井町のフィットネスは定休日だ。
朝5時起きで、昼寝なしの1日は長いな。
今日も早めに休んで、明日の英気を養っておかなければな・・・。
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