レーシングポルシェの系譜(その7)閑話休題2013年11月11日 22:44

レーシングポルシェの系譜(その7)閑話休題
レーシングポルシェの系譜(その7)閑話休題


第2回日本グランプリに904が登場した翌年1965年、惨敗を帰したプリンスは、R380を製作した。

(プリンス・R380)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%97%E3%83%AA%E3%83%B3%E3%82%B9%E3%83%BBR380

・R380-I:1965年:1号車
・R380A-I:1966年:レース用の改良型:第3回日本グランプリ優勝
・R380A-II:1967年:ボディスタイルを刷新:世界速度記録7つ
・R380A-III:1968年:エンジンを改良

後継車種はR381である。

(日産・R381:1968年:日本グランプリ優勝)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E7%94%A3%E3%83%BBR381

さらにR382、R383と続く。

(日産・R382:1969年:日本グランプリ優勝)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E7%94%A3%E3%83%BBR382

(日産・R383:1970年)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E7%94%A3%E3%83%BBR383

R383は、実戦には出場しなかった。

第2回日本グランプリにおけるポルシェとの対決が、因縁となって製作されたといわれている。

(1964年日本グランプリ (4輪):904優勝)
http://ja.wikipedia.org/wiki/1964%E5%B9%B4%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%82%B0%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%97%E3%83%AA_(4%E8%BC%AA)

(1966年日本グランプリ (4輪):906リタイア)
http://ja.wikipedia.org/wiki/1966%E5%B9%B4%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%82%B0%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%97%E3%83%AA_(4%E8%BC%AA)

(1967年日本グランプリ (4輪):906優勝)
http://ja.wikipedia.org/wiki/1967%E5%B9%B4%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%82%B0%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%97%E3%83%AA_(4%E8%BC%AA)

(1968年日本グランプリ (4輪):906、910出場)
http://ja.wikipedia.org/wiki/1968%E5%B9%B4%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%82%B0%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%97%E3%83%AA_(4%E8%BC%AA)

(1969年日本グランプリ (4輪):908、910、917出場)
http://ja.wikipedia.org/wiki/1969%E5%B9%B4%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%82%B0%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%97%E3%83%AA_(4%E8%BC%AA)

なお、第1回(1963年)は、ポルシェ車の出場はなく、1965年の開催はなかった。

こうしてみると、ポルシェといえども、磐石ではないことが分かる。

R380シーリーズの戦闘力は、相当に高かったようだ。

トヨタも、200GTや7を投入しており、拮抗した成績を残している。

この後、日本グランプリは、フォーミュラーカーによるレースとなり、当然、ポルシェは姿を消す。

我が国のモータースポーツシーンに、一石を投じた904のオーラが輝いて見えるな。

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